「不登校」

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天職。

マーク・トウェイン曰く、
 
”教育とは学校に邪魔されずに身につけなくてはならないものである”
 
なのだそうだ。
 
で、これは恐らく仕事についても同じことが言えるだろう。
 
学校の延長線上にはいつも職業があるのだ。
 
”仕事とは職業に邪魔されずに身につけなくてはならないものである”
 
で、どうだろか?
 
職業に邪魔されず、自分の仕事をする。
 
もうここに、天職を得られなかった不運を悔いる余地はない。

学校と洗脳。

 
学校に行くと洗脳されて馬鹿になると言う説がある。
 
 
これは一見、学校教育の対極をなすように見えるが、これは学校に行くと賢くなるという説の変種であり、同じ物
 
 
をその信仰の起源に持つ。
 
 
両者はともに相手の行為を洗脳と呼び、自分の行為こそを教育と呼びたがるのであるが、
 
 
まるで自らの暴力を法律と呼び、個人の暴力を犯罪として取り締まる天下国家の厚顔無恥とよく似ている。
 
 
たしかに、学校教育が洗脳である事は間違いない。
 
 
が、一度受けた洗脳を解くには、また別の洗脳が必要であるのも間違いない。
 
 
また、実際それが洗脳である事にさえ気づかなければ、大部分の人々にはなんて事もない問題であると言うのも
 
 
間違いない。
 
 
人間は教育される事より、自らの生きる環境をうまく取り込んで工夫する能力の方に、しっかりとした手ごたえを感
 
 
じるのであるから。
 
 
 
 
 
 
 
 

自由意思。

 
以下は今日の読売新聞の記事。
 
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 青森県の青森南高校の男性教諭が今月2日、受け持っている1年生のクラスの球技大会の成績を間違った生徒会の会長らに、クラス全員の前で土下座させていたことが5日、学校関係者への取材でわかった。

 同校は詳しい経緯を調べている。

 複数の関係者によると、生徒会は1日にあった校内球技大会の予選後、男性教諭のクラスが決勝に進むと誤って伝えた。間違いに気づいた生徒会の会長ら3人の男子生徒が教諭に謝ると、教諭は「生徒に土下座すべき」と促した。

 3人は翌2日朝にクラスを訪れ、予選の成績計算にミスがあったことを立ったまま謝罪。しかし教諭は「それがお前らの誠意か」と問い詰め、3人は土下座した。教室内は「やりすぎじゃないか」とざわめいたという。

 学校も土下座した事実を把握しており、同校の小林一也校長は本紙の取材に、「土下座をさせたと言われても言い逃れができない行為。正確な経緯を早急に確認する」と話した。

 教諭は学校側の聞き取りに対し、「本当に土下座するとは思わなかった。自主的にしたのだと思う」などと話しているという
 
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この教諭としては、度下座しろと言ったら自主的にしたのだから、それは本人の自由意思というわけである。
 
 
「そんなものは自由意志ではない」というつもりはない。
 
 
むしろ、それが自由意志とだと言われるものの中身であると思う。
 
 
自分が大きいと感じる力に靡いて泳ぐ以外、能がないのだ。
 
 
この教諭とて、こういうイカレポンチな教育方針を自身の自由意思で獲得したつもりなのであろうが、上司による
 
 
聞き取りと言う自分より大きな力が身に及べば、そんな方針は放り投げて、それこそ自主的に生徒の自主性の
 
 
せいにしている。
 
 
自主性。自由意思。
 
 
どうも言い訳がましくて好かん。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
学校の先生は「本人の頑張る意思」を尊重するのだと言う。
 
 
はへ!?「本人の頑張る意思」ってなんやろう?
 
 
 
 
ウチのガキは水泳が嫌いなのだが、何としても夏休みまでに25メートルを泳るようにならないといけないら
 
 
しく、泳げない子供は夏休み中も学校に行って泳げるまで練習をしなくてはいけないのだという。
 
 
漢字ドリルの書きとりも5回繰り返さないといけないらしく、出来ない子供はやはり夏休み中に学校へ出頭しなくて
 
 
はならない。
 
 
例え、本人から頑張る意思がみじんも感じられなくてもそうするのだが、その場合の理由としては、なななナント、
 
 
「頑張る意思を育てる」のだそうな。
 
 
 
 
よっしゃ。ならば、質問してみよう。
 
 
もし、本人が「学校へ行かない」と言うようになったら先生方はその意思を尊重するのだろか。
 
 
その場合、先生方は子供が学校へ行かない生き方の方へと「頑張る意思を育てる」のであろうか。
 
 
断言してもええ。
 
 
そんな先生は学校にはおらん。
 
 
学校には学校の方針(お上の方針)を尊重する先生はおっても、子供の意思を尊重する先生などおらん。
 
 
先生はウソつきである自分に無頓着で、なおかつそのウソで子供を苦しめることには大変寛容である。
 
 
学校ではあくまで学校の方針に沿う形でのみ、選択肢が示され、選択の自由が与えられる。
 
 
でもって、ここではこれを自由意思と言う。
 
 
しかし、この選択にはいつも順位があって、周りから良いように思われたければ、ここで示される上を目指さなくて
 
 
はならんようになっている一定方向への自由意思である。
 
 
こうなると、選ばされた順位から落ちこぼれるのも自由意志の結果になる。
 
 
この先、大人になって低収入なまんま一生を終えても、それは自助努力が足らんかったからだと言うことになる。
 
 
囲い込まれ、駆り立てられる事に疲れる事も許されないので、ひたすら「頑張れ!頑張れ!」とお題目を唱えられ
 
 
てハゲマサれ続けるである。
 
 
ゴーモンやな、こりゃ。
 
 
 
ガキの頃、学校辞める時に周りの大人から「将来、絶対後悔するぞ」と忠告されて、漠然と不安になった。
 
 
取り越し苦労やったけど。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
相も変わらず、世間の不登校撲滅キャンペーンがかまびすしい中、
 
 
ちょっと前に今上裕仁の息子の明仁どんのお孫さんのI子さまが不登校になられたとかいうニュースがあった。
 
 
いつも思うけど、学校に行かん事が問題として扱われる風潮は、まるで公害問題みたいである。
 
 
工場が公害を排出してはいかんみたいに、学校は不登校を排出してはいかんのである。
 
 
不登校はCO2か何かみたいな扱いである。
 
 
ロイヤルファミリーもCO2か工業製品のどっちかにならんといかん。
 
 
ご愁傷様や。
 
 

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