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「おためごかし」という言葉をご存じだろうか?ご存知の方でも、日々、日常的に耳にすることは、あま
りないのではないだろうか。この言葉の意味するところは、相手や、周りのためにすると見せかけて、実
は自分自身の利益を図る行為をさす。たとえば、「お前のためを思って言ってるんだ!」というやつがい
たとして、そいつがそう言うことで、相手よりも優位にいる自分の立場に酔い、自分が満足することを
第一に求めていたならば、これはもう、「お為ごかし」である。
誰でも自分の親なんかに、「勉強しなさい!」などと、しつこく言われた時に、この、「お為ごかし」を
少なからず感じたことがないだろうか。
人間本性の様子を、端的、明快に、言い表した言葉は、そんなに多くはないだろう。「お為ごかし」は、
そういう意味で、非常に貴重な言葉であるにもかかわらず、なぜか廃れてしまい、あまり知られなくなっ
た。俺はこの「お為ごかし」という言葉に並みならぬ愛着を持っており、この言葉を復活させる事は、人
間の洞察力の復活であり、佐渡島でトキを復活させるよりも、はるかに意義があるものと確信している。
いきなりだが、「お為ごかし」のいちばん深い意味を求めるなら、まずこう考えてみよう。
「お為ごかしじゃないやつとはどんなやつ?」
結論から言うと、そんなやつはいないのである。人間は、何かの「ため」といってるときには必ず、お為
ごかしになっているのである。つまり、人間は生きている、生きる「ため」に何かをしているのであり、
「ため」とは、意味であり、目的である。我々は、意味や目的を追ってる間中、お為ごかしなのである。
この辺をもう少し説明すると、「お前のためを思って言ってるんだ!」と言ってる時に限らず、人間は、
常に何よりも自己満足を求めており、仮にほんとに相手のことを心底考えていたとしても、それが相手の
ためならば、何より自分が満足なのである。でもって、それは、相手の「ため」という形をとっているの
以上、結局お為ごかしなのである。たとえば、「自己犠牲」というと何やら尊い気がするが、同じことで
ある。何かの「ため」に自分の命を差し出すのは、自分の命以上の代価である自己満足が、そこから引き
出せるからにすぎない。
つまり人間はみな、自らの心の平安だけを求めており、自己満足を求める衝動だけが、我々の主人なので
ある。しかし、人は「ため」に生きようとするあまり、「ため」と心中するのである。「生活に困窮し
首を吊る」という発想も、生活の「ため」に主人を見失った結果ではあるが、一言でいうと、これもお為
ごかしである。最後に首をつる決断をしたのはまぎれもなく、ご主人様なのだから。
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