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映画監督の森達也氏が意訳によるマルティン・ニーメラー牧師の最後の言葉。
マルティン・ニーメラーはナチスにより弾圧を受けたルター派の牧師。
最初に彼らが共産主義者を弾圧したとき、私は抗議の声をあげなかった。
なぜなら私は、共産主義者ではなかったから。 次に彼らによって社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、 私は抗議の声をあげなかった、 なぜなら私は、社会民主主義者ではなかったから。 彼らが労働組合員たちを攻撃したときも、 私は抗議の声をあげなかった、 なぜなら私は労働組合員ではなかったから。 やがて彼らが、ユダヤ人たちをどこかへ連れて行ったとき、 やはり私は抗議の声をあげなかった、 なぜなら私はユダヤ人ではなかったから。 そして、彼らが私の目の前に来たとき、 私のために抗議の声をあげる者は、誰一人として残っていなかった 私は暴対法ができたとき、暴対法に反対しなかった。
なぜなら私はやくざではなかったから・・
そんなことをつぶやく日も遠くない思う。
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この国の一年を振り返って、漢字一字で表すと、どーたらこーたらいうのを年末にやりよるけど、
漢字やのうて、ひらがな3文字で表すと、間違いなく「とほほ・・」や。
とほほのほ。
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東日本大震災は原発震災であり、被災地には大量の放射性物質が降り注いでおり、除染は不可能であり、未だ
にフクイチからは毎時一千万ベクレル(東電発表の控えめな数値で)が放出され続け、セシウムだけではなくア
メリシウムのようなプルトニウムをしのぐ強力な毒性がある超ウラン元素でさえ、関東、東北を走る車のエアーフ
ィルターから検出されており、そして俯瞰的には2万平方メートルにも及ぶ大地が法律上の放射線管理区域に
なり、原発震災以降、日本の人口は減少に転じている。
阪神大震災の時のようにすべてが復興できるわけないのに、バカの一つ覚えのように、復興!復興!と言う声
が喧しく、国民的アニメのサザエさんを使ってまでPRされ続ける「復興」とやらを妨げるものにはなんであれ「風
評」であると、非国民の最新バージョンの烙印が押される。
被災地の農民や漁民をどん底に叩き落とした張本人が、今度はそうした弱者の側に立って、「風評」と「復興」の
二本立てで攻めに出ているが、要するに盗人が猛々しく他人のふんどしで相撲を取っているのである。
総理大臣はと言えば戦闘服姿て戦車に乗り込み、「日本を取り戻す」気であるが、こいつは日本を取り戻す前
に、正気を取り戻すことが急務だ。
はっきり言って風評被害などと言うもんは存在しない。
放射性物質は北半球全体にまんべんなくばらまかれ、どんなに少量でもその量に応じたリスクは避けられな
い。つまり、害があるのだ。
しかし、「風評被害」と言った言説を垂れ流す連中にそうした事実は重要ではない。
害があるなことなら連中にもわかりきっている。
連中にとって重要なのは、はっきりした事実ではなく、両論併記的記述が醸し出す世の中の雰囲気の方である。
つまり、害があるという説と、ないという言う説の両方を、同時に聞かされた時の人々の反応である。
こうした場合の人々は、ただテレビの前にぽつねんと座って、専門家同士の論戦を蚊帳の外で聞かされる
だけなのである。自分たちが直面している切羽詰まった現実問題がいつの間にか専門家の論争の議題になり、
人々から取り上げられてしまう。
そしてその間にも、3.11がそうであったように、現実に迫りくる放射性プルームに何の対処もできない
まま、人々はただのみこまれてゆくのである。
これは繰り返しである。
今また繰り返されている。
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自分自身と直接かかわることができるのは自分だけである。
自分に関することだけが唯一自分の仕事である。
自分のしたことに対する評価は、実際はその反響である。
自分自身とかかわる術があるときはレーダーみたいに使えるが、
自分自身と関わる術がないと、その反響もただの騒音と区別がつかない。
騒音にかき消されて、自分の仕事が見えんようになることのなんちゅう多いことか。
自分の仕事をすることにかけては、クモやミノムシのほうが自分よりはるかに上手である。
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福島の人は、沿岸部はもう人が住めないところだと思っている。
東北の人は、福島は人の住めないところだと思っている。
関東の人は、東北は人の住めないところだと思っている。
西日本の人は、東日本は人の住めないところだと思っている。
外国の人は日本はもう人の住めないところと思っている。
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