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→続きだよ
この昭和46年をひもといてみると、
<社会>
★NHKが全時間、総合テレビの番組をカラー化
★沖縄返還協定調印(翌年に返還)
★日清食品が「カップヌードル」を発売 100円。
翌年に浅間山荘事件があったんだが、そのときの警察関係者だとか機動隊の人たちが
寒い中これを食べていた映像をニュースで見た。
あとで佐々淳行氏の書いた『突入せよ!浅間山荘事件』を読んだ時に
懐かしい〜〜〜と思った。
学校から帰るとワイドショーで生中継していて、
巨大な鉄球で山荘を壊している最中だった。
これは翌年のお話。
★対ドル・レート、変動相場制へ。
それまでは確か、1$360円だったと思う。
すごい円安だよね。日本のものが安く買えるから、輸出が景気良かったんだよ。
車とか車とか車とか(笑)
昭和30〜40年代には高度成長期で、軽工業から重工業に生産形態が変わっていった。
その最後ら辺あたりじゃないかなあ。この後、オイルショックがあったからね。
★アメリカの月探査船アポロ15号が7月に月面の調査をしたんだけども、
それをテレビで夜中に観たのを覚えている。
そういえば
と歌っていたけれども、そのアポロ11号の月面着陸をテレビで観ていたワタシ。
ずっとずっと前なんだ〜って歌を聞いた時にはがっかりしたものさ。
<テレビ>
★仮面ライダー放送開始
大好きだった!中でもアマゾンが好き♪
だってさ、当時の主人公ってオジサンぽかったんだよ。
アマゾンからイケメンのお兄さんになったような気がする。
けれども、アマゾンの頃はもう中学生に近かったから、
主人公がオジサンに見えなくなってきていたという面もありそう。
★天才バカボン(日本テレビ)
★ルパン三世(日本テレビ)
今何話くらいあるんだろうと思うけれども、多分テレビシリーズだと思うよね。
宮崎駿がアニメーターをしていたころの。
★スター誕生!(日本テレビ
「あまちゃん」でアイドルを目指していた春子が
オーディションを受けるんだけど(年代は違うけどね)、
当時はこういったオーディション番組がいくつかあったんだよ。
<歌>
★わたしの城下町(小柳ルミ子)
★17才(南 沙織)
★水色の恋(天地真理)
歌謡曲というジャンルのアイドルのハシリだよね。
マリちゃんなんかすっごい人気があったし、
南沙織はまだ返還前の沖縄からパスポートを持ってきたって言ってた。
ちょうど学生運動が終わりの頃で、4畳半フォークのハシリだよね。
まだ「神田川」とか「赤ちょうちん」はないけれども、
★花嫁(はしだのりひことクライマックス)
★あの素晴らしい愛をもう一度(加藤和彦と北山修)
★誰もいない海(トワ・エ・モワ)
★知床旅情(加藤登紀子)
★戦争を知らない子供たち(ジローズ)
★翼をください(赤い鳥)
この歌詞の中で当時の学生運動とか安保闘争の名残がうかがえる部分があるんだが、
それをカットしてカバーしてる人もいるよね。
そういえばワールドカップフランス大会の日本の応援ソングが「翼をください」だった。
今でもギターやピアノ弾いて歌えたりする。
そういえばここに挙げた歌って、高校生の音楽の教科書に載っていたなあ。
なんだか広報記事から懐かしの昭和時代になってしまったけれども、
たまにはこういう懐かし記事もいいねえ。
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美しい日本
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詳細
その名の通り、ちょっとした風景を紹介します
コメント(6)
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わが町の広報。町制施行前の広報を見る機会がありました。
町制が敷かれたのが昭和46年(1971年)ですから、
今年は町制施行34年ということになります。
私が小学校に入学したのが昭和44年ですから、この年は小学校3年生。
その時の広報なんですが、モノクロで文字が大きいんですよ。
すごく発展したよね。
国庫補助金が45%もあったのに、今は0円。そう、不交付団体なのだ!
その昭和46年の広報の主な内容で面白いのが『一日一円で交通共済』というもの。
この交通災害共済、今もあるんですが、今は500円。
当時の物価比は、週刊少年ジャンプが100円、今は250円。
喫茶店のコーヒー 120円、今は500円くらい?
学生アルバイト時間給 230円、今は750円〜800円くらい?
そう考えると、365円て高いよね。
他にも『河川をきれいに』
この文章を読むと、高度成長期の大気汚染や河水汚染の光景が目に浮かびます。
近くの工場の煙突から色とりどりの煙がモクモクと出ていたり、
まだコンクリートで固めていなかった川に、家庭からの下水が直接流れ込んでいたり、
流れの緩い澱みにはビニール袋、空き缶、
サンダルや長靴などの不要になった生活用品がたまり、
ブクブクと泡立った濁った水が緑色に変色している場所もあったなあ。
それでも山梨はまだまだ自然がいっぱいで、釜無川で車を洗ったり、
田んぼの畔に生えているヨモギやノビルや土筆を調理して食べたりできました。
祖母とイナゴを獲りに行って佃煮にもしたよ。
稲刈りが終わった田んぼにはタニシがいて、それを具にしたつぼ汁も飲んだよ。
でもテレビでは都会の大気汚染の報道がよくされていたなあ。
『老人性白内障手術助成について』というのもありました。
当時は電気も今のように明るくなく、この頃に高齢者なので、明治や大正時代の生まれで、
田舎ではまだランプやくらい電灯の明かりで子ども時代を過ごしていた世代だと思うのね。
当然、目は悪くなるわな。
今よりもずっとずっと白内障の患者さんが多かったと思うんだよ。
そういう人たちに健康的な生活を送ってもらいたい・・・というのは建前で、
本音をいうと、高度成長期で若い世代は働きに行くし、
核家族が多くなってきて自分のことは自分でしてもらいたい。
そのためには目も見えていなければ、ってことなのかもしれないね。
子どもだったから、本音はわからないや(笑)
それから、カタカナ語が少ない!
「カタカナ語」って言葉はないんだけども、ニュアンスはわかるよね。
今年の広報を見ると、「ブランド米」や「シルバー人材センター」
「プレミアム商品券」など、
「特選米」「高齢者人材会社」「割増商品券」でも良いだろうよ、というカタカナが並ぶ。
昭和46年には当然「インターネット」とか「リサーチ」なんて言葉はない。
『連休疲れ』という現象は当時からあったようだけども、
今は『5月病』っていうのかな?
新しい言葉がどんどん増えているのがわかるよね。
考古博物館で3万5千年前からの歴史を案内していると、
34年前というとつい最近のような気がするんだけども、画像なんか見るとすごい昔(笑)
娘を見ていると、手足も長いし肌も綺麗。人間て急激に進化するんだなあと思う。
平均年齢も急激に上がって、今の高齢者の若いこと!!!
今の私の年齢の時の母の写真を見たんだけども、今の方が若いかも。
→続くよ
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驚きかどうかはわからないけれど、
甲府盆地で育った私にとっては、夫の実家はワンダーランド。
梅雨の時期、道路にはカエルの大群。
車が避ける隙間もないほどに。
時に、プチプチプチプチプチプチ・・・きゃ〜〜〜〜〜〜\(゜ロ\)(/ロ゜)/
夏は山に食べ物があるので、野生動物はあまり見えないけれど、
冬はいろんなのが里に下りてくる。
娘がまだ1歳くらいのとき、裏の柚子林に猿が十数匹出没した。
柚子の木は棘があるので猿は登らないと言われていたが、
ボスとみられる大きい猿が1匹、登って柚子を下に落としてるんだよ。
それを他の猿がいくつかまとめて抱えて坂を上っていく。
猿も共同して生活しているんだなあと感じた。
その時、義父が「子どもを外で遊ばせるなよ!」と言った。連れて行かれかねないということだそうだ。
あの時は、本当に怖いと思った。
夫は渓流釣りをするのだが、川を上って行ったときに、岩の上に誰かがいたそうだ。
「こんにちは」と挨拶をしたが返事がない。
よく見たら、大きな猿がこちらを見ていたそうだ。
最近は冬に行くことがなくなったので出会う確率は少ないが、
鹿、モモンガ、キツネ、タヌキには毎年出会った。
キツネやタヌキなどは良い襟巻になる。
あわよくば手に入れるチャンスでもある。
幸いに私の従兄は剥製屋さんを営んでいる。
あとは材料のみ!
そういえば姪の小学校の運動会にイノシシが出没した。
校庭を駆け回っていたのだ。
イノシシとは毎年トウモロコシとスイカの取り合いをしていた。
一度見てみたいと思っていたが、運よく初めて行った運動会で見ることができた。
イノシシと言えば、実家で飼っていた柴犬。
イノシシにはねられて下半身不随になってしまった。
その柴犬、車が通ると吠え付いて追いかけて行った。
イノシシが車に見えたのかもしれない。
動物と言っていいかどうかはわからないが、実家はモリアオガエルの生息地でもある。
雨が降った夜には、玄関のガラスにぺったりと張り付いている。
モリ”アオ”カエルというくらいだから、青い。
緑ではなく、青い。そして、足の吸盤が異様にデカイ!
大きさも5センチくらいあるので、夜の玄関は怖いトコロでもある。
さて、ここまでいろんな野生動物を見た話ばかりで、画像がなかった。
今思えば、撮っときゃよかった〜〜〜
そこで、写真が1枚あった。
実家ではないのだが、平成24年に南部町で行われた県の防災訓練。
南部町といったら一面、山!山!山!
災害が起こったら、土砂崩れの危険性が非常に大きいトコロでもある。
そのために訓練では近隣の都県からヘリコプターが集結した。
富士川の河川敷でのつり上げ訓練。
いつもは富士川の流れの轟音しか聞かれない場所で・・・
鹿の親子が避難していた。
こちらは訓練じゃなかったようだ。
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ゆっくりとは見てないなあ。
通勤の途中で、どなたかの庭に咲いている桜だとか、
近くの川沿いの桜並木を遠巻きに見て行き過ぎるとか。
10年くらい前から、いろんな役員の仕事(ボランティアだけど)が積み重なって、
3月から4月にかけて期末決算だとか総会の資料作りだとかでバタバタしていて、
気が付けば桜が散っていた状態。
今年こそは!と思いながら、すでに10年が経過していた・・・というね。
子どもの頃に実家の庭には3本の桜の木があった。
その桜が咲くのを、梅が咲く前から心待ちにしていた。
山梨では、ひな祭りは4月3日に行なわれている。
だから、桜も桃も一緒に雛壇に飾ることができるのだ。
我が家に娘が生まれて、二人とも雛飾りを実家からもらったが、
もう何年も飾ってないなあ。
けれども実家に行くと、私の雛飾りが毎年飾ってある。
もちろん桃の花と桜の花も一緒に。
庭にあった桜、アメリカシロヒトリが付きやすくて、
消毒が大変だということで切ってしまった。
切った枝を畑に置いておいたら、そこから芽が出て、小さいながら花が咲いていた。
自然の力、生きる力って素晴らしいよね。
昨年行った笛吹市フルーツ公園の桜♪
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「幸せのコップ」が人間の心に備わっているということをご存知でしょうか。
自分の心が幸せでないと、人に対して優しくなれないといいます。
心のコップが幸せでいっぱいになって、 その幸せが溢れた分を他人に分けてあげられるんだそう。
つまり子育て中であったなら、お母さんの心が幸せでないと、 たとえ自分の子どもであっても愛情を注ぐことはできないのです。 「愛育のこころ」に 「健全な母親から健全な子が生まれます。良い環境がその子を作ります」
という一文があるんですが、
この「健全な母親」というのは、「心身ともに幸せである」
「良い環境」というのも、「心身ともに幸せである母親が育てる環境」
という意味だと解釈します。
自分が幸せでないと、子どもも幸せにはならない。 自分が幸せでないと、子どもにも愛情は注げないということだと思います。 「優しい心」は、生まれた時から持ち合わせているものではなく、 成長の過程でどれだけ「優しさ」に巡りあってきたかで育まれるもの。 「あの子はお母さんに似て優しい」と言われる人がいますが、 それはお母さんに似ているのではなく、 お母さんをはじめ、周りの人が優しい気持ちで子育てをしてきたからだそうですよ。 これは子育て中に限らず、日頃の生活の中でも通用するものです。 常に心に余裕を持って生きていきたいですね。 |

ナイス
と言うのも3月一杯で終わってしまったわけです。
保存の方法は色々あるし、移行も5月9日以降に提供されるツールで可能です。
もちろんそのツールが無くても移行出来る先は有ります。未だ決めかねておりますが、とりあえず保存しました。
ご参考
https://blogs.yahoo.co.jp/takeabose/20113335.html





