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責任の取り方

俺は責任と言う言葉が嫌いです。
 
なんでかと言うとそれはスローガンと同じく、フィクションだからです。
 
それも呪詛がかった気持ち悪いフィクションだからです。
 
なんでフィクションかと言うと、ま、要するに一切の運命を制御することがかなわぬ人間に、その悪い結果だけ重
 
荷として背負わせようとしたとき、そこに何らかの正当性を求めなくては気が済まんだけの作り話だからです。
 
よく企業献金などで不祥事が起こりニュースになったりとかすれば、会社の社長や政治家やらは責任取って辞
 
めるわけですが、それを見ている我々は「ザマミロ」とばかりに溜飲を下げることはできても、この場合の責任と
 
言うものの発生源や最終的な帰属先を決定することなど本来、不可能なはずです。
 
そもそも、ある行為がある行為として立ち現れる要因と言うものには無数のバリエーションがある。
 
例えば同じ窃盗でも、万引き趣味による退屈しのぎの窃盗と、乳飲み子を抱えた貧しい母親がミルクを窃盗する
 
のでは行為が同じでも動機は違う。やってることは同じなのだから責任も同じでないとおかしいのだが、それで
 
は母親が哀れだという。
 
だから、「母親には情状酌量の余地があるが、万引き趣味には厳罰を!」と言うことになる。
 
実際、ここだけを見れば、我々の感情は母親の心情になることはあっても、万引き常習者の心情にはならない。
 
現実には社会的背景が異なる運命の糸が複雑に絡まり合い、いつ両者の立ち位置が入れ替わってもおかしくな
 
いのだけど、こうした人生劇場をを見る観客は我々の感情であっても、断じて想像力ではない。
 
感情はフィクションを現実のものとして取り込むことなど朝飯前。なのですっかり騙されて、歴史は繰り返すわけ
 
です。
 
だから、責任を取らせるなんて言うものはなるべくそれ以上考えずに、(考えてもわからないので)ただ憂
 
さ晴らしとしての効用を珍重しているすぎんのであります。我々はただ政治家や社長が責任をとるというフィクシ
 
ョンに満足しているだけなのです。
 
力でたたき伏せなくてはどうにもならん連中を相手に、こんなフィクションでは話にならんので、エライさんの
 
の処世術に過ぎない責任問題などはホンマどうでもええ。
 
重要なのは、フィクションではなく、東電・清水や勝俣をボコボコにして、こっちがスカッすることであります。
 
反原発の論者の中には、全ての騙された大人にも責任があるから、我々はその責任を取らなければならない、
 
と言う人もいますが、これはその人から全員に向けられた呪詛以上の意味は持たないでしょう。
 
なにせ、誰の手にも負えない物の責任を、全員に持てと言っとるのですから。
 
ただ憂さ晴らしがしたいだけなら、責任うんぬんより酒でも飲んでる方がはるかにましなのであります。
 
そして、清水・勝俣、その他テレビで見たことある御用のおっさん、おばはんを街中で見かけたら必ずボコボコに
 
することであります。こういうことを、大人げないからと言ってやらない大人は結局何にもやらない大人。
 
絶対ボコボコにして必ずムッソリーニの晩年にしてやることです。
 
 では。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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