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<教育>
一般的な知識や、技能の習得、社会人としての人間形成を目的としておこなわれる訓練。
狭義では学校教育を指す。
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辞書には書いてないけど、教育とは単にクソエゴである。
高尚ぶった、わざとらしいエゴの押しつけ以外の何でもない。
教えられる人間がいると考えるのはただの人間不信である。
教育とは例外なく人間不信の賜物だ。
手前の内部に前提する不信感には極めて無頓着で、そのくせ高尚な理想だけは声高に叫ぶ。
これがクソエゴでなくてなんであろうか。
たとえば、よく耳にするこういう主張。
”子供は声を上げることもできない弱い立場”
”まだ自分で物事を決定できない立場”。
こう言う主張をする人も、子供に教育が必要であるという立場を崩さんのはケッタイである。
声を上げることも自分のことも決められんのなら、子供が自ら「教育を受けさせろ」ともいえんや
ろがちゅうの。この手の論法は手前勝手なパターナリズムを肯定する論拠としてよく持ち出される
が、しかしなんでそれがお前の信じる理屈やないとイカンのかという論拠には全然なっとらんので
ある。
しかし、ホンマに子供は自分の事が決められんのやろか?
ホンマに、大人は自分の事を自分で決めてるのやろか?
自分のことを決めるのに、大人と子供をあえて区別する意味あんのやろか?
何も決められない個人に大人と子供の区別が必要か?
例えそれが何も決められない国家でも同じではないか。
ここであえてする区別とは持論を開陳するうえでの恣意的な区別でしかないんとちゃうのか。
俺は小学校を辞める時に学校の先生とクラスメートに決別文を書いた事があって、その時に
「俺は鎖に繋がれたまんまの犬みたいな生き方はしとうない」と書いた。
糞ダサい表現ではあるが、今でもその気持ちはそのまんまである。
子供は何も決められんと言う人よ。
俺のこの時の気持ちがあんたにわかるか。
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