身体障害者の自立生活

私は後遺症で左半身麻痺が続いていますが何とか生活しています。

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私が病気を発症した前後のお話しです。
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発症に至った話

私が発病したのは既に触れている様に平成16年11月中旬のある朝6時頃にトイレに起きまだ早いのでもう一度寝床に戻り次に起き様としたら横に転がり起きれませんでした。

手を突いて起き上がろうとしても駄目でした。なにが起こったのか判らず、しかし、これは大事と感じましたが玄関には鍵を掛けチェーンも掛かっているし救急車を呼んでも入ってきて貰えないと意外と冷静に状況を見れていました。

不動産屋が活動しだす朝9時頃まで待って寝床のそばに電話の子機を置いていたので自分で救急車を呼びました。

呼びましたと言っても麻痺しているのでモゴモゴ状態で言葉になりません。119番の人が何とか聞き分けてくれて救急隊員が着ました。

電話で玄関には鍵が掛かっていてチェーンも掛かっていることを伝え、自分では少しも動けずにいたので電話していないと思いますが建物に書かれていた電話番号から不動産屋が呼ばれ鍵を開けて貰いチェーンはカッターで切った様です。

玄関で救急隊員が「入りますよ」って言っていて、私も「ココに居ます」と言っているのですが麻痺で声にもならずに居ました。

当時103kgありタンカに乗せられエレベータが無いマンションの3階から救急隊員が狭い階段を使いおろしてくれました。

私は救急隊員に行き付けの救急病院に連れてってと言いましたが救急隊員は症状から病名が判っていた様であそこは脳外が無いからと別の病院に運んでくれました。

ココまでは覚えていますが後は気が付いたらICUに居ました。

その後の話は私のブログの「関連記事」と言う書庫に書いた通りです。

ここではそれ以前のお話(完全なるカミングアウトかも)を書くことにします。

病名は高血圧による脳内出血です。

発症直前までは巨体は巨体ですが何も困らずやっていましたし、こんなことになるとは全く思っていませんでした。

私の仕事はコンピュータのソフトウェア開発で私自身はマイコン(ボードの世界)から超大型までの経験を持っていたためフリーSEとして会社に属せずジョブ単位で契約を締結し報酬をもらうと言う形式です。

発症時は契約を結んでいず自宅で出来る仕事が無いかと探している最中で仕事を担当していなかったのが不幸中の幸いでした。

私の報酬は月50万以上多い時は80万の時もあり金に糸目もつけず使いまくっていました。

遊びも時間が無く何もしていなかったのでその殆どはパソコン関連と食費に消えていました。

仕事の関係もあり1日12時間以上の労働で食べるものも店が閉まっている時間帯に帰るので24時間営業のスーパー等々で買って済ましていました。

ハンバーガー6個+シェイク4杯

にぎり寿司4人前

焼き鳥40本+ビール

等々

自炊しても

チーズタップリのクラフトピザ2枚

バタータップリのきのこ炒め+ビール

具だくさんの2人前以上のうどんやパスタ類

等々

これには私の恥ずかしがり屋と言う性格が拍車を掛けていました。

コンビニでも弁当1個が買えません。さも、誰かに頼まれて買いに来た如く2個以上買い捨てるわけにも行かず全部一度に食べていました。

気が付くと体重は127kgまでに成っていました。

発症の1年以上前に左薬指の骨の手術で糖尿病だと言われその時は薬で値を下げ手術を行ったのですが、その際に医師に内科に通院し糖尿病を治さないととは言われていたのですが納期のある仕事ばかりで放ったらかしでいました。

この頃から仕事をしていてスーット意識が吸い込まれ寝てしまいそうに成ることが起きました。

さすがにコレではいけないと思った頃、フリーの人間が私の部下に付き、私より巨漢の男でこいつが仕事の最中でも物を食べてたり目を離すと寝ています。

その男を見ていたら自分のスーット意識が吸い込まれ寝てしまいそうに成ることもカロリーの取り過ぎが原因なのではと思いダイエットを目指すことにしました。

それで127kgが発症時103kgまでに成っていたのですが気づくのが遅すぎたのか間に合いませんでした。

発症する数ヶ月前に歩いているとめまいがし、立っていられないほどよろけることがありましたが、その時点でもうおかしくなっていたのかも知れません。それでも何とかなると病院に行かなかった自分が悪いんですが!

食事も過去のことを考えると良く自制できているなと思いますが、私には約1年間の入院と言う期間があり合併症(糖尿病)用の病院食を食べていたので出来ていると思います。

退院後食べた市販のものが辛いと思うほど薄味に慣れていて出された味噌汁もお湯に色が付いている程度のものでしたからそれにカロリーや塩分を取られるなら別に廻した方が良いと味噌汁は飲まなくなりました。

だから、自分は健康だと思っている人が急に医師から糖尿病だからカロリー制限しなさいと言われても無理かもしれませんね!

因みに退院時は病院で運動は麻痺で出来ないので、規則正しい生活と病院食を食べていただけで74kgに成っていましたが今は11kg増え85kg前後を行き来しています。

したがって、主治医から体重を減らせといわれるのも仕方ないのです。

私は一人暮らしで自己管理しかありませんが、やはり、家族と一緒に貴方はこの食事と言うより別部屋に隔離するしかないかもしれません。

ちなみに、医師もビックリするケースの様ですが糖尿病は完全に治っていてそれに関する薬は一切飲んでいません。

入院中に買い食いする患者さんも居ましたが私は病院食以外口にしませんでしたし、退院後もカロリー制限した配食サービスも有ったのですが一週間で余りにも病院食より豪華すぎるので止め、病院食を頭に置きながら自炊を続けています。

おかげで先日の血液検査でも異常値は無いことが判りました。

でも、最近は自分に甘くなって来ているので次の血液検査が心配ですが、逆に基準値内に収まっていれば以前より少し緩めても良いのかなとは思っています。

(3/3)退院後

私のこの病気での退院は厳密に言うと二回になります。埼玉在住時に発病し昨年の6月までリハビリ病院に入院し、施設を探して転院するか身内の側でないと退院させれないと言うことで姉が住んでいる東京都町田市に引っ越しました。
以前にも触れましたがこの引越しで一人暮らしに挫折し、退院時に紹介された病院の初診でまだ通院は危ないのではとのことで再入院させてもらい昨年9月まで追加入院し細かいリハビリを受けました。
退院後、ある程度自信を持って生活することができる様に成っていました。ただ、まだまだで今年の3月まで最低でも月一回転倒していました。転倒するたびになぜ転倒したのか思い出し避けることで今年の3月から不思議と転倒しなく成りましたがとうとう8月に5ヶ月ぶりに転倒してしまいました。原因はその場で右回りで後戻りしようとすると頭がクラクラするようで入院中の原因が判らなかった転倒と同じだったようでこれからは前へ進む様に左回りに回り込む様に気をつけるつもりです。
退院直後は週二回ヘルパーさんに来て貰っていましたが、今は、仕事に復帰できた時のことを考え週一回日曜日にだけ来て貰い自分では出来ない掃除をやってもらっています。
今年の6月からまたリハビリを開始しました。5月の検診で脳外の先生が体の動きが固くなっているとのことで週一回リハビリを続けることに成りました。
退院後から続けている一人暮らしの片手生活で失った左手のこと色々気が付きました。二度目の入院時に腕は元に戻らないと宣告されたのである意味冷静に見ることが出来たかも知れません。
失った左手がやっていた事は、「固定すること」「引っ張ること」「摘むこと」「宙で支えること」等、そして、宙で支えることはできませんが固定することは両端に吸盤を付けた紐で代用し、引っ張ることはおもりで代用し、掴むことはクリップや洗濯バサミで代用することで両手でやっていたこともある程度できる様になり今は余り困らず生活しています。
また、両手でどの様にしていたか忘れたものは、片腕の今、両手でどの様にしていたか再現出来ないためヘルパーさんにやってみてもらいどの様な手の動きをしているかよく観察し何をどの様に代用させれば実現できるか頭を働かせる。ある意味コンピュータのシステム要件分析に近いものが有ります。
私は初めて社会人に成った時から会社は何度か変わりましたがコンピュータ関係の仕事をやっていましたので、退院が近くなったころリハビリの先生から「貴方はコンピュータが出来るので何か病気体験をまとめたら」と言われました。先生はブログか何かを想定していたのかも知れませんが私はどうせなら本を作って皆んなに見てもらおうと原稿を作りました。
最初は紙の本として出版するつもりでしたが写真が多いのため費用が数百万掛かると言うので断念しましたが、ヘルパーさんやリハビリの先生には評判が良かったので何か方法が無いかと探っていると電子出版に行き着きました。電子出版であると費用が十分の一で済むと判りました。結局、写真とページ数の関係から二分割され2冊分掛かりましたが公開することが可能となりました。

(2/3)病院生活

救急車で運ばれた最初の病院ではICUに入れられ、ICUを出ても要注意と言うことでICU近くの病室に2ヶ月チョット居て、その間はほとんど自力では動くことは出来ずほとんどベッドに寝てるだけで平日はリハビリの先生に抱えられて車椅子に乗せられリハビリ室に連れて行かれ手足を動かして貰って2、30分で病室に戻るだけの維持目的のリハビリを続ける毎日で、リハビリ専門病院で受け入れてくれるとのことでリハビリ専門病院の空き待ち状態でした。リハビリ専門病院への転院が決まった頃には車椅子に乗せてもらえれば平地であれば自力で車椅子を動かすとは出来る様になっていましたが左の上下肢の麻痺は残り左目や口の左半分に麻痺が残ったままでした。また、唯一やった、ベッドに腰掛ける練習も5分が限度で直ぐに転んでしまう状態でした。
リハビリ専門病院には約6ヶ月間入院することに成りました。そこでは、と言うより、医療関係者の考え方に3ヶ月間やって見て効果が無ければ続けても仕方ないと言う風潮があるようでしたが私は幸いリハビリの先生に恵まれギリギリの6ヶ月続けさせて貰えました。
転院直後に担当医からは退院しても車椅子生活を覚悟していて下さいとか左腕は治らないとか言われましたがリハビリの先生の言うことを真剣に聞き訓練を続けることにより1ヶ月目で2本の足で直立することが出来る様になり、その後、ベッドと車椅子の乗り移りも自立、車椅子とトイレの便座への移動も自立と自立出来ることが増えていきました。3ヶ月目で装具を作り、脚立を掴んでの歩行、4支点の杖での歩行、一本杖での歩行と足だけは順調に進むことが出来ましたが、それも、退院時には70kg台と減り続けた体重の影響が大きかったと思われます。左手は動かすと痛みが走りお手玉を掴む訓練や雑巾がけの訓練をやっているのですが自分でも動くと言う気がしませんでした。OTの先生は途中から右手だけで生活できる訓練をしはじめましたが私は「多分、片手でもやろうと思えば出来ると思うので駄目な左手を回復させること意外は時間が無駄なのでやりたくない」と逆らって、左手の訓練を退院まで続けてもらうことにしました。当初はSTも受けていましたが先生の人数が患者に比べて絶対数不足しており、自分では上手く喋れていないと思ったのですが「貴方の会話は別に普通に聞き取れるので自主訓練に切り替えます」と口の動かし方を書いた訓練書を渡されそれで訓練することになりました。
このリハビリ専門病院を退院する頃には、他の患者が羨ましがり私を目標にするくらい杖を使って看護師さんの付き添い無しで我が物顔で病棟内を歩き回っていました。
そのリハビリ専門病院を身内の近くに引っ越す条件で退院しました。
しかし、引越し先のマンションが新築に近いため、本来、市区町村の補助で付ける事が可能な手摺等の工事を拒絶されたためまったく何も掴むところが無い部屋に放り出された状態と成っていました。
そこで、初めて、気が付いたことは、病院に居た頃は声が届く範囲に看護師さんが居て、至る所に手摺りが有り、玄関も部屋も区別が無く靴や装具はベッドに寝る際にベッドに座って着脱する等一人暮らしの実生活を意識していなかったことです。
まず、足は歩ける様になりましたがひざまずくことはまだ出来ず、玄関に入っても座って靴を脱ぐことが出来ない、トイレの便座に座ることは出来るが病院では無意識に手摺りを掴んで立ち上がっていた様で、手摺りが無いと自力で立ち上がれないとか、転倒しても一人で立ち上がれる訓練はしたが転倒した際に掴む所が無い所だと立ち上がれない、杖なしではまだ十分歩けなかったため掴む所が無いため部屋の中でも杖が無いと歩け無い等、病院では快調だったのに情けないくらいで自信を失い何も出来ませんでした。

私は、平成16年11月に「高血圧による脳内出血」を発病し救急車で搬送されそのまま入院し手術は行われませんでしたが翌年1月まで入院を続けその後リハビリ専門病院に転院し平成17年6月までリハビリを続け一度退院しましたが生活にまだ不安があり脳神経外科の先生の進言もあり再入院平成17年9月までリハビリを再開し平成17年9月から現在まで一人暮らしを続けています。
実は、病気の兆候は発病の前年からありました。発病の前年に左薬指が軟骨腫と診断され、腰骨を削り指に移植する事態、手術は2、3日有れば良いとのことで早めに手術をして置いた方が後々のことを考えると良いと医師に言われ祭日と土日を使い仕事を休む日を最低限で済む様に計画し手術を受けることにしました。その手術のための検査で血圧が高いとか糖尿病があると言われましたが血圧を下げる薬とかインシュリン注射を前日から行い手術自身は完了しました。退院の日に医師から内科に通院しインシュリン注射を続け高血圧や糖尿病に対応した方が良いと言われましたが腰骨からの移植が思った以上に効いてしまい直ぐに歩けず予定以上に仕事を休んでしまったため医師の忠告を無視しそのままにしてしまいました。
 その頃、私はフリーのSEとしてコンピュータのソフト開発を発注元からジョブ単位で契約し請負いエンドユーザが用意した作業場所で複数の開発会社から来ている大勢の開発者が集まってスケジュールに合わせて担当分けして開発していましたので平凡なサラリーマンであれば上司に相談して通院の許可を得られたかも知れませんが作業場所がエンドユーザ(客先)のため休んだり、遅れて出社すると目立ってしまうのと、複数の開発会社から開発者集まっているのでお互いの意思疎通は無く通院が原因で作業が遅れれば私個人の問題では無く発注元に苦情が上がってしまうのでなかなか言い出せずそのまま仕事を続けていました。
 発病した際は、たまたま、その数ヶ月前からめまいや意識がスーッと遠のく等体調に異常を感じておりエンドユーザの下での仕事の契約延長依頼を断り、自宅でも出来るような新しい仕事を探すつもりで空きの状態に入っていましたので急な発病で入院になっても幸いなことに何処にも迷惑を掛けずに治療に専念することが出来ました。
根本的な発病の原因であった太りすぎと糖尿病も規則正しい入院生活とカロリー、塩分制限された病院食を11ヶ月間続けたことで抑えることが出来ました。今では糖尿病に関する薬は飲まなくて済んでいます。
そもそも、太りすぎも糖尿病もとんでもない食生活を続けていたからです。
私は、仕事上とか誰かのためにならいくらでも強くなれるのですが、こと自分の事に関しては臆病で極端な恥ずかしがり屋でコンビニ弁当を一つだけ買うという事が出来ず、然も頼まれて買いに来たように複数個買ってしまいそれを一度に全部食べていました。
また、コンビニに限らず好きなものである焼き鳥、寿司、ハンバーガーも4人前近く買ってしまい、分けて食べれば良いものなのに一度に食べていました。また、仕事も毎夜、夜遅くまで続くため、店も閉まる時間帯となり、食事は買ってきたものばかり、それ以外に間食でチョコレートを複数箱、コーラはがぶ飲み状態で、休みで自炊する時でもチーズたっぷりの手作りピザにはまり毎回具を代えて食べていたりで体重は最大で127kgを超えていました。
さすがに、後で考えると自覚症状であった、「仕事中に意識が遠のく」「立っていられないほどのめまいが度々起こる」等、自分でもどうなってしまったのかと思うことがありましたが、納期がある仕事を担当していたため病院で診察を受けることもなく、体重だけでも下げようとダイエットをはじめ103kgまでは落としたのですが脳内出血を発病してしまいました。
発病した際には自分でも何が起きたか判ら無い状態でした。朝起き上がろうとしても起き上がることが出来ず、ゴロゴロ転がってしまうだけ、これはおおごとと感じ、枕元にたまたま有った電話の子機で救急車を呼ぼうとしても言葉が上手くしゃべれず、何とか聞き取ってもらい、不動産屋に連絡してもらい鍵を開け、ドアチェーンはカットしてもらい、何とか救急車で運ばれICUで数ヶ月、意識がハッキリする様になって、リハビリ病院に転院する頃には体重は病院生活以外に何もしなくても90kgになっていましたから、いかに無茶な生活をしていたか判ります。
入院期間の限度でリハビリが未完了で一度退院しましたがその時には、体重が74kgに成っていました。
退院直後は配食センターに低カロリーの食事を届けて貰っていましたが、あまりにも病院で食べていたものより豪華のものばかりなので一週間で止め自炊で自分の目安である一日の摂取カロリー1680Kcal、一日の摂取塩分7g以内を守るようにしました。

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