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霊・来世@仏教【2-2】 ケータイ投稿記事

 それに、『スッタニパータ』は次のように駆り立ててもいます。
“争論を楽しみ、迷妄に蔽〈おお〉われている修行僧は、目ざめた人(ブッダ)の説きたもうた理法を、説明されても理解しない。/かれは無明に誘〈いざな〉われて、修養をつんだ他の人を苦しめ悩まし、煩悩が地獄に赴く道であることを知らない。/実にこのような修行僧は、苦難の場所に陥り、母胎から他の母胎へと生まれ変わり、暗黒から暗黒へと赴く。死後には苦しみを受ける。”(第276〜278詩。中村元訳『ブッダのことば』1992(第1刷1991、解説年1983)、ワイド版岩波文庫、p.61)
“従属することのない人はたじろがない。しかし従属することのある人は、この状態からあの状態へと執著していて、輪廻を超えることがない。/「諸々の従属の中に大きな危険がある」と、この禍いを知って、修行僧は、従属することなく、執著することなく、よく気をつけて、遍歴すべきである。”(第752〜753詩。同p.168)

 ここに満ちているのは、そう――「輪廻への恐怖」です。
 これは宮崎哲弥さんに限った話ではないのですが、輪廻や生まれ変わりといった事柄に対しては、日本では余り恐怖感情が持たれていなさ過ぎなのではないでしょうか?

 宮本啓一『ブッダが考えたこと』(2004、春秋社)p.3〜4によれば、「仏教は本来、輪廻思想を否定するもの」という考えは、明治以降の迷信打破運動の中で仏教学者らがさかんに表明した見解で、それが今でも日本の知識人層に深く刻み込まれているという経緯があるのだそうです。そして、
“古来、インド人は、因果応報思想を形成した動機からしてもわかるように、輪廻ということについては、もっぱら再死に恐怖に満ちた関心を抱いてきたのである。再生などたいして眼中にはないといってよい。今生を終えるときに死ぬのでも堪えがたいものがあるのに、死を繰り返し延々と体験しなければならないというのは、まさに恐怖そのもの、苦しみそのものである。”(同p.139)
[【2-3】へ続く]

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