琵琶湖のなまずの独り言・・・

琵琶湖のなまずも意見を言ったりします、生意気に政治や経済なんかもね

日本の製造業

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NHKをなにげに見ていたら、クローズアップ現代で、電気自動車がビジネスを変えるとか言う特集をしていました。最近はエコブームで、トヨタやホンダのハイブリッドが売れていると言われていますが、その先の姿として電気自動車がいよいよ実用化されて7月から販売されるのだそうです。三菱が販売する電気自動車は320万だけど政府の補助でかなり安くなるのだそうです。そして、件のNHKの特集では、日本のベンチャー企業が電気自動車を開発して安く売り出すのだそうです。その宣伝番組ですね。

価格を下げるために中国からバッテリーを仕入れると言っていました。中国の解放軍関係の企業が、潜水艦などで培ったバッテリー技術を使用して、民生用に安価なバッテリーを売っているのだそうです。

これって、エコブームで目のくらむ連中や、脳内お花畑な連中は感心して見ているだろけど、へそ曲りのオッサンは、当然、「ちょっと待って欲しい」とアカヒの論説委員の常套句を使いたくなるお話です。

まずは何より、電気自動車って、本当にエコなの?と疑問を抱く。
以前にも太陽光発電がエネルギーの無駄使いじゃあないのと、書いたけれど、同じ疑問を抱くのですよ。
http://blogs.yahoo.co.jp/nm20050201_0001/15488867.html

電気自動車の電機はどうやって発電する?原子力?火力発電?まさか風力発電?太陽光発電?何だって良いけど、例えばですね、ガソリン車で100km走るのに必要な石油の量と、電気自動車が100km走るのに必要な電気を発電するのに必要な石油(火力でも、原子力でも、風力でも良いけど、必要エネルギーの石油換算量ですね)はどっちが多いのかと思うのですよ。

もう一点は、バッテリーの寿命ですね。自分の乏しい経験から考えて、バッテリーと言うのは実に消耗が早い。皆さんも良くご存知のように、バッテリーは使っているとすぐにヘタって来るでしょう。で、一体、何年持つのか?それと、バッテリーと言うのは決して地球に優しくない製造方法で作られ、それ自身だって毒物の塊みたいな物ではないですか?短寿命の上に、廃棄する場合に重金属とか出て環境悪化を招く。ね、乾電池は簡単に捨てられないでしょう。

そんなものを大量に作って、表面的に石油消費が減ったって、そりゃあ、あなた、ごまかしですよね。それも、安物を使いたいから中国解放軍の企業から仕入れるって、絶対に反対です。中国人は食べ物ですら塗料を混ぜる連中です。バッテリーなんて、毒物の塊を作るのにどんな事をするか、価格を下げるために何をするか、考えただけでもウンザリする。それも、人殺しの専門家たちの会社ですよ。

おい、NHK,安ければ何だって良いのか?
解放軍から仕入れることを肯定するなよ、全く。

少し、話が逸れましたね。

要はですね、電気自動車なんて、夢の乗り物では無いと思うのですよ。

そして、一気に普及するか?

絶対にそうはならないと思います。

理由は簡単、当初は政府の補助で価格が下がり量産効果が出るけれど、決して石油使用に比べてコスト的には引き合わないと思います。石油は少し投機資金で上がっているけれど、また下がるでしょう。
これ参照
http://blogs.yahoo.co.jp/nm20050201_0001/15552291.html

長い目で見て、残念ながら電気自動車がコスト的にガソリン車に勝てる時代は当分来ないと思います。ただし、政府はガソリン車を規制して無理やりでも排除するでしょうけど。それは全体から見れば決して省エネにはならないし、地球規模での環境悪化の原因になるだけでしょうけどね。

化石燃料からの脱皮なんて、出来るはず無いでしょう。石油はピークオイル説が否定されて、結局はまだまだ価格的には最も廉価なエネルギー手段であり続けると思います。原子力がひょっとしたら代替しうるかも知れませんが、それだってウランの埋蔵量がネックになるだろうし、簡単には脱石油なんて出来ないでしょう。すべては経済合理性が大きな流れを決めると思いますので、無理筋の政府奨励策は長くは続か無いでしょう。

よってブームが去れば電気自動車は普及しない、と頭の固いオッサンは思うのです。

ああもう一つ、エコって言葉、聞くだけでもムカつきませんか?
社民党やミンスの怖いオバサンたちや、勝間和代とか、市民運動家とか、胡散臭い連中を思い出す言葉です。
スーパーのレジ袋廃止がエコだって、本当にバカバカしい!

NHKもエコエコって下らないCMを流すなって、そんなものが無駄なエネルギーを消費してる原因なんだよね。これを見る都度、NHKは偽善放送局だって思います。

とても気になる記事が載っていました。これです。
『中国産野菜:2年7カ月ぶり、輸入増 安さで需要回復−−3・4月』

http://mainichi.jp/life/food/news/20090605ddm001020025000c.html

最近、酷く気になっていたのですが、安売り競争のニュースが目立って増えてきました。

外食から始まり、大手スーパー、そして、衣料、雑貨などなど、とにかく安さを売り物にした販売拡大競争が毎日のように報じられています。

そりゃあ、安いことは良い事です。
しかし、その安さが何によって実現しているのか、その結果、何が起こるのかを考えるとき、タイトルの「安ければ良いのか?」と言う大きな疑問にぶつかります。

外食にしろ、大手スーパーにしろ、内需関連の産業は景気の落ち込みと所得の低迷で苦しい状況が続いていると思います。そこで、更なる価格低下をしないと競争に負けてしまう。そこで原価の低減が求められます。その方法はいくつかあるでしょうが、一般的に行われるのは人件費の抑制と仕入れコストの削減です。

前者は、更なる所得の低下をもたらし消費縮小の原因になります。

二番目の仕入れコストの削減は、何をもたらすのか?

これこそ、冒頭に掲げた新聞記事の意味です。

我々はもう中国産野菜や、食品の有害さを忘れてしまったのでしょうか?それが改善されたと言う記事を見たことは有りません。以前のエントリーで書きましたが、中国産野菜や食品は絶望的に低品質、有害なものが多いのです。

これを参照してください。
http://blogs.yahoo.co.jp/nm20050201_0001/17346173.html


更に考えなければならないのは、そうした安売り競争が、日本の従来の産業を破壊すると言う事実です。先日、私が走ってきた「しまなみ海道」で宿泊した民宿でも中国人と思える女性が働いていました。こんな所までと思いました。今ではコンビニでもファーストフードでも居酒屋でも、とにかくやたらに多くの中国人が働いています。間違いなく彼らは日本人の労働者の職を奪っています。

それだけでは有りません。
私が行き帰りで利用した関西汽船もネットで予約すると2割引なのです。一体採算が取れるのかと心配になります。それだけ安くしても、がらがらなのです。
高速道路が安くなって、間違いなく内航海運は影響を受けています。現に関西汽船も今治寄港便を廃止しました。

今治で降りていた人や車はもう港を使わず、高速道路を使って今治を素通りしてしまうでしょう。これが今治と言う小さな町の経済に影響を与えるのは間違い有りません。

今日、行って来たスーパーでは家電量販店が全品15%引きのセールをしていました。昨日の別のスーパーではお客様特別割引で、全品2割引でした。
安いことは有り難いです。しかし、毎日、毎日、安売りが当たり前になっています。これって、本当に大丈夫なのでしょうか?

卑近で小さな事例ですが、こうした小さな事例が重なり合ってある日クラッシュを起こすように、大きな変化を日本の社会に与えるのではないでしょうか?
適正価格はやはりあるはずです。それを超えて、過剰なダンピング競争に日本中が巻き込まれているような気がしてなりません。

自分だって、安いことは有り難いし、助かります。しかし、それでも本来の必要なコストならきちんと我々は負担すべきだと思います。安さを求める余り、低品質な中国製品や中国人労働者を雇うなら、そうした過剰なダンピングには反対です。

低価格競争を阻止するのは非常に難しいと思います。何しろ、価格が高ければ競争に負けるのですから。しかし、それでも将来の日本が安心して暮らせるきちんとした国であり続けるためには、必要以上の低価格競争を排除するような規制が必要だと思います。

それは保護貿易と呼ばれる規制に繋がるのかも知れません、しかし、それでも敢えて何らかの処置が今、必要だと思います。中国は相手のことを考えるような国では有りません。現在の財政支出に支えられた景気刺激策が有効でなくなったら、間違いなく輸出圧力を高めてきます。独裁政権の生き残りのためなら、彼らは何だってするでしょう。それは無茶な為替の切り下げであり、無謀なダンピング政策でしょう。或いは政治的な圧力による輸出の拡大であるかも知れません。

そうなったら、中国製品に取り変わろうとしている流れは一気に加速することになるでしょう。その時、初めて規制をしようと思っても、逆にもう中国製品から逃れられなくなっているでしょう。現在すでそうした現象がおきていす。

安いことは消費を拡大するでしょうか?
安さはすぐに慣れてしまいます。
日常の買回り品は安くても消費量は増えません。
結局、低価格競争のつけは、所得の減少と国内産業の需要減少をもたらし、日本経済を益々縮小させるように働きます。

一旦成立した安値はもう元には戻りません。
そして低品質で有害な中国製品を我々はもう拒否できなくなります。

安売りセールのニュースは、私には、一歩一歩、崩れて行く、日本経済の予兆のような気がして仕方が有りません。

本当に、安ければ良いのか?ともう一度、問い直してみたいものです。

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日本の製造業の進む道  その1


私は、エンジニアです。今でこそ、株やFXで経済に強い興味を持っていますが、自分の基盤はソフト開発を基にした技術屋だと思っています。

長い期間、グローバル企業での物づくりを司る生産管理システムの開発に携わってきました。そこで、物づくりや、ソフト開発、システム構築、プロジェクト運営について学び実践してきました。対象にしてきたのは、半導体、モジュール、カード、システム製品などの電子部品でした。その延長で、半導体工場の自動化システムの開発と導入にも携わってきました。

生産管理システムも、工場の自動化システムも共に巨大なシステムで、銀行のオンラインシステムにも匹敵する期間と金と要員が必要です。

半導体工場を一から立ち上げるには、少なくとも2年から3年の期間が必要ですが、システムの構築、導入も最初の基本計画から完成までにはそれくらいの期間が必要です。それは巨大なソフト開発の現場ですが、同時に工場の自動化ですから、数百台の製造装置や搬送機器をコントロールする訳で、まさに物づくりの全体を統合するハードとソフトのハーモニーを統御する第一線の開発現場です。

私はその巨大システム開発のプロジェクトマネージャーを長くやってきました。
日本国内の半導体工場だけでなく海外の企業も相手にしてきました。

そこでは、多くの外国人たちとも一緒に働きました。
同僚として、あるいは部下としてチームを組んで来ました。
韓国も中国も仕事の現場で何度も行きました。

無論、韓国人や中国人とも多くの仕事をしてきました。
インド人やアメリカ人、中国人などの混成チームを率いて、プロジェクトキャリーした経験も何度か有ります。
だから、彼らの仕事や発想や、まじめさ、ずるさなどの性格的な面も心得ているつもりです。

これは、自慢をするためではなく、今日はマジで、正面からあるレポートの反論をしたいと思い、その前提として、少し自分の事を紹介しておきたいだけです。


少し長くなるので、興味の無い人はスルーしていただいても構いません。

それでは、対象の記事ですが、今週の週間エコノミスト(毎日新聞社発行)の
「産業大革命」という特集の巻頭に掲載されている記事です。

著者は木村英紀と言う理化学研究所/東大名誉教授の先生です。
タイトルは「潮流は「ハード」から「ソフト」技術立国日本がやるべきこと」と題されたレポートです。

それでは始めましょう。

『議論の立脚点』
この記事の出だしは、日本と欧米の技術の特徴として、以下のように述べています。
「日本は労働集約型の技術開発を行ってきたのに対して、欧米は資本集約型の技術開発を行ってきた」

そして、
「労働集約型とは、人が快適、かつ効率的に働くための技術であり、人間が中心にある。それに対して、資本集約型は、人間を労働から排除(開放)するための技術であり、中心は機械にある」
これが議論を進める大きな立脚点になります。

『労働集約型で発展した日本の技術』
次に、著者は日本の労働集約型の技術について説明を行います。
「日本の技術の特徴は、経験を分かち合うことを通して、メンバーが以心伝心で意思を通じ合えるチーム作りに長けている。会社のトップが作業服を着て工員と共に汗と油にまみれるのをよしとする風潮、ひたすら作りこむことを通して完成度を上げる技術者の執念・・・」
と語ります。そして、なぜか次のように続くのです。

「日本のものづくりの強さが語られるが、そのほとんどはハードウエアであり、素材、材料、自動車、工作機械、家電製品、光学機器、半導体、環境関連などの量産品である」

後に述べますが、こうした日本の製品はハードを売ってはいますが、実は売っているのは中身のソフトなのです。しかし良くご存知の筆者は決してそう言いません。不思議です。
それとも筆者は、アメリカのシリコンバレーに見られるような、WEB技術や、コンピュータソフトそのものではないのがダメだと言っているのでしょうか?


次に欧米を中心とした、技術進化の流れを以下のように説明しています。
「道具から機械へ、さらに機械からシステムへ進んできた」それは「順方向の技術の流れ」だと言います。そして、「順方向の技術の進化を駆動してきたのは「普遍化」である」と言っています。

これは判り易いので、素直に頷ける部分です。ここで著者の言う、「普遍化」とは言い換えれば「標準化、汎用化」の意味のようです。更に、付け加えれば、「システム」とは、複雑化した機械の組み合わせを統べる、管理統制手段というような位置づけのようです。
ここで、著者はこう付け加えます。
「日本の技術は労働集約型の特徴を生かして、「逆方向」つまり、機械から道具へ、システムから機械へ戻る道を開拓し、それを通して順方向の流れを補完した」と説明し、そこで自著『ものづくり敗戦』を紹介しています。

この本については改めてどこかで書きたいと思いますが、内容はこの記事に集約されていますので、この記事を通して大体理解できます。

この、「補完する仕組み」は、多分、日本のものつくりが他国より優れていて、優秀な製品を生み出せる原因の説明だと思いますが、この記事では、そうではなく、ネガティブなものとして取り上げています。

ここから、欧米の技術進歩の流れである「普遍化」の説明が始まります。
「「普遍化」とは「技術の科学化」と言っても良い・・・中略・・・社会や人間と技術の接点を主な対象としており、そこから生まれる技術の広範な課題を、科学として体系化したものである。」

そして、これを推し進めてきたのは欧米であり、コンピュータがその推進役になり、80年代にはその流れはメガトレンドとして顕在化していた、と言っています。

私はこのコンピュータによる「技術の科学化」を具現化した最先端企業におり、まさに、それを日々、驚嘆しながら間近に見て参加してきました。

何しろ、今から30年近い昔に、電子メールで毎日世界中の工場と情報を交換し、世界中の工場で分散してコンピューターを作っていました。会社所有の衛星を介して独自の回線があり、日々の生産情報がやり取りされ、生産が世界同時に進行管理されていました。
なるほど、当時は日本企業から見れば、異世界のようなものづくりの現場でした。

それは多分、世界中で最も進んだ生産の現場だったと思います。
それを同僚と本にして出版した事も有ります。


更に著者は普遍化の説明を続けます。
「科学が理論として記述されたとき、その普遍性は保障される。技術でも理論の役割が急速に増大しつつある。解析や設計、予測や決定。計画や評価などあらゆる場面で理論的な検討が要求される度合いが急速に高まっている。」

要は、普遍性とは、理論化され記述されることだと言う訳です。
これはその通りでしょう。個別技術が理論として体系化され記述されれば、移転可能になり、再利用可能になります。つまりは、「標準化」であり「汎用化」ですね。


『主戦場は理論、システム、ソフトウエア』
次に、著者は、前述した欧米型の技術進歩の次の段階である、「システム化」「ソフトウエア化」について説明を行います。

「機械が複雑になるとともに、要素を結びつけるシステムという目に見えない存在が、技術の主要な対象として重視されるようになる。システムを扱うには、機械と機械、機械と人間の間の通信が不可決であ。そのためには、機能や構造が誰にでもわかるように、合理的に表現されていなければならない。以心伝心ではだめなのである。」
と書かれています。

これはその通りで、要するに、複雑系を統べるには、全体を通じた制御の仕組みが必要であり、そのためのプロトコール、通信手段、要素間の標準化が必須なのは当然ですね。大規模ソフトの開発を行ってきた経験から、全くその通りだと思います。
文書化と標準化、どれだけこの言葉を聞かされて来たか・・・・・

ソフト開発の現場はまさにこれの戦いで、特に、近年、インドや中国の要員と一緒に仕事をする場合の肝は、この二点だと言っても良いでしょうね。

私の働いていた、グローバル企業では、だから、昔から、これが散々強調されて仕組みとして根付いていました。

そして、ソフトウエアの説明がされています。
「複雑なシステムの設計を担うのがソフトウエアである。・・・中略・・・いいソフトウエアを作るには、システムへの深い理解と、目に見えないものを見通すことの出来る想像力が必要である。」と言っています。これもその通りです。


欧米の技術進歩は、道具から機械に進化し、その次に、複数の機械で構成される、複雑な全体機能を統べる仕組みとして、システムと言う概念を生み出した。そのシステムを実装する手段としてソフトウエア(プログラム)が生まれたと言う訳です。

これも、まあ当たり前のことで反論は有りません。
だから、現在のように高度に複雑な機能を実現する必要がある物づくりの現場で、システムの構築、つまりソフトウエアの開発と導入が肝であることは言うまでも無く、著者の言うように、そこが生産においても主戦場になっているのはその通りです。

今や、ハードよりソフトなのです。
これはもう、世の中でほとんど常識の話ですね。

しかし、著者はここで、いきなり日本を叱り付けます。
「ハードからソフトへの主役は交代している。しかし、残念ながら日本の技術がもっとも弱いのが、この理論、システム、ソフトウエアなのである」
と断罪するのです。

根拠は全く判りませんが、日本はここが弱いのだと断定しています。

ここまで来て、著者の論点は、だんだん見えてきました。
つまりは、日本はそこで遅れていると叱るのですね。
何しろ、東大の名誉教授ですから、叱り付けるのが仕事なんでしょうね。

おい、お前ら、駄目じゃないか、そんな事でどうする!!
これでは日本は負けるぞ!!
欧米は進んでいるのだからな、お前ら反省しろ!!

しかしまあ、何と陳腐な的外れか・・・・・・・・・・・・・・

その2へ続く

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日本の製造業の進む道  その2


いえいえ、結論を急いではいけません、じっくりと先を読んでゆきましょう。

ここで、著者は逆に日本のソフト開発やシステムが優れている例を出すから良くわかりません。

「最近の携帯電話は操作説明書が数百ページの渡るほど多くの機能を持つ・・・・
携帯電話は数百万行に及ぶソフトが詰まった計算機そのもの・・・開発費はハードが3割でソフトが7割であり、付加価値では完全にソフトが逆転している。」と記している。

また、三菱UFJの勘定系システムが3000億円の開発費だとも記している。
その後でまた、「全体としてこのトレンドに乗り遅れている。・・・・システム思考と普遍性を軽視するのは危険である。」
と叱る。

一体、何を根拠に、いきなり日本の物づくりの現場が、システム思考と普遍化を軽視していると言うのか、全く根拠無く断定されています。

日本の製品の特徴は海外の安価な製品と異なって、使い勝手、きめの細かい機能など、筆者自身が言われた、ハードよりもソフトを重視した物づくりの結果、そうした差別化を行ってきており、それが日本製品が海外で高い評価を受けて売れる理由であることを筆者は良くご存知なのにそれを無視して、叱り付ける。

日本こそ、まさにソフトを重視した物づくりだと思うのですが、筆者はどうもそう考えておられないようです。

筆者の言う「システム思考と普遍化」の意味が、どうも、今までの説明とは異なるような気がしてきました。

筆者の論理は、
複雑な機能を具現化するための、システム思考、そして、それを実装するためのソフト化でした。だから、ソフト化が重要になり、付加価値がそこに移っている。しかし、日本の製品はそうではないと、言う訳です。

ここで、気になるのが、「普遍化」と言う言葉です。

これは「標準化」「汎用化」だと理解しましたが、それが日本の物づくりの現場では不足していると言う訳です。要は、日本のいわゆる「匠」の世界が、気に入らないようですね、先生は。

また先走ってしまいました。

じっくり、読みましょう、時間はたっぷりありますから。


ここで、著者はあらたな言葉を持ち出します。
「技術の主役が、ハードからソフトへ転換したのは、20世紀から21世紀への世紀の変わり目ごろであろう。・・・中略・・・・私はこれを「ものつくり」から「ことつくり」への転換と呼んでいる。・・・・「もの」と「こと」は対立軸にあるものではなく、相互補完的なものである。」

この「こと」と言う概念は簡単に言えば、要するにノウハウであり、仕組であり、システムと筆者が言っているまさにソフトウエアそのものを指すのでしょう。

ここにきて、筆者の主張が良く見えてきました。
「ものつくり」と言う概念に代えて、「ことつくり」と言う概念を広めたいようです。
ここで少し意地の悪い見方をすると、多分、筆者は下記を意識していて、わざわざ、反論をしたいようですね。

これです。
「日本型ものづくり立国は滅びず」(文芸春秋4月号所収 藤本隆宏)
以前、このブログでも取り上げました。非常にまともで、勇気付けられる共感を覚える記事です。

多分、この「ものづくり」と言う言葉に反論したくて、くだくだと言っているようです。
まあ、じっくり読みましょうか。


『人間中心の日本の技術を支える「人」がいなくなった』
筆者は次に問題点を以下のようにすり替えて行くのです。
「日本は少子高齢化で労働集約型の技術が成り立つ基盤を急速に失いつつある。それなのに労働集約型の技術文化が色濃く残っている。これがわが国の製造業の大きな問題である。」と。

ソフト化が進まないのが問題だと言っていたのが、いつのまにか、少子高齢化による労働人口の減少の問題に変化している。

では、日本に従来のように若者が豊富にいれば問題は無くなるのか?違うでしょう。ソフトに重心を移すことが必要で問題は労働者の不足ではない。

そして、また以下のような断定をされる。
「我が国の産業技術は前述した普遍化に乗り遅れただけでなく、このメガトレンドに気がついている人すら多くない。」

これは全くおかしいですね。
製品の付加価値がソフトに重点を移したことは誰の目にも明らかで、今や日本では常識の範囲です。だから、開発費の7割をソフトに投資しているわけで、それで、国際競争に勝ち残っている。

なぜ、この東大名誉教授の先生はこんなことを言われるのか全く理解できません。

そしてこう続くのです。
「日本の技術の独壇場であったシステムから機械への逆進によって現代技術を補完する道は、普遍化の極であるソフトウエアの広がりによって、著しく狭まりつつある。」

まず、「システムから機械への逆進によって現代技術を補完する道」ですが、具体的に何を指しているのか?類推するに、制御技術を機械の中に取り込むと言うことなのでしょうか?
それなら、良く理解できます。

システムで制御していたことを、ファームウエアとして機械本体に組み込む、いわゆる組み込みソフトですね。それはもう現在の生産現場では花盛りで、半導体の製造装置などは特に顕著です。

しかし、次の文章がまた良くわかりません。
「普遍化の極であるソフトウエアの広がりによって、著しく狭まりつつある」
まず、ソフトウエアは普遍化の極でしょうか?

いや、これは疑問です。

いわゆるソフトウエア一般は、決して普遍化の極では有りません。
ソフトは個別に手作りされているものが多く、中身は極めて俗人的で、普遍化しなくても作れますし、ソフトウエアになったから、それが普遍化の実現とは全く言えません。

何か、言葉の定義の問題で私が勘違いしているだけでしょうか?

多分、それまで俗人的で理論化されず、汎用的でなく、移転可能でもなかった、生産技術、ノウハウなどが標準化、文書化されて外部化されたとき、初めてソフトウエアとして別物に生まれ変わる。それを筆者は、「普遍化の極」と言っているのでしょうね。

しかし、ソフトウエア化が必ずしも普遍化ではないので、ここは明確に分けて考えるべきです。

さて、次に筆者は、再び日本の巨大システム開発の例を持ち出します。

「労働集約型とは対極的なシステム技術で、日本はいくつかの先進的な成果を生み出した。年産1000万トンの一貫製鉄所の生産管理システム、ロボットを駆使した工場のオートメーション(自動化)、新幹線の運行予約システムなどが例として挙げられる。」

私は新日鉄の生産管理システムもかじった事が有ります。
その中核をなす、スケジューリングシステムを基としたソフトの構築を会社が行っていましたのでかなり勉強しました。ロボットを駆使したオートメーションは、まさに私の関わったシステムそのものです。

しかし、「こうしたシステム技術は大きな流れになることなく、再び我が国は要素技術の深耕と製品の作りこみを特徴とする労働集約型の技術文化が支配することになった。・・・中略・・・それはメガトレンドをとらえられず、人材の育成に失敗したからだろう。」と断定されています。

これは疑問ですね。

要素技術の深耕、は当然進みました。しかし、それはまさに普遍化を目指してより大きな複雑なシステムの構築に必須だからです。

複雑性が上がれば、その不具合の発生は幾何級数的に増加します。また開発が困難になりますし、期間が長くなる。だから、標準化してモジュール化する、ソフトの部品化が必須になります。そうした、モジュール化、部品化のためには要素技術の深耕が大前提です。
逆にそれなくして、巨大なシステム構築は不可能になっています。

筆者の言われる、要素技術の深耕が具体的に何を指すのかは判りませんが、それが故に、労働集約的な技術に戻ったと言うのは良く判りません。
多分、筆者の非難する「匠」の世界に戻ったと言う様な意味なのでしょうか?

しかし、こうした巨大で成果を上げた日本のシステム開発の現状は、筆者に言われるように衰えているとは思えません。


それはほんの少しの例を挙げれば、済むでしょう。

あの無知で偏見に満ちた連中にガラパゴスと揶揄され貶められている日本の携帯を見てください。そこは、まさに筆者の書いたとおり、膨大で気の遠くなるようなソフトの塊なのです。それは、製鉄所の一環製鉄システムを遥かにしのぐ規模なのです。そして、私の知っている、半導体工場の全自動システムすら凌駕する規模だと思います。

これはすごいことで、巨大開発の成果物があの小さな携帯に組み込まれて、安売りされているのです。これは本当におかしと思っています。このソフトの価値を日本はきちんと評価していないと思います。それはさておき・・・

もう一点、自動車の車載システムですら、数百万をくだらないプログラムの山であり、そこらへんに転がっているエアコンだって、洗濯機だって、プログラムが山のように詰まっているのです。それらを開発する能力は、決して、銀行の大規模オンラインシステムの開発に引けを取りませんし、昔の新幹線予約システムなど、今ではエアコンの組み込みソフトより陳腐で子供だましにすぎない程、複雑で大きなものになっていると思います。


あの大規模システムは決して廃れずに日本に脈々と生き続けています。
筆者はなぜ、日本の技術が労働集約型に戻ったと断定されるのか、全く理解できません。

その3へ続く

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日本の製造業の進む道  その3

『技術文化を変える必要』

ここらで結論のように、筆者はまとめに入っています。
「日本の得意分野は、自動車や家電などいくつか残っている。そこでは日本の技術の存在感は揺らいでいない。しかし、ソフトとハードの付加価値配分が逆転した現在、日本の得意分野であるハード量産品の技術全体に占める割合が、今後次第に下がっていく傾向は避けられない。得意分野に集中するだけでは日本のシェアーはますます細ってしまう。何としても技術の主戦場に押し出て、そこで存在感を示さねばならない。」

これは何を言っているのでしょうか?

まず、「日本の得意分野であるハード量産品」とは何を指してるのでしょうか?

家電?
自動車?
精密機械?
でしょうか。

それで、「得意分野に集中するだけでなく、技術の主戦場に押し出る」とはどういうことなのでしょうか?

技術の主戦場は、システム、およびソフトだと前の章で言われました。
要は、不得意だと筆者が断定した、システム開発やソフトウエアを重視しろと言っているのですね。

どうでしょうか、皆さん、この論理の展開は納得できますか?


まとめは、もう少し続きます。
主戦場に押し出る、と言った後、筆者は、こう続けます。

「自動車や家電などすでにグローバル化した日本製品を通じて、その組み込みソフトのグローバル化を図るなどは、大いに試みる価値がある。・・・・・・・・・・自動車の生産はすでに「ものつくり」から「ことつくり」の世界に移っている。」

なるほど、製品に組み込まれたソフト(マイクロコードですね)をグローバル化しろと言っています。

では具体的に何を提案しているのでしょうか?

まさか、最近中国が言っている組み込みソフトの開示を言っているのではないでしょうね?
そこまで、この名誉教授も馬鹿ではないでしょうから。

では、グローバル化するとは何を指すのでしょうか?

よくグローバル化と言われますが、単に言葉の流行で何となく具体的なイメージ無く、使われることが多いのですが、この文章もその典型のような気がします。

また自分の事になって恐縮ですが、私の働いていた会社では、製造の現場は40年以上のグローバル化の歴史を持っていました。世界37の工場が分散して部品を作り、それを集約して一つの製品に組み立てていました。そして、ソフトの開発もグローバル化の最先端でした。常に開発者は中国、インドのメンバーと共同して仕事を行い、その開発成果は、世界中に出荷されていました。

筆者が言う、マイクロコードのグローバル化とは何なのでしょうか?

今や、日本のメーカーで、ソフト開発を国内だけで行っているところは、少数派になっているでしょう。技術の漏洩問題から、わざわざ、海外での開発を行わないことは有りますが、それは極めて一部のコアーな部分だけです。

数百万に上るコード開発は、現状、安価な外国人労働者の存在なくして考えられません。日本国内でも、そうしたソフト開発のインド人、中国人、ベトナム人の数は少ないくないでしょう。よってマイクロコードのグローバル開発など、すでに長年実施されてきています。

もう一度問いたいのですが、一体、この著者はグローバル化を具体的にどう進めると言っているのでしょうか?

それは普遍化?文書化?ソフト化?の事でしょうか?

マイクロコードは今や、製品の付加価値のすべてに近いと言っても過言では有りません。
特に携帯を見れば判りますが、それはもはや、コンピュータそのものです。
そうした、OS部分(それはLinuxなどオープンソースが増えています)を除いたソフトの開発が企業の製品開発の主役になっていますし、そこはコストや時間的な問題を考えても、標準化や、文書化、そして世界に分散したまさにグローバル開発が何年も前から行われています。

今更、こんな論理でお説教をされなくても、企業の現場は遥かに先を行っています。

さて、まだ残っていますので、もう少し続けましょう。

「普遍化を技術のトレンドととらえることによって、いろいろな現象を理解することが出来る。例えばアジアの追い上げである。例えば組立て加工だけでなく、川上の製造装置を自製する動きが表面化し、日本の製造装置メーカーにショックを与えている。技術の普遍化によって、誰でもあるレベルの「ものつくり」が出来る時代になったのである。」
と書かれています。

これは、その通りで、半導体の工場を立ち上げる際に実際に経験したのですが、全く経験の無かったある台湾の大企業が、いきなり日本のメーカーの協力で一から半導体工場を立ち上げ、一気にDRAMの量産化に成功した事例が有りました。私はそこに自動化システムの構築で協力したので現場に立ち会いました。
まさに、上記の通り、最も高度だと言われていた半導体の量産化だって簡単に出来てしまうのです。

その理由は、まさにソフトウエアなのです。

まず、工場全体を統制し動かすソフトは外部から買うことが出来ます。何を隠そう、私たちが売っていました。そして、製造装置自体はアメリカと日本からほとんど購入していました。そして、何より重要なのは、そうした半導体製造で最も重要な製造装置の制御ソフトは装置メーカーが組み込みソフトとして売っていたのです。それは、レシピと呼ばれて、ウエファー焼付けの際の露光時間や、強さ、薬品の混合比、散布の方法などなど、まさにノウハウ中のノウハウでした。

そして、全体を管理するために日本の半導体メーカーからエンジニアが数人、技術顧問として駐在していました。お陰で、この台湾の企業は、最初から歩留まりが高い量産化を成功させ、いまでは台湾のDRAMメーカでは大手になっています。


この例でも判るように、今や、技術移転はいとも簡単に出来てしまうのです。

こうして、かつての日本のお家芸だった、DRAM生産はあっと言う間にアジアに移転して、日本はエルピーダを除いて全く撤退してしまいました。

日本の製造装置がアジアに移転するのは時間の問題です。
それはまさに、筆者が強調する、ものづくりのソフト化を究極まで推し進めた結果であり、残念ながら、逃れられない宿命なのです。

だから、今更、筆者のような学者の方は除いて、製造装置がアジアで作られると驚くような企業の幹部はいないと思います。

日本のみならず、非熟練労働者が主流になって従来の高度な製品が作られている現状は、皆さんご承知の通りです。今まで属人的で「匠」によって独占されてきたノウハウが、機械の中に組み込まれた結果なのです。それは普遍化ではなく、システム化でもなく、まさに人間のノウハウの外部化、ソフト化、そして移転可能なものに置き換えて販売対象にしたからです。それは、まさに知的な財産であり、今後ますます日本がそれを重視してそれを売り物にしてゆくしかない知的製品なのです。

最後に、筆者はまた頓珍漢な結論で文章を結んでいるのでそれを紹介しましょう。

「・・・理論、システム、ソフトウエアに見識のある、新しいタイプの技術者を生み出す人材育成の長期的な計画が必要である。それには技術文化を変えねばならないが、技術文化は社会風土の反映であるから、そこから「革命」を起こしていかなければならない。」と書かれています。

まず、私が言いたかったのは、筆者とは違って、日本はすでに昔からソフトを重視してきており、その行き着く先として、ハードでないソフト販売の世界に移っていると言うことです。これは決して一部、輸出企業のことではなく、昔から、日本では、物づくりの世界でソフトが重視されてきたし、その結果として、日本の製造業は世界一になったのだと思っています。
そして、こうしたノウハウを組み込んだ製品だけではもはや勝てなくなっている。だから、もうハードでなく、ソフトに特化せざるを得ず、すでに企業の多くはそうした方向に向かっています。今更、この先生が声高に叫ぶことは何も無いのです。


今や、少し不況で落ち込んだからと、日本の製造業をけなして、極端な連中は、金融に進出しろとか、馬鹿なことを言っていますが、全く日本の特性や長所を無視した話だと思います。そしてこの筆者のように、普遍化とかシステム化とか言う言葉は、下手をすると、標準的で安価な大量生産の物づくりに戻れと言っている様にさえ誤解されます。

実際、中国の需要を当てにして、中国国内で受け入れられる安価な量産品を強化して進出すべきだと言う間違った意見も出てきています。

今、考えるべきはソフト化それ自体ではなく、如何にそれに特化した製造の中でアジア各国の製造業と協業し、日本の領分を獲得してゆくかだと思います。これは長年、現場で多くの企業がそれこそ血のにじむような苦労を経て、手探りで解答を見つけようとしています。

中国は、今やかつての単純な加工組立ての限界を知り、ソフトそのものをよこせと言って来ています。彼らは決して長い時間と大金を掛けてそれを自分たちで開発しようとは考えません。ソフトは盗むものだと言う認識です。それは知的な活動、人の経験とノウハウを全く理解できない民族性の故なのでしょう。

そうした国と協業して行きながら、なおかつ大きな市場としてこれから相手をしてゆかなければなりません。

それは、筆者のような、普遍化してグローバル化すると言った、何の具体性も無いお題目のような流行語の羅列では何の解決にもならない課題です。

それは生易しいことではないでしょう。

実際、シャープは必死の覚悟で、今、中国に向き合い、大きな損失を覚悟で中国に液晶工場の最先端生産ラインを輸出しようとしています。

それは、かつての、技術流出でDRAMを完全に取られた轍を踏む危惧を考慮した上での決定なのです。シャープは今までそれを躊躇って来ました。半導体生産の現場にいたものとして、シャープの危惧は良く判ります。多分、そのノウハウは短時間で中国に盗まれるでしょう。いや、彼らは盗まなくても国家として合法的に手に入れることさえ平気ですると思います。

しかし、それでも中国に出なければいけないとシャープの社長は決断したのです。

この筆者には、全くその苦労のかけらも理解できないでしょう。
日本の製造の現場を知らない人は気楽に非難だけしています。
野口悠紀雄とか池田信夫とかその代表ですが、真剣に日本の製造業の行く末をもう少し考える学者はいないのでしょうか?

今、筆者に代表されるような生産技術に関わってきた研究者や技術者が真剣に考えなければならないのは、ソフト化を超えた先にある難題だと思います。それは多く現場の企業や技術者が折々に課題に直面して解決している状況です。

国として、これから日本の製造業をどうして行くのか、アジア各国との協業と市場の棲み分けをどうしてゆくのか、我々が生み出した貴重な知的財産をどう守ってゆくのか、あるいは、それをアジア各国と共同してどうやって更に価値有る物に進化させてゆくのか、課題は山ほど有ります。

筆者に期待したいのは、そうした多くの課題に具体的で有効な解決策を提案してもらいたいことです。私だってエンジニアのはしくれとして、真剣に考えたりしています。そうしないと、また、製造業はもう中国に渡して、日本も遅ればせながら金融に打って出て、などと言うトンデモエコノミストの意見が幅を利かせて日本の道を危うくさせます。
そうした危機感を持ってもらいたいと切に願っています。

長文を書きました。

つたない文章を思いのままに書きましたが、ここまで読んでいただいた方には心から感謝いたします。

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