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《事実》の錨を。

宗教関連

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 細かいことのようですが、この「〔空〕(s~u:nya)か〔空性〕(s~u:nyata:)か」の違いでもって、般若心経の受け取られ方は大きく変わり得ます。

 なぜなら、〔空〕は体験・観察的な描写なので「色」かどうか諸説アリですが、〔空性〕はそれに名詞化、つまり抽象・観念的操作のための「色」化を施した対象物ですので、きわめて「色」です。

“美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない。”(小林秀雄『当麻』。『モオツァルト・無常という事』2008(第1刷1961)、新潮文庫、p.77〜78)

 ですからその違いを識る者にとっては、このお経の前半は「こうした言語による安易な抽象化の招く、言葉や思考の暴走と、その絶望的帰結」そのものを論証している、戒め的箇所に映るはずです。「『空』さえ体得すればじゃな、たとえお釈迦さまの唱えた真理とて、みな『無』じゃよ」的に悦に入るための箇所だなんて、思えない。
 そしてそう捉えれば、後半冒頭の一文が「菩提薩タ〈ぼだいさった〉(菩薩。前世のお釈迦さま。さとりを求める者、求道者)は心にケイ礙〈けいげ〉(覆い)がない」、ではなく、「ケイ礙がある」とする版も存在する事情も理解可能となります。日本で知られている玄奘訳は「ケイ礙ない」派ですが、マックス・ミュラー本や法隆寺写本は「ケイ礙ある」派です(中村元、紀野一義『般若心経〜』p.4の6行目6分の2付近、p.32〜33)。
 「志も知識もちゃんとしてるけど、でもまだ頭でっかちだよね」、と。そんな話の流れだとすれば、これに続く「ケイ礙がなければ涅槃に入る。仏の、この上もないさとりに……」という意味の下りとの対照性が生まれ、文章が「語り」として、より整合した文脈を得ます。

 最後に、呪文なんてお釈迦さまの禁じた神秘主義だ、について。
 そもそも「呪文(mantra)=呪術」、という関係は、必ずしも成立しません。
 『世界大百科辞典』「真言」項(1992(初版1988)、平凡社)によれば、マントラは本来ヴェーダ文献の主要部分(サンヒター)を形成する賛歌あるいは呪句を指し、語としては√man(「思考する、崇拝する」)と接尾辞tra(「用具、手段」)で構成され、「それをもって思考する、あるいは崇拝するところのもの」という意味を有する、とのこと。
[【4】に続く]

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