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Departure 〜舟の時節〜 ケータイ投稿記事

“生といふは、たとへば人のふねにのれるときのごとし。このふねは、われ帆をつかひ、われかぢをとれり、われさをさすといへども、ふねわれをのせて、ふねのほかにわれなし。われふねにのりて、このふねをもふねならしむ。この正当〈しょうとう〉恁麼〈いんも〉時を巧夫〈くふう〉参学すべし。この正当恁麼時は、舟の世界にあらざることなし。天も水も岸も、みな舟の時節となれり、さらに舟にあらざる時節とおなじからず。このゆゑに、生はわが生ぜしむるなり、われをば生のわれならしむるなり。舟にのれるには、身心〈しんじん〉依正〈えしょう〉、ともに舟の機関なり。尽〈じん〉大地・尽虚空、ともに舟の機関なり。生なるわれ、われなる生、それかくのごとし。”
(道元『正法眼蔵〈しょうぼうげんぞう〉』「全機〈ぜんき〉」より。増谷文雄全訳注『正法眼蔵(四)』2004、講談社学術文庫、p.269)
 次に、「仏法僧」の三帰依文をマントラと見做すのは問題か?について。
 少なくとも、テーラワーダ仏教においてもやはり、問題ではないようです。

(自分を破壊する「妄想」を)“制御する方法は、とても簡単です。それは頭の中に、自己破壊的な、役に立たない、どうでもいい妄想が浮かんできたら、すぐに「生きとし生けるものが幸せでありますように」と、この呪文を唱えることです。”(A・スマナサーラ『幸せを呼ぶ呪文』2009、国書刊行会、p.87)
“仏教の世界では、そういう呪文はたくさんあります。/呪文といっても、いわゆる世間で言う呪文ではないのです。怪しげなものではありません。自分の妄想が仇敵だから、その敵を追い出す方法なのです。/私はパーリ語のことばしか知りませんけど、いろいろあります。/たとえば、次のような仏・法・僧という三つの宝に帰依する「三帰依」のことばがあります。(中略。「ぶっだん・さらなん・がっちゃーみ、だんまん・さらなん・がっちゃーみ、さんがん・さらなん・がっちゃーみ」が続き、)これは、いろんな節で唱えられます。だからみんな、歌ったり、頭で念じたりして楽しむのです。/仏法僧の念を頭の中に留めると、あらゆる悩みや問題が消えてしまうのです。顔にはまた、忘れかけた笑顔が戻って、なにごともうまくいきます。”(同p.92〜93)
“「生きとし生けるものが幸せでありますように。生きとし生けるものが幸せでありますように」/と、ただこころの中で回転させる。/それだけのことで、なんのことなく人生が幸せになっていきます。病気も治ります。よく寝られます。朝起きると、ほんとに疲れが取れています。なにもかも、うまくいきます。/考え始めるとまた疲れてきますから、そのときまた、この呪文を回す。自分を守るお守りを回す。”(同p.95)

 マントラと見做してOK――どころかもう、ばっちり「呪文」「お守り」とか呼んじゃっておられます。
 でも、これはスマナサーラさんのご矛盾ではないと思います。「仏教的目的に沿ったマントラ」なら、それは容認されても不思議ではありませんから。
 そしてこうした受容形態においてこそ、般若心経は日本で広く親しまれて来たのではないでしょうか?


ゆきゆきて あなたへゆきて ゆきみちて ほとけのさとり ありがたきかな(ー人ー)…
 先日作成した【般若心経は間違い?は間違い?】という記事の中で、「般若心経の『ぎゃーてー、ぎゃーてー……』がマントラだ呪文だお釈迦さまが禁じた呪術だというなら、『仏法僧』の三帰依文だってマントラでは?」との内容の般若心経擁護も試みたのですが、ちょっとまだ不用意だったのかも――と後になって不安がよぎり、もう少し調べてみることにしました。
 以下に、その結果のまとめを。


 先ず、いくつかの南アジア言語で「マントラ」(に該当する語)が持つ語義を調べたところ、

●ヒンディー語/賛歌;祭詞呪文;呪詞;ヴェーダ賛歌;神秘の句;助言;勧告(土井久弥編『ヒンディー語小辞典』1982、大学書林、p.238左)
●ネパール語/ヴェーダの讃歌の本集、サンヒター;真言;呪文;協議、相談、助言;内密の話、内輪だけの秘密の話(三枝礼子編著『ネパール語辞典』1997、大学書林、p.700左)
●ベンガル語/incantation;spell;charm;hymn or verse(『JOY ADVANCED POCKET DICTIONARY』1998、Joy Books International(Dhaka)、p.504左)
●パーリ語/呪、呪文、呪語、呪術、真言;経典、経文、聖典、聖言、ヴェーダ(水野弘元『パーリ語辞典』1968、春秋社、p.218右)
●シンハラ語/呪文、呪語、呪い、[魔除けの]護符、お守り(野口忠司『シンハラ語辞典』1997(第1刷1992)、大学書林、p.503)

となりました。
 「マントラ」と来たらもう完全オカルト、という感じだったのはシンハラ語のみ。スリランカやその周辺ではこうした語イメージが定着しているのかもわかりません。
 ですが、パーリ語にはやはりポジティブな語イメージが保持されてはいたみたい。スマナサーラさんがこれをご存知ないはずがないので、おそらく――まあ日本の仏教界をちょっとおちょくってみた、というだけだったのかも知れません、あの『般若心経は間違い?』(の前半)は。

 ちなみに、カルカッタで出版されたベンガル語辞典ではポジティブイメージな語義が先に並びます。また私の体験では、バングラデシュの日常会話で「マントラ」といえば、「(古語等なので)意味不明なコトバ」との語義でよく使われていました。
[【2】へ続く]
 以上のように般若心経を理解すれば、別に論理破綻もしていませんし、虚無主義を煽るお経でも、また神秘主義へと誘うお経でもないと思います。《言語すること》の罠、壊滅的危険性を論証し、その微妙さへの常態的な注意喚起を促す、大変コンパクトな、立派なお経です。
 それに、仏教の基本用語が満載なので、何かとおトク。

 よく「ぎゃーてーぎゃーてー はーらーぎゃーてー はらそうぎゃーてー ぼーじーそわかー」のマントラ部分が意味不明だと言われることもあるのですが、それもそんなことはないと思う。掛け声というか、応援というか、声明というか、讃歌というか、まあそんな存在のようなので、多層的な解釈が可能になってはいるのですが、しかしマントラとしては相当イメージし易い、また言葉としての意味の追いやすい部類に入るものと言えます。試しにマックス・ミュラー訳をご覧ください。
“O wisdom, gone, gone, gone to the other shore, landed at the other shore, Sva:ha:!”(涌井和『サンスクリット入門〜』p.46)
 ちなみにsva:ha:というのは間投詞で、祈祷の終わりに用いられる定型句です(日本語なら「幸あれ」、「めでたし」、「弥栄〈いやさか〉」といったところ)。どうでしょうか?真の「智」を祝福する壮大な情熱の波の連なりが、ひたひたと伝わっては来ませんか?


 もちろん、「お経はわからないからありがたい」という立場も、ぜんぜんアリだと思います。これを唱えて瞑想状態になれれば、しめたもの。また心がちょっとでもリフレッシュできたら、それでもう十分ご利益です。
 またもちろん、「空性」(というか「自性からっぽ体験」)から「縁起」へと導かれる立場もアリでしょう。我々大乗は「菩薩の誓願」してるんで、ココで首の皮一枚で「さとり」ません!という反骨な立場だってきっとアリ。
 ただ、それなのに「バっカみたい!キっモいお経〜♪」と嘲弄して来る人がいたら、唱える気半減、もしくは依怙地度倍増ですよね。それでは不健全です。なのでこんな擁護論を書いてみました。
 仏教徒同士の内ゲバなんて、まっぴらごめん。

 なお、繰り返しになりますが、いろいろ偉そうなことを書いてしまいましたが、どこか違っていましたら本当に、ごめんなさい。
 ダライ・ラマ十四世(宮坂宥洪訳)『ダライ・ラマ般若心経入門』(2004、春秋社)p.170でも、“「真言」の語源は、「心を守る」という意味である。”と説明されています。
 また中村元、紀野一義『般若心経〜』p.34にも、(マントラは)“仏教以前に古くヴェーダにおいては、宗教的儀式に用いられる神歌のことであり、(中略)マントラはバラモン出身の修行僧によって教団にも持ち込まれ、ブッダは初めこれを禁じたが、後に毒蛇・歯痛・腹痛等を治癒させる呪は使用を許可した。”とあります。たしかにこれだけですと、「マントラやっぱダメじゃん」となりそうですが、『スッタニパータ』には「ヴェーダの達人」といった表現が非常に肯定的な尊称として(お釈迦さま自身によっても)使用されている箇所が散見される(例えば、第322詩、第459詩、528〜529詩等。中村元『ブッダのことば』1992(第1刷1991、解説年1983)、ワイド版岩波文庫、p.68、p.94、p.112等)ため、「マントラならぜんぶ何が何でもダメ」という形勢にはなかっただろうと思われます。実際に禁じられていたマントラはおそらく、古くはヴェーダとしての権威を認められていなかった、ある種キワモノ的な『アタルヴァ・ヴェーダ』にあるものに限定されていたのでは?『スッタニパータ』でも神秘主義禁止の下りは、次のようにされていることですし。“わが徒は、アタルヴァ・ヴェーダの呪法と夢占いと相の占いと星占いとを行なってはならない。鳥獣の声を占ったり、懐妊術や医術を行なったりしてはならぬ。”(第927詩。同上p.201)
 それに、仏教には「仏に帰依したてまつる、法に帰依したてまつる、つどいに帰依したてまつる」という、三帰依文(いわゆる、仏法僧)というものがあります。『スッタニパータ』には、これをヴェーダ中でバラモンらから特に神聖視される『サーヴィトリー讃歌』になぞらえたと考えられる箇所が存在します(第457詩。同上p.94)し、また05年春・秋号『ヨーガの四季』(日本ヨーガ学会)p.41には、これがばっちりマントラと題して紹介されています。
 マントラといえばおどろおどろしい呪文、という発想こそが、ちょっと違うのではないでしょうか。
[【5】へ続く]

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