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俺は常に無神経な人間なら知ってるが、常に寛容と言う人間を見たことがない。
寛容と言う態度は、教育者や、人の上に立つ人間が好んで使うように思う。
しかし、こういう連中の態度は不寛容に変わるのも素早い。
人間には二本の触覚がある。
一つ目の触覚は、頭から生えており、事実や論理の正確さ、完全さ、不変さ、を求めてる。
二つ目の触覚は、胸から生えており、心が求める感動、刺激、鮮烈、変化、を求めてる。
二つの触覚の異なった指向性は、人間に本音と建前を作り出す。
本音のところでは、人間には「好き」か「嫌い」かしかない。
実際のところ、寛容とは「好き」から「嫌い」になるグレーゾーンまでの出来事だ。
人間が寛容でいられるのは、一つ目の触覚が二つ目の触覚を押さえつけてるからであり、
不快なことに対しても、それを表明するのが合理的でない場合は理性的な建前が優先するだけの話だ。
「平等」や「多様性」が寛容と言う立場から語られるのには違和感を感じる。
「平等」や「多様性」を認めない不寛容に対して寛容であるのは、ただの利敵行為で、盗人に追い銭だ。
俺は極めて不寛容な人間だ。
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