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また、宮台さんによる前述(【11-2】)の「小泉フィーバーしたのはギャル」発言にしても、以前はその「犯人」集団を「都市的弱者(都市型保守、ヘタレ保守)」とし、具体例として“非正規雇用やシングルマザー”(宮台真司、宮崎哲弥『M2:思考のロバストネス』2006、インフォバーン、p.262)を挙げておられたのに、もうぐちゃぐちゃ。
これは何も宮台さんに限った話ではなく、他のメディアや識者の方々の多くも、この選挙を機に発言の投げやり度を決定的に深めた気がします。何でも「格差」や「二極化」に議論が落とし込まれるという風潮がそうでしたし、またそこから先の思考が要されても結局は「それは頭がおかしいから」(を各事象の具体背景からの妄想でソフトに包むだけ)か「政府のせい」で済まされる、という知的怠慢がそうでした。 もっとも、これは「我々知識階層の声が有権者らに全く伝わっていない!」というヒステリー反応のようなものだったのかも知れません。しかしだからといって、別に彼らが印刷・放送メディアの前線から撤退したわけではありません(福田和也さんは例外的に、『週刊新潮』での政治的発言を一時封印されましたが)し、むしろエスタブリッシュメント側の一員としての自覚を強めただけにも映りました。 ともあれ、2005年9月の衆院総選挙で小泉自民党を圧勝させたのは、フリーターやニートのような「下流」の若者である――との分析は、単なるデマだったようです。マスメディアは大衆的狂気を作りました――ただし現実に選挙結果に反映する形で、ではなく、事後的な(誤‐恣意)分析による承認という形で、あくまで仮想的に。 そこから議論が進んでいれば、今の言論空間の景色も少しは変わっていたと思うのですが、いかがでしょうか。 ※なお、当稿は特定の社会層に対し、その05年郵政選挙での投票行動への責任を問うものではありません。そうした目的を有する情報への一般論的検証こそが主眼です。 |
05年総選挙関連
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しかし、【05年小泉フィーバーの犯人さがし9】でも軽く触れましたが、小選挙区制の影響というのは本当に、強烈。小選挙区での獲得議席割合を、前回(09年)総選挙で自民党は73.0%から21.3%まで急減させ、民主党は17.3%から73.7%まで急増させましたが、しかし得票率で見れば、自民党は47.8%から38.7%まで減らし、36.4%から47.4%まで増やしただけです。先の対市民レミング視に倣い、投票者間では「自民→民主」という流動しか生じていなかったと仮定するなら、その流動を担ったのは全投票者のたった1割程度に過ぎません。両年とも投票率は7割程度でしたから、つまりは全有権者の内の、わずか7%程度。たったこれだけの流動が議席数上では5割程度もの流動へと増幅され得るのですから、日本がいくら「バランス感覚」に優れた有権者揃いだったとしても、議席数上での雪崩現象を喰い止めるのは殆んど不可能でしょう。
小選挙区制がある以上、もはや「議席状況を有権者意識のダイレクトな反映と見做す」という行為自体を放棄すべきなのではないでしょうか。さもないと、個々の市民から見た市民の全体像はますます怪物じみたものとなって行ってしまい、それでは不毛で不健全です。 もっとも、印刷・放送メディアでは、前回総選挙での民主党圧勝の主因を小選挙区制とする積極的な論調も、けっこう展開されました(例えば、TBSラジオ『デイキャッチ』出演の小西克哉さんや、09年11月号『情況』p.38での二木啓孝さんによる概説)。今後はこうした視点が本格的な主流となることを期待したいと思います。 [【11-4】へ続く] |
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なぜ今さら、敢えてこのような検証を提示させて頂いたのかというと、この際に示された印刷・報道メディアや識者の方々の混乱が、いまだに言論状況への影響をかなり及ぼしていると感じられるためです。
例えば、前回(09年8月)の衆院総選挙での民主党圧勝に対し、香山リカさんは“今回の総選挙が本質的に重要だったことは明らかです。政権交代には必然性があったと思います。でも、有権者の投票の理由には、エモーショナルな部分が大きかったのではないか。”;“今は、風が向いている方向に人々が雪崩をうって流れる傾向が強まっています。”と述べ(09年9月4日付『朝日新聞』朝刊)、岸田秀さんは“小選挙区制という制度の影響もないわけではないが、ここまで極端に右から左へと振れるのは尋常ではなく、病理の進行を窺わせるのである。”(09年12月16日号『SAPIO』p.27)と述べ、また宮台真司さんは選挙の盛り上がりに違和感は無かったかとの問いに対し“違和感はありません。”(09年11月号『情況』p.54);“国民に馬鹿が多ければ、民主制でない方がいいに決まっています。日本の場合はマジで民主制でないほうがいいかもしれない。”(同p.54);“今回の選挙でも市民団体が「投票に行こう」運動をやっていたけれど、問題です。二○○五年郵政選挙で自民党が大勝ちしたのは、普段選挙に行かないギャルが選挙に行ったから。「アホは選挙に行くな」運動のほうがはるかに建設的です。”(同p.55)と述べています。 つまり05年総選挙時に社会的コンセンサス化した(させた誤)分析――近年の日本市民(特に「若者」、「下流」、「フリーター・ニート」)へのレミング視――の延長線上に、現在の政治状況の展開がまだ位置づけられています。 [【11-3】に続く] |
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2005年9月の衆院総選挙で小泉自民党を圧勝させたのは、フリーターやニートのような「下流」の若者である――という分析と、その変奏への反証をこれまで、紹介させて頂いて参りました。
改めて反証の要約を並べると、 ●このような分析が放送メディアで流出したタイミングが早過ぎる(【05年小泉フィーバーの犯人さがし1】) ●『週刊文春』アンケート結果はこのような分析との矛盾を感じさせる(【2】) ●「フリーター・ニート」単独で小泉自民党を圧勝させるのは人口規模からいって不可能(【2】) ●東大朝日共同世論調査は明らかにこのような分析と相反する結果を示す(【3】) ●『下流社会』データもきちんと見ればこのような分析を支持しない(【4】) ●『下流社会』データへの統計学的検定もこのような分析を支持しない(【5】) ●『下流社会 第2章』データもこのような分析を支持しない(【6】【7】) ●「フリーターやニートのような『下流』」の箇所を「投票デビュー者」と言い換えてもこのような分析は支持されない(【8】) ●そもそも自民党投票率の増加はほぼ全世代的現象である(【9】) ●「フリーターやニートのような『下流』」の箇所を「テレビをよく観る人」と言い換えてもこのような分析は支持されない(【10】) となります。 けっこう沢山あるほうなんじゃないかと思います。通しで読んで下さったかた、お疲れさまでした!そして、本当にありがとうございます。 それで、ではこの分析を支持するようなデータはというと……無い、んではないでしょうか。私には見つけられませんでした。もっとも、企業や政党等が独自に行なった世論調査でそうした結果があった、という話なのかも知れませんが。でも反証もこれだけありますので、もはやそれのみで下した結論を鵜呑みにするわけには行かないでしょう。 [【11-2】に続く] |
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ところで、05年総選挙に関して「メディアが犯人」とする視線は新聞のみならず、多くの他メディアや識者の方々の間でも過熱していました(だから『朝日新聞』だけが今から見るとちょっと変態ちっく、というわけでは全くありません)。
その原因のひとつとして無視できないのは、やはり『郵政民営化・合意形成コミュニケーション戦略(案)』の存在でしょう。竹中平蔵大臣(当時)が自身の親しい知人の経営する「スリード社」へ要請して作成された選挙対策の企画書(で、竹中大臣へのキックバック問題も浮上した)とされるもので、そこにはIQ軸と構造改革軸が直行して描かれ、IQ「Low」、構造改革「POSITIVE」に位置する「Bグループ」(主婦層&子供を中心、シルバー層。具体的なことはわからないが小泉・小泉内閣のキャラを支持)こそを選挙ターゲットとすべし、と提言されていたそうです(香山『テレビの罠』p.101。他のところで何度か読んだ記憶のある話なのですが、出典が今、手元で定かな本はこれだけなので、すみません……じゃなくてありがとうございました、香山さん!)。私からするとコレ、何んだかとってもショッカーじみた発想に映るんですけど…… この戦略が効を奏したために小泉自民党の圧勝が起きたのだ、というシナリオに、大手メディアも多くの識者の方々も、積極的に「乗った」――実際に効果が確認されたからその戦略の威力を「認め(させられ)た」のではなく、効果の有無は不明ながらその戦略に強い説得性を覚え、だからその戦略の作成者が夢見た台本が現実に起きたこととするような、「現実」側からの承認を与える役回りを引き受けるというオプションに、「乗った」――のだと私には見えました。 そして、なぜ彼らがそこに「強い説得性」を覚えたかといえば、それは結局はその戦略作成者と「同じエスタブリッシュメントとして同質な世界観を共有しているから」であり、そして哀しいかな同時に、「現在のエスタブリッシュメントは急速にリアルへの関心を失っており、また実際リアルを捕捉する知力も胆力も低下させているから」――なのだと私には感じられてなりません。 以上、今回をもちまして、「小泉フィーバーしたのは若年下流(フリーター・ニート)」との分析への反証のご紹介は、一応の終了とさせて頂きます。 次回は、これまでのまとめを述べさせて頂きます。 |





