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Maniac Fishing Life
道具は一流、ウデは二流

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タックルカスタム

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昨年新発売になり、オープンエリアの雷魚用にと購入したダイワ ブラックレーベルXP 72LH。
現物も見ずに某釣具店に取り寄せてもらったのですが、届いてみるとリアハンドルが長くてビックリ。

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画像のハンドルは同シリーズの81SHの物ですが、72LHも81SHも同寸のハンドル設定で、リアグリップは380mm。
オープンの雷魚釣りは手返し良く撃ちたいのですが、さすがに72で380mmはちょっと長すぎ。

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太めのフォアグリップも妙に頭でっかちに見えて、ちょっと不満…。

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そのくせリアエンドは少々貧弱でボリュームが無い。ということで、この際72のハンドルはカスタムしてしまおうと、某釣具店に依頼することにしました。

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フォアグリップはEVAで少し細めのプレーンなデザインに。

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工数と予算の関係でセンターグリップだけはコルクのまま、リアグリップは約20mmカットでEVA仕様。エンドキャップは富士のBRCを使用して短くなった分のバランス取り。

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リアをカットしたため、デザイン的にバランスが崩れるかもと心配しましたけど、フォア部分をスリムに、リアにボリュームを持たせたので、なかなか良い感じ。
ブラックとシルバーのコントラストもなかなかクールで、気に入りました(笑)

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勢いでリールも一台作ってしまいました(汗)
一見’81の5600CAなんですけど、実はウルトラキャスト仕様(笑)

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手持ちの5600ガンナーをベースに、カップは4600CI、フレームはレコードRCN50用。
オールドのキャスコン&ドラグにハンドルはサイモンの100mm。オールドのサムナット移植、ステッカーはレプリカです。
パーツは全部手持ちの有り合わせ中古品ですが、ステッカーが一番高い(笑)

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ウルトラキャスト用のメッキフレーム黒ベロは手に入らないので、よく見ればグレベロなんですヨ…。ベロだけ塗装してやろうかと考えてましたけど、失敗しそうなので諦めました(笑)

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と言うことで、色々とカスタムしてしまいましたが、想像以上にお金がかかるので、良い子の皆さんは真似しないようにして下さい(笑)

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スイムテスト

3月に入って、いよいよシーズン開幕となりました。今日は所用でOE川方面に出掛けたので、実釣では無いのですが、昨年入手してまだ使っていなかったルアーのスイムテストをして来ました。

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とりあえず選択したルアーはこれだけ。
コーデルのCCミノー以外は特に目新しくも無いルアーばかりです。

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使用タックルは、
ロッド•••ロードランナー 560STB
リール•••タトゥーラTW SV
ライン•••ストレーンクリアブルー12LB

ロッドが増えてるような気がしますが、おそらく気のせいです(笑)

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先発はラパラBX10ミノー。
バルサをプラでコーティングしてあるだけあって、キャスタビリティーは良好。
ローリング主体のアクションもなかなかキレがありますが、やはりプラコーティングの分、バルサには一歩劣る感じです。とりあえず一軍入りさせようと思います。
評価★★★☆☆

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お次はラパラ シャドウラップシャッド。
フラットな体型はヒラヒラと泳ぎますが、先程のBXミノーに比べるとキレが無く鈍重な感じ。個人的にはあまり好みじゃ無かったですね。
評価★★☆☆☆

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次は本日一番期待のラパラFLR8。
ネットでの評価も高く、果たしてどんなもんかと投げてみましたが、なるほどね〜と納得してしまいました。
8cm7gのバルサミノーとしては驚異的なキャスタビリティー。細かなピッチでローリングするアクションも素晴らしい。ジャークでのレスポンスも素晴らしく、評判通りの良いミノーです。一軍決定です。
今シーズン8cmのみ再販されたようで、早速注文して来ました(笑)
評価★★★★★

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最後はコーデルのCCミノー。これもかなり期待していたルアーです。
固定重心のため飛距離は出ないのですが、大型のリップを備えていて、ログARB1200よりワンランク下のゾーンを探れます。
アクションはログとは少し異なり、ローリング主体です。ログは動かすのに少しコツが要るのに対して、CCミノーは比較的イージーに動かすことが出来ます。
浮力もログより強めで、しかも浮き上がる際はユラユラとシミーアクションを伴います。これも一軍決定です。
評価★★★★☆


もう3月なので、早く今年の初物をアップしたいのですが、なかなかハイシーズンのようには行きません。次回頑張りたいと思います。

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没20年

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プロレスラージャイアント馬場が没後20年ということで、先日は両国国技館でメモリアルなイベントが開催されたようです。
元気なオジさんも登場してかなり盛り上がったみたいですね(笑)

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実は隠れ馬場ファン(笑)の僕は、今回久しぶりに馬場関連の書物に目を通してみました。
ジャイアント馬場と言うレスラーは、その「短い全盛時代」と「長過ぎた晩年」のため、我々の世代以降のプロレスファンは、何故馬場が「世界の馬場」と呼ばれていたのかイマイチ理解出来ていないと思います。今回は1人の馬場ファンとして、これらの書物から、世界に名を轟かせた栄光の馬場時代を少し紹介します。

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昭和35年、22歳の馬場は、17歳の猪木寛至と共に力道山に弟子入りします。元巨人軍の投手と言うビッグネームと、恵まれたフィジカルを備えていた馬場は、猪木より一足早くアメリカでの修行に出ます。

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アメリカでの馬場は
「Shohei Baba」「Baba The Giant」「Big Shohei Baba 」
など、地域によって様々なリングネームで呼ばれていたようです。巨体を表すBigやGiantと言ったワードが入っているのは、それまでの日本人とはかけ離れた巨体がアメリカ人にも衝撃を与えたからでしょう。

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アメリカでは鬼コーチ フレッドアトキンスの地獄の特訓で鍛えられ、サラブレッドのような肉体をキープしていました。その巨体と優れた運動神経はすぐにプロモーターの目にとまり、わずかキャリア2年足らずで、当時最も権威のあったNWA認定世界ヘビー級タイトルマッチを行うことも出来ました。
数々の一流レスラーに揉まれアメリカンプロレスの真髄を知った馬場は、いかに強くとも、大観衆を呼ぶ力が無ければトップレスラーにはなれないことを学びます。

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師匠の力道山もアメリカで修行をしましたが、その活躍範囲はロスなどの日系人が多く暮らす地域に限られていました。
しかし馬場は全米何処へ行っても大会場を満員に出来るメインイベンター。
ニューヨーク、ワシントンDC、デトロイトなど、アメリカンプロレスのメインストリートでメインイベントを張る馬場は、各地のプロモーターに「ババならいつでも世界タイトルマッチを用意する」とまで言われる存在となります。

現在アメリカでShoheiと言えばOhtaniですが、60年代はShohei=Baba だったのです。

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このアメリカにおける桁外れの成功は、巨額のドルを力道山にもたらし、この事が力道山と馬場の力関係に変化をもたらします。
他の日本人レスラーは力道山に依存しなければ生きていけない。しかし馬場は違う。力道山抜きでもアメリカに行けば何不自由無く食っていける。
馬場は日本人レスラーで唯一、出処進退を自ら決めることの出来るレスラーとなったのです。

その後力道山が不慮の事故で亡くなり、エース不在の日本プロレスに存亡の危機が迫ります。
この機会に日本プロレスを牛耳ろうと、マネージャーのグレート東郷は、契約期間10年、年収手取り27万ドル(現在の貨幣価値で3億以上か?)の桁外れの契約を馬場に提示し、アメリカに留まることを説得します。
当時年収10万ドルを超えれば一流レスラーと呼ばれた時代、破格の27万ドルを保証されたということは、いかに馬場が優れたレスラーであったのかを物語っています。

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東郷とアトキンスは、馬場を引き止めるために、NWA、WWWF、WWAの当時の三大世界タイトルマッチを短期間の間に連続して組み、これが後世まで伝説として語り継がれる世界三大タイトル連続挑戦となります。

その後、様々な紆余曲折を経て、結果的に東郷の巨大な契約を断り日本に凱旋した26歳の馬場は、まさに若きエース。
その巨体をフル回転させて、崩壊寸前だった日本プロレスの屋台骨を支えます。

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両手を大鷲のように広げた16文キックは迫力満点。晩年は何かとお笑いネタにされたこの技も、全盛期はこのようにダイナミックな必殺技だったのです。
余談ですが、16文キックは「ゴッコ」では決して真似が出来ないデンジャラスなワザだと思うのは僕だけでしょうか?

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先日亡くなったペドロモラレスに指導を受けマスターした必殺の32文人間ロケット砲。晩年は幻だったこの技も、20代の頃はオカダカズチカも真っ青な素晴らしい跳躍と破壊力を備えていました。

この後、馬場はインターナショナルチャンピオンとして、日本プロレスのエースとして大活躍するのはご存知の通り。

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ジャイアント馬場と言うレスラーが他のレスラーと決定的に違うこと。
それは、日本でエースになる前、すでに世界の馬場であったと言うことです。つまり世界から日本にスケールダウンしてしまった、極めて稀な境遇のレスラーだったわけです。

若くして世界でトップを取ったその自信とプライドは、後の馬場プロレスのカラーを決定付けることになります。

馬場と猪木、どっちが偉大か?と言ったことが未だにプロレスファンの間で議論されたりします。我々の世代だと、圧倒的に猪木派が多数を占めると思います。
僕も猪木は偉大な不世出の天才レスラーだと言うことに異論はありません。

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しかし、馬場ファンとして一つ思うことは、猪木が居なくても馬場は世界の馬場であったが、ジャイアント馬場という存在がなければ、アントニオ猪木はあれだけの大レスラーにはならなかったのでは無いかと思うのです。

今回はジャイアント馬場ネタで長々と書いてしまいましたが、猪木派の方々も今一度、馬場関連の書物を一読してみるのも良いのでは無いかと思います。
アメリカンプロレスとは何たるか、日本プロレス史とは何たるかを知る良い機会だと思いますヨ。

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巷ではタックルのカウントが流行っておりますが、僕が皆様にお見せ出来るのは、せいぜいリールくらいなもんです。
かなり以前、一度だけ箱付きアブを積み上げた時の画像がありましたので、今回特別サービスで、チラ見せ程度にご紹介(笑)



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実際にはもう少しあるんですけどね(汗)
これに箱無しアブとアブ以外のオールド、雷魚リール、シーバスリール、管釣りリール、バス用近代兵器が加わります。
多分70台は無いと思ってます(笑)



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最近また寒くなって来たので、根性無しの僕は釣りにも行かず、ポツポツと買い物しています。

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昨年発売になったばかりのコーデルCCミノー。一度使って見たかったので、某量販店にてゲット。この値段ならログより300円くらい安いので、期待大です。

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ラパラシャッドラップ SR9

中古コーナでフィンランド物SR9を発見。
このサイズ、近場のフィールドでは入れどころが難しそうですが、素通り出来ない値段でした(笑)

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レーベルミノーF

黄色いお店ではレーベルミノーを発見!
最近この11cmは見かけなくなりましたが、シーバスコーナーに潜んでいました。
シンキングじゃないか、必死でリップを透かして確認しました(笑)

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アングラーズリパブリック TTポッパー65

某スミス社員さんのブログで大絶賛されていたこのポッパー。偶然見つけたので買ってみました。お気に入りのチャグポップやポップRとどう違うのか?楽しみです。

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ラパラ フラットラップFLR8

某個人店にて発見。このルアー、シーバスアングラーからはかなり高い評価を受けてるみたいで、動きも凄いとか。
既に廃盤なので、とりあえず大人買いしました。店主さんは長年の不良在庫が全部捌けてニコニコでしたね〜(笑)

と言うわけで、大した大物にも出会えず、チマチマと散財してしまいました。せっかく色々と買ったので、近いうちにこれらのルアーを試しにフィールドに出ようと思ってます。

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初めての愛車

今回は当ブログを始めて以来初めて、釣り以外のネタを書きます。
なぜ急にこんな事言い始めたのかと言いますと、最近とあるCMを見て強い刺激を受けてしまったのが原因なんです。

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↑この画像知ってますか?ビシャモンリフトのスギヤスさんのCMです。
今まさに平成も終わろうかと言う時代、純正リアスポイラーが付いた初代セリカGT!シビれますね。完全に変◯の域だと思います(笑)

過去にコメント蘭でお話ししたこともあるんですが、実は僕の初めての愛車は、この初代セリカGTだったんです。今回このCMの影響を受けて緊急登場です。

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僕が免許を取得した当時、世はまさにハイソカーブームの真っ只中。同級生たちは、マークII、クレスタ、セドグロなどのハイソカーに夢中になっていました。

そんな時、五つ歳上の兄が僕に勧めて来たのが排ガス規制前の車。色々と知識を植え付けられた上、元々スーパーカーブームで車のことは少々知識もあったので、次第に小学生の頃全盛だった排ガス規制前のGTカーに惹かれるようになりました。

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色々と検討して、兄が少しお金を出してやるからと強引に勧めて来たのが価格の手頃なヨタ8。
この当時は排ガス規制前の絶版車は今ほど高騰しておらず、トヨタ2000GTやスカイラインGT-Rなどの本格派でなければ、少し無理をすれば手が届いたのです。
そこで当時甚目寺町にあった絶版車専門店に向かうことになります。
そこにはお目当てのヨタ8が置いてありました。しかしここで我々は重大なミスに気が付きます。

「運転席に乗り込めない…。」

そう、この車はあまりに小さくて、身の丈六尺を超える大柄な我々では運転席に乗り込めなかったんですね(笑)

そこでたまたまその隣に置いてあったイエローのセリカに目が行きました。

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1973年後期型の1600GT。
外装は少し左前にぶつけた跡があり、バンパーが歪んでいました。
しかし前オーナーはヨボヨボのお爺さんがワンオーナーで乗っていたそうで、荒い走りもされておらす、機関外観ともフルノーマル。しかも嘘かホントか雨天未使用で実走7万キロちょっと。当然ボディーもピカピカだった。
価格は27万円。しばらく悩んだ末に、兄の援助もあって結局後日購入することに。

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当時某三流大学に通っていた僕は、バイトでコツコツと貯めたお金でセリカの板金修理とバージョンアップに燃えていました。

この写真は、ショップでRSワタナベのホイールとカヤバのストリートショックを組み込んで帰ってきた時のものです。

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ステアリングはナルディのコンペティション。アルミのペダルカバーも組み込んで内装の雰囲気も良い感じに仕上がった。
この後、ウイランズの4点式シートベルトやレカロシートを組み込んだりしてステップアップして行きましたけど、その頃の写真が無いのが悔やまれます。

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今でこそ車歴10年を超えるクルマなんてゴロゴロしていますけど、当時は車歴10年を超えると1年しか車検が取れなくて、14〜15年落ちの排ガス規制前のクルマは滅多に走っていませんでした。
同級生からは好奇の目で見られていましたけど、実車を実際に見せると、その美しいボディーラインを絶賛されたりして優越感に浸ることもありました。

しかもこの車は純正でソレックスキャブが付いていて、エアクリーナーを外してエアファンネルを装着した時の加速時の吸入音と来たら、この世のモノとは思えない、まさに官能的と言う表現が相応しい、素晴らしいメロディーを奏でてくれましたね。

この車は約3年ほど乗りました。その後、後継車のTE27スプリンタートレノに乗り継ぐために某有名ショップに売却してしまいました。

僕の青春時代を共に過ごした1600GT。今でも誰かの元で幸せに過ごしていたら嬉しいですね。

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