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West Bloomfield II
前のブログ【West Bloomfield】の続きだよ〜!

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富山湾

 5月16・17日は連れのマラソン出場のお供兼ドライバーとして1泊2日で富山へ。

 名古屋から富山市までは東海北陸自動車道を北上し3時間半ほどです。

 無事に午後の早い時間帯に市内に入り、ちょっと肌寒いぐらいの曇り空でしたが、せっかくなので観光することに。

まず向かったのは富山湾に面した【岩瀬浜海水浴場】。
(クリックで拡大します)
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 サーファーの姿もちらほら見え、太平洋に比べると少し厳しく荒いイメージの日本海。

 流木がいくつか波に洗われながら自分たちの前を通り過ぎて行きます。流木を眺めながら2人で「あ、あの丸い根っこがもうすぐ小さいのに追いつくね〜」などと他愛のない会話。

次の目的地に向かおうと車を出すと、こんな山車を何体か見かけました。「財町 (たからまち)」の字が見えます。
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 調べたところ、《岩瀬曳山車祭》の山車だったようです。Wikipedia から引用を。
岩瀬曳山車祭 (いわせひきやままつり) は富山県富山市岩瀬 (東岩瀬) 地区で毎年5月17日・18日に行われる岩瀬諏訪神社の春季祭礼。夜には「曳き合い」といわれる山車同士のぶつかり合いが行われる勇壮な喧嘩祭りで、岩瀬のけんか山や岩瀬けんか山祭りなどと呼ばれ親しまれている。

曳山車は万治元年 (1658年) 西岩瀬の人々が神通川の流れが氾濫で東に移ったため東岩瀬 (現在の地域) に移住してきた。万治2年 (1659年) にはその人々が西岩瀬の諏訪神社の分霊を勧請する際、御神体の後に伴って井桁に組んで神社建築用の資材を運んだ姿がもととされ始まりとされる。

しかし現在の郷土史では寛政4年 (1792年) の大火で、東岩瀬のほとんどを焼失しその後町の復興を果たした際、復興祝いと災難を祓うため寛政8年 (1796年) より山車にたてもん(行燈)を乗せて曳くようになった説が有力である。なおたてもんは、「立物 (たてもの)」が訛ったものである。

現在、昼間は「ヤサー、ヤサー (ヤーサ、ヤーサ)」の威勢の良い掛け声のもとまず自町内、その後他町内を曳き回す。夜にはたてもんに燈を灯し曳き回すが、17日は曳山車が夜8時頃に琴平社を出発し、岩瀬のメイン通りである大町、新町通りを抜け、「曳き合い」を行う岩瀬諏訪神社前へ向かう「夜のお旅さん」巡行が行われる。その後曳山車は諏訪神社に参拝し、午後10時〜10時30分頃より「曳き合い」が始まる。また18日も午後9時30分〜10時頃より別の場所で「曳き合い」が行なわれる。その他初日にはたてもんコンクールが開催されるほか、地元や富山市内の幼稚園、保育所の園児たちが山車の曳き回し体験も行われている。

なお祭礼前の5月15日には、諏訪神社社殿にて岩瀬曳山車実行委員会や各山車の山元 (代表) などの関係者が参加し安全祈願祭が行われ、その後社務所内で曳き合いの組み合わせと順番を決定する。

曳山車は現在13基。町内単独で山車をもつ町と何町かが合同で持つ町があり俗称名の町が存在し、南側の町が表方 (おもてかた)、北側の町が浦方 (うらかた)と岩瀬の町を南北に分け、曳き合いの際表方と浦方に分かれ対戦する。

山車は近代になり増減があり、昭和25年 (1950年) には白山町 (はくさんまち)、昭和58年 (1983年) には祇園町 (ぎおんまち)、平成3年 (1991年) には赤田町 (あかだまち) が山車を新造し新たに参加、また平成23年 (2011年) より、引き手の人材不足などによりそれぞれ1町で曳き出していた、土場町 (どばまち) と御蔵町 (おくらまち) が合同であらたに財町 (たからまち) として山車を出すこととなり、それまで14基だったものが13基となった。なお明治35年 (1902年) の「土場町曳山沿革誌」によると山車は10基であった。

曳山車は高さ15尺 (約4.5m)、重さ約4〜5t、前後に直径27cmの梶棒が付いた欅でできた頑丈な反台の上に、格子状の木組みの下山が乗り、その上に高欄の付いた雛台が設置されており、その中央に立てた心柱を支えとして上部に扇形のたてもん (行燈) を載せる。たてもんは竹と木できた立体的な扇型の枠に白い布 (キャラコ生地) を張り、布には世相や願い事、おめでたい文句などを、判じ絵と呼ばれるいくつかの図柄の組み合わせで表わす。たてもんは回転するようになっており、夜には蛍光灯や投光器で内側より絵を照らす。昔は和紙と蝋燭が使われていた。また雛台には笛・太鼓また三味線等の囃子方や子供達が乗り込む。ガワと山町で呼ばれる車輪は、直径2.9尺 (90cm弱) 厚さ6寸 (約18cm) の4輪の地車(内車)である。また曳山車の曳き出す際には木遣り唄の後綱を引く。

明治43年 (1910年) 以降町内に電線が引かれる様になる以前は、曳山車に高さ10間 (約17〜18m) の帆柱に3段の判じ絵たてもんを飾り付けており、富山の町からも見えたといわれる程高いものであった。また明治以降も背の高いたてもんが載せられた記録と写真が残っている。

元々曳き合いは町内を曳き回す各山車が、すれ違う時や追い越す時は神社に向かう山車に優先権があるルールであるが、交渉が決裂し優先権のない山車が道を譲らないと昼夜を問わず「けんか」と言われる曳き合いが始まった。曳き合いは山車が時に勢い良く後退したり回転して、轢かれたり、挟まれたり等大変危険であり、昭和29年 (1954年) に起こった2人の少女が死傷した事故により4年間の曳き回し自粛のあと、現在のように、17日は岩瀬諏訪神社前の県道で、18日には岩瀬小学校西側の忠霊塔前の道路で開始時間を決め、回数も例年5回行なうようになった。

曳き合いは表方の町と浦方の町 (中立はどちらかに属する) で対戦する。曳き合いは約20m離れた開始線に対峙した2基の山車に繋がれた2本の縄を、表方、浦方に属するそれぞれの他町の人々も協力し手を貸す総力戦で行われる。曳き手を鼓舞するように激しく太鼓が打ち鳴らされる中、互いの山車の後部まで左右に別れ走って引き出す。動きだした山車は勢い良くドォーンと大きな音を立て、山車の後輪が浮き上がるほど激しくぶつかったあと、曳き手の合いの手に合わせ威勢の良い掛け声を上げながら、引き続け、相手の山車を後退させ勝敗を決めるいわゆる綱引きのようなものである。山車後方ではガワ (車輪) や梶棒と山車の間にテコ棒を差し込み固定させ後退を防ぐ。

曳き合いは大変危険なため、曳山車関係者や警察などが参加者や見物人に注意喚起ならびに整理を行なっているが、近年では平成12年 (2000年) に飛び入りの参加の男性がロープと山車の間に挟まれ死亡。
平成23年 (2011年) には山車の後方でテコ棒を持ち車輪を固定していた町内参加者が2基がぶつかった際後退した山車に轢かれ大怪我をしているため、平成24年 (2012年) より引き合いの際のロープ引き役のコースを遮らない、山車の後ろの見張り役に2人を充てるなど、新たな安全対策をとることとし、違反した町内は来年の祭礼不参加を申し付けるなど厳しい罰則を設けた。

なお現在も昔の曳き合いの名残として、昼間に他の山車とすれ違う際話し合いにより余興で近距離から軽くぶつけ、そのあと引き合うことがある。ここでは各町の老若男女が綱を引く。

 なるほど…この日は祭りの前日でした。きっと曳きの練習やお披露目をしていたのでしょうね〜。

 伝統あるお祭りっていいですね。大事にしてほしいです。

  • 富山県では、この岩瀬の祭りの前後で、いろんな山車祭りがおこなわれます。
    射水市では、山車祭りの映画の撮影も今年あったようですよ。
    本日ちなみに砺波で夜高祭りの山車と山車ぶつかり合いがみられます。 削除

    [ tekoteko ]

    2015/6/13(土) 午後 3:41

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