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先ず、「リンゴは果物である」とは言えるが「果物はリンゴである」とは言えない、について。
言えると思います。 例えば、次のような質問があったとします。「リンゴ、猫、コンピュータ。この三つのうちで、果物はどれですか?」これに対し、「果物はリンゴです」との回答がなされても、全く自然ではありませんか? また、もし仮に、「果物はリンゴである」が間違いだとするなら、それはおそらく、「だって果物にはミカンとかバナナとか、その他もろもろが含まれるから」でしょう。ならばここでの〔果物〕は、〔果物全体〕を意味することになります。では、この「〔果物〕=〔果物全体〕」の等式を正しいとされた文、「リンゴは果物である」に代入してみると……「リンゴは果物全体である」。そんなわけありません。 ならば、正しいとされた文、「リンゴは果物である」の〔果物〕は、〔果物の一部〕を意味していたのでしょうか?ではこの「〔果物〕=〔果物の一部〕」の等式を間違いとされた文、「果物はリンゴである」に代入してみると……「果物の一部はリンゴである」。間違っている気配はどこにも無くなってしまいます。 次に、「五蘊皆空」「色即是空」は正しいが「空即是色」は間違い、について。 実はサンスクリット原典では、「五蘊皆空」の「空」と、それ以降の「色即是空」「空即是色」等の「空」とでは、品詞が異なっています(涌井和『サンスクリット入門 般若心経を梵語原典で読んでみる』2002、明日香出版社、p.122〜126)。前者が形容詞(s~u:nya。英訳でempty)であるのに対し、後者はそれを名詞化した名詞(s~u:nyata:。英訳でemptiness)。日本語でいうなら前者が〔からっぽな〕であるのに対し、後者は〔からっぽさ〕。漢訳的には〔空〕と〔空性〕という形で区別できるようです。 またシュタインが敦煌の石室から発見した般若心経では、「色即是空」の「空」も形容詞のs~u:nyaとされており、沙門智慧輪〈ちえりん〉による訳出(847〜859年)でも「色空空性是色」とされているそうです(中村元、紀野一義『般若心経・金剛般若経』1983(第1刷1960)、岩波文庫、p.26)。ですから、元々の原典でもこうだった、という可能性も否めないでしょう。 [【3】に続く] |
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