「不登校」

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先の一文にて、「生きること」と「生活すること」は違うと書いた。生きるとは、自分の人生を、太く短

く、あるいは細く長く、自分で決めて謳歌することであるが、生活とは、本来それに伴う二義的な手段に

すぎない。


しかし我々は、いつの間にか生活することによって、生かされているものと思うようになり、生活が困窮

する事で首を吊るというような、全く転倒した人生観を持つに至った。結局は学校へ行くということも、

第一には将来の「社会生活」のためであり、「社会」へとつながれた「生活」という生命維持装置がなく

ては、生きてゆけないものとして語られ続けている文脈の上に、学校への「登校」が存在するのである。

したがって、「不登校」とは社会へとつながれた生命維持装置を外された者たちであり、彼らが生命維持

装置を受け入れないのならば、むしろ彼らが生きる気力を失っていてくれたままの方が、学校側には都合

がよいのである。

しかしながら、この「生活」という生命維持装置は、明らかに人為的なシステムであり、無くても死ぬこ

とはないのである。そして、そのことを実感できる立場にあるのが「不登校」の扱いを受けている者たち

であろう。そう、二義的な手段など選ばなければ、人間いくらでも生きてゆけるのである。

最後になるが、詰まるところ生活とは、人間にとっての最大級のアキレス腱であるばかりか、絶え間ない

不安の源でもあり、この種の不安こそ、ひいては権力者に、民衆への見えざる生殺与奪権をもたらすので

ある。なので、学校側の文脈で語られる「社会生活」などは、実はでっちあげに基づく脅迫に過ぎず、こ

れからの「不登校」の者たちは、反逆者を自覚し、エンコーでもオヤジ狩りでも、引きこもりでも難なく

こなして、生きるための手段を選ばないように。

「不登校」とは、俺にはなじみのない言葉である。学校に行ってないこの俺がである。なぜなら俺の時代

(80年代中期)にこういう呼び方は、まだなかった。もっぱら「登校拒否」が一般的な呼び方であった

が、まだ世間の認知度は低く、当時の登校拒否は、ほとんど精神異常と同義であり、治療の対象とみなさ

れて哀れに思われるか、ただ馬鹿扱いされるか、そのどちらかを選ばされた。



俺は小学三年で学校が嫌になり、幸い親の理解を得て行くのをやめてしまった。当時の俺は「はだしのゲ

ン」というマンガが大好きで、この頃から、このマンガを通して「生きる」という事と「生活」をする事

は違うのではないのかという事を、何となく感じとっていた。このマンガは反戦反核マンガの代表のよう

に言われているが、そうした思想上の問題だけにとどめていたのでは、このマンガの価値は推し量れない

だろう。少なくとも俺にとっては学校に行かない生き方のヒントは、焼け野原の広島を舞台に、孤児院を

脱走した浮浪児が、やくざを殺したり、賭場荒しをしながら生きてゆく、このマンガの中にあったのであ

る。



さて、「不登校」についてである。「不登校」という言葉から連想されるものとは何か、例えば不健康、

不健全、不完全などがある。「不」のつく方には必ずマイナスのイメージがついて回る。しかも、「不登

校」の場合は、登校拒否とは違って意志するところの明確な主体がなく、つまり自分を決定する意思を持

たない存在としてのみ、唯一決定づけられているのである。手っ取り早く言えば、登校拒否にはまだ拒否

する者の意志が存在する余地があったのだが、事が「不登校」に至りて、その意思さえも奪われたわけで

ある。つまり完全にとどめを刺されたのだ。では誰がとどめを刺したのか?

当時の文部省を中心とした教育行政が刺したのである。また、「不登校」を受け入れた民間の学識者連中

も登校拒否を殺した殺人幇助に等しい。こいつら全員死にくされである。かくして学校に行かない人間

は、去勢され、隔離され、悲鳴を上げることさえ叶わず、ひたすら己を否定するしかなくなり、図らずと

も「不」と言うマイナスイメージの中に自ら幽閉され、学校が作りだした構図の中に回収されていったの

ある。


要するに「不登校」は学校の補完物であり、この腐ったポリバケツの中に有象無象をぶちこんでは去勢し

て無害化する装置なのである。この装置は学校にとってこそ必要なのであり、俺や、学校に行かない人間

にとっては本来、百害あって一理もない代物なのである。ここのところは何百万回でも繰り返し主張した

い。俺は断じて「不登校」などではないし、そんなもん一切認めん。

では、登校拒否なら良いのか?これは微妙なところである。「不登校」と「登校拒否」。この二つを別の

ものに置き換えて考えてみよう。「カレー味のうんこ」と「うんこ味のカレー」。

俺としては、うんこ味でもカレーはカレーである。つまり、「不登校」よりは「登校拒否」を選ぶ。

しかし、まだ問題は残る。それは、なぜ俺はここで、「うんこ味のカレー」と「カレー味のうんこ」を選

ばなくてはならんのか?なぜ、食いたくないものばかり食わされるのかという問題である。

この問題については、今後触れてゆきたいと思うのである。

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