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何でもそうだが、手に入れたとたんカボチャになる。
若かりし日、恋い焦がれた片思いのあの娘も、女房にしてしまえば、畳の上でブーブー屁をこいてる肉塊である。
思うに、所有とは欲望が生成した後の残りカスであり、ウンコである。
残りカスを後生大事にため込んでおく性癖を所有権と言う。
所有権を主張するもんは、自分がその欲望の所有者だと思っているようであるが、全く逆である。
「自分」なんてもんは欲望が出すウンコにすぎんのである。
「公」だとか「市場原理」とか言うのもウンコ。
ウンコ趣味。
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無題
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「不登校」なるもの。
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「おかげさまで・・」という言葉は感謝にもイヤミにも使える便利な言葉であるが、
どちらの意味で使う時も、そこには隠さなくてはならんもう一つの意図がある。
こいつがせっかくの感謝を台無しにする。
相手が何者であれ、その下心のなさに触れることができれば、自ずと感謝の気持ちもわいてくるけれど、
そこには、おかげさまと言えるようなもんは何もないし、またそのつもりもない。
ただ、そのつもりがないのにオタメゴカシを透けて見せてもらえるは、オネーチャンのパンチラみたいなもんで、
本気で感謝に値する。
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ウソをついた事のない奴なんかおらん。
でも、ウソはついてはいかんと言う決まりになっている。
なじぇに?
たいていの場合、人は自尊心を保とうとするときにウソをつくけど、
ウソが通用せず、結果的に深く自尊心が傷つけられてしまった時のみ、ウソをついた事を深く反省する。
つまり、勤めて正直であろうとする事の動機とは、保身のためのやましさに由来すると言う点で、ウソつきと何に
も変わらないのである。
人は自尊心を保つためなら手段を選ばんのである。
正直であろうとする事は、ウソをつく必要がないと言う事ではない。
じぇんじぇんない。
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姥吉丁虫。
漢字で書かれてもわけわからんウバタマムシ。
松林でよく見かけるけど、最近は全国的な松枯病の影響なのか、めっきり数が減ったように思う。
房総の山奥を沢登りしてたら、こいつが肩にとまってきた。
ザックを下して暫し戯れた。
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「犀のように一人で歩め」。
釈迦は、かく仰せられたれたそうな。
わざわざ、何を思ってか?
お釈迦どんは、自分を慕ってくっ付いてくる金魚のフンが相当ウザかったんやろか。
金魚のフンを狙い撃ちにしたみたいな言葉やと思うけど、そんでもこれはお釈迦どんに言われるまでもなかろう。
結局人間は生まれて来るのも一人やし、死ぬのも一人、その道中に他人と関わる事が出来るのも唯一手前
一人だけである。
いつ途切れるかわからんような、いつけつまづいて転ぶかわからんような道中を自分一人で歩むしかない。
これは、どうやってもごまかすことはできん事実やから、これが寂しいっちゅうのはナシである。
ここに不満を感じてもしゃーないのである。
いや、むしろ過去の煩わしい経緯も、この地点からみればスッキリするしなんとも身軽になる。
「人生はフットワークさ♪」
と、じゃがたらの江戸アケミも歌ってたな、と思ったのでユーチューブで調べたけどなかった。
つまり、フットワークはネットワークかもしれん。
なんのこっちゃい。
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