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次に、「仏法僧」の三帰依文をマントラと見做すのは問題か?について。
少なくとも、テーラワーダ仏教においてもやはり、問題ではないようです。 (自分を破壊する「妄想」を)“制御する方法は、とても簡単です。それは頭の中に、自己破壊的な、役に立たない、どうでもいい妄想が浮かんできたら、すぐに「生きとし生けるものが幸せでありますように」と、この呪文を唱えることです。”(A・スマナサーラ『幸せを呼ぶ呪文』2009、国書刊行会、p.87) “仏教の世界では、そういう呪文はたくさんあります。/呪文といっても、いわゆる世間で言う呪文ではないのです。怪しげなものではありません。自分の妄想が仇敵だから、その敵を追い出す方法なのです。/私はパーリ語のことばしか知りませんけど、いろいろあります。/たとえば、次のような仏・法・僧という三つの宝に帰依する「三帰依」のことばがあります。(中略。「ぶっだん・さらなん・がっちゃーみ、だんまん・さらなん・がっちゃーみ、さんがん・さらなん・がっちゃーみ」が続き、)これは、いろんな節で唱えられます。だからみんな、歌ったり、頭で念じたりして楽しむのです。/仏法僧の念を頭の中に留めると、あらゆる悩みや問題が消えてしまうのです。顔にはまた、忘れかけた笑顔が戻って、なにごともうまくいきます。”(同p.92〜93) “「生きとし生けるものが幸せでありますように。生きとし生けるものが幸せでありますように」/と、ただこころの中で回転させる。/それだけのことで、なんのことなく人生が幸せになっていきます。病気も治ります。よく寝られます。朝起きると、ほんとに疲れが取れています。なにもかも、うまくいきます。/考え始めるとまた疲れてきますから、そのときまた、この呪文を回す。自分を守るお守りを回す。”(同p.95) マントラと見做してOK――どころかもう、ばっちり「呪文」「お守り」とか呼んじゃっておられます。 でも、これはスマナサーラさんのご矛盾ではないと思います。「仏教的目的に沿ったマントラ」なら、それは容認されても不思議ではありませんから。 そしてこうした受容形態においてこそ、般若心経は日本で広く親しまれて来たのではないでしょうか? ゆきゆきて あなたへゆきて ゆきみちて ほとけのさとり ありがたきかな(ー人ー)… |
宗教関連
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本来、真言〔マントラ〕は、密教に由来するもので、仏教と言うよりは、バラモン教が元です。ですから顕教の教えには無いモノです。
2010/5/12(水) 午後 1:43 [ 短足おじさん ]
コメントありがとうございました。私も短足です。
基本的に、私は諍いや仲間割れのタネになりさえしなければ、マントラが(で)あろうが無かろうがどちらでも良い、という気持ちを本音にしてこの記事を作成しました。
しかし、そのこと自体が逆効果だった…ですか?でしたら私が致りませんでした。大変申し訳ございません。
m(_ _)m
ウチに(の)はマントラなんか(じゃ)ない!等とお感じになられたかた、あなたが正解です。私の記事は、単なる無知の雑音。
他者を傷つけるような言動にさえ繋がらなければ、それこそが全くの大正解かと愚考致します。
2010/5/12(水) 午後 5:30 [ ujiin ]
と…書いておきはしたのですが、短足おじさんさんのブログ並びに他ブログへのコメント等をブログ散歩中に少々拝読した限り、違うご対応をしておいたほうが誠実だったのかも…と感じましたので、それを以下に。
「マクド(マクドナルド)は関西の言葉。関東ではマックと言う。従って、関東にマクドナルドは存在しない」
うそーぅ!???、というような議論が(悪い喩えだったかもしれませんが)私の記事の眼目です。
でも、各語には個々の思いや体験、思想、文化等が込められてあり、それを侵害するのは無礼なこと。ですからそれをしてしまっておりましたら、何卒ご寛赦下さい。
2010/5/16(日) 午後 0:08 [ ujiin ]
大乗仏教内のカテゴリー密教は確かにバラモン系列の考えです(神様崇拝←別に悪いことじゃない)
お釈迦様は、自分の教えには何ら関係無いとして、祈祷祈願などの行為は禁止されております・・・自己の目指す場所に行き着くのには無関係だ!と言うことです・・・しかしお釈迦様も神様の一人であるブラフマン(梵天)←バラモン教最高神に、〔シッダールタよ、その考え方(価値観)を皆に教え広げなさい〕と説かれいますので、神様もすごく大事ですよね!人は神の子なんて申しますし・・・・以上
IDも無い通りすがり僧でした
2010/9/17(金) 午前 11:07 [ アッサジ ]
アッサジ様
貴重なコメント、誠に有難うございました。
はい。神様も大事だと、私も思っております。
と申しますより、誰かが大事にしている(特に尊いと思われる)何かを自分が(特に理解のための努力も大して払わずに)大事にしないという行為や判断そのものに、何かが決定的に違うと感じやすい体質だ、といった処でしょうか…
まあ、その程度の人間が書いた、単なる駄文でした^^;
どうもお目汚し致しました
m(_ _)m
2010/9/17(金) 午後 10:13 [ ujiin ]