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West Bloomfield II
前のブログ【West Bloomfield】の続きだよ〜!

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 昨日の記事『木の芽峠から鉢伏山頂』の続きです。

 7月19〜21日の週末 は「海の日」がらみの3連休。初日は名古屋でまったりし、2日目は早朝に出発し越前方面へ1泊でお出かけ〜。

 最終日の21日はまずあの戦国武将 織田家発祥とされる【劔神社】をお参りし、その後南越前町の【板取宿】へ行ったまではよし。

  連れが突然思い立ち、【鉢伏山】の山頂から《敦賀湾》を眺めることに…。
・・・・ (−−;)

 30℃を超える気温の中、お日さまにジリジリ照らされ汗だくになりつつかなりの傾斜をただひたすら登り続け、何とか山頂に到達!

 《敦賀湾》越しに《敦賀半島》を眺め大満足♪

登って来た道を下り始めますが、膝がガクガクしてキツい!文字通り「行きはよいよい帰りは…」でございました。
(;^_^A アセアセ・・・

冬はスキー場なんです、ここ。上級者向けコースは結構な勾配。
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立って撮るとあまり傾斜がわからないので…。
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腹ばい!
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 熱せられた歩道の熱いこと!

 名古屋より涼しいとはいえ、結構ジリジリ暑い福井の旅でした〜。

 旅行記、最後までお付き合いありがとうございました!
┏○ペコ

木の芽峠から鉢伏山頂

 昨日の記事『言奈地蔵』の続きです。

 7月19〜21日の週末 は「海の日」がらみの3連休。初日は名古屋でまったりし、2日目は早朝に出発し越前方面へ1泊でお出かけ〜。

 最終日の21日はまずあの戦国武将 織田家発祥とされる【劔神社】をお参りし、その後南越前町の【板取宿】へ。

 そして…。

 連れが突然思い立ち、【鉢伏山】の山頂から《敦賀湾》を眺めることに…。
・・・・ (−−;)

 かなりの傾斜をひたすら登りますが、気温は30℃を上回り、更にお日さまがジリジリと照り付けます☀

木の芽峠】の石碑。モザイクがかかっていますが、表情は「しんどい〜」です。
( ̄∇ ̄*)ゞエヘヘ
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平安初期の天長7年 (830) に畿内と越の国を結ぶ官道として開削された古い道で、敦賀から今庄へ抜ける最短路である。

古くは紫式部が、また道元や親鸞が通り、更には新田義貞、織田信長、豊臣秀吉など戦国武将が利用した。

越前 (嶺北) と若狭 (嶺南) を分ける分水嶺になっている。

峠の名前の由来は不明であるが、木目峠、木辺峠とも書き、木部山とも言われる。

もうすぐ山頂。だ〜れもいない夏のスキー場。
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いよいよ着きました!
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鉢伏城址

この城は、元亀元年 (1570) 織田信長が越前に侵入した際に、朝倉方によって築かれ、家臣の印牧弥六左衛門が守ったという。その後、織田方や一向一揆勢も立てこもった。

城は、木ノ芽峠から北西約700mの鉢伏山 (標高762m) にあり、山頂部から北西に下降する尾根上に築城されている。城の規模は長径320m、短径100mあり、木ノ芽峠城砦群の中で最も大きい。

城のつくりは、大きく3つの郭に分けられるが、周囲に土塁を巡らした山頂部の郭が中心となっている。海側の尾根の2つの郭は、海岸部からの敵の侵入に備えたものである。城の大手は南東部で―――二重の堅堀の間が土橋となっており、虎口である―――の搦手は、北西部の海側である。

 途中2ヶ所、どうしても読み取れないので「―――」になっています。
┏○ペコ

山頂にはこんな標識が!自分の故郷「札幌」が入っているのが嬉しい♪
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敦賀半島との境がちとわかりにくいですが、ちゃんと見えました、【敦賀湾】!
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 それにしても…基幹林道をギリギリ車で行ける所まで行き、大した荷物も背負わずクッションのいいランニングシューズで登ったにも関わらずかなりヘトヘト…。

 《鉢伏城》築城の際に建材などを運んだ人足たちの苦労は相当なものだったしょうね〜。

言奈 (いうな) 地蔵

 昨日の記事『合歓の花✿』の続きです。

 7月19〜21日の週末 は「海の日」がらみの3連休。初日は名古屋でまったりし、2日目は早朝に出発し越前方面へ1泊でお出かけ〜。

 最終日の21日はまずあの戦国武将 織田家発祥とされる【劔神社】をお参りし、その後南越前町の【板取宿】へ。

 そして…。

連れが突然思い立ち、【鉢伏山】の山頂から《敦賀湾》を眺めることに…。
・・・・ (−−;)
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この辺、【今庄365スキー場】なんです。上級者コースはかなりの傾斜。ハイキング用の準備もしていないので、とりあえず基幹林道で行ける所まで車で上がります。
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あとはこんな道をひたすら登るのみ。
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途中にあった【言奈地蔵】にお参り。
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こんな謂れがあるそうです。
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言うな地蔵のいわれ

このお地蔵さまは弘法大師であるという
 
昔、大金を所持した旅人を乗せて、この峠を越えた馬子があった。馬子はその旅人を殺して金を奪ったところ、地蔵の面前であったことに気づき「地蔵言うな」とひとり言を言った。すると地蔵は「地蔵は言わぬがおのれ言うな」と言い返された。感きわまって改心し善人に立ち返った。

其の後、年を経て再びこの峠を越した時、年若い旅人と道連れとなり、よもやま話をして地蔵の前に来た。馬子は霊験あらたかな地蔵であることを告げると、旅人はそのいわれを問うた。馬子は先年の悪事を語り、ありし次第を告げた。この旅人こそ先年殺された旅人の息子で、親のかたいを尋ね歩いていたのである。息子は天にも昇る心地がしたが、このような山中でかたきを討つよりは共に敦賀まで出てから名乗りをあげてこれを討ちとったとのことである。

合歓の花✿

 昨日の記事『板取宿』の続きです。

 7月19〜21日の週末 は「海の日」がらみの3連休。初日は名古屋でまったりし、2日目は早朝に出発し越前方面へ1泊でお出かけ〜。

 最終日の21日はまずあの戦国武将 織田家発祥とされる【劔神社】をお参りし、その後南越前町の【板取宿】へ。

それはこんな所にあります。
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 日本の山だぁ〜!

涼しげなせせらぎ。
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池にはたくさんのおたまちゃん。
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頭上にはふわっふわの合歓の花
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板取宿

 昨日の記事『蓮の花✿』の続きです。

 7月19〜21日の週末 は「海の日」がらみの3連休。初日は名古屋でまったりし、2日目は早朝に出発し越前方面へ1泊でお出かけ〜。

 最終日の21日はまずあの戦国武将 織田家発祥とされる【劔神社】をお参りし、その後南越前町の【板取宿】へ。

板取宿】とは…。
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板取宿の由来

 戦国時代までの越前への陸路は山中峠を越える古道 (万葉道) と木の芽峠を越える北陸道 (西近江路) だけであったお。柴田勝家が北ノ庄に封じられ (1578年)、栃ノ木峠の大改修を行なって以来、人馬の往来は頻繁となり、越前南端の重要な関門の地として板取宿を置き、宿馬30頭、人足60人が常備された。板取宿は北国街道 (東近江路) の玄関口として、あるいは近江・越前・両国を結ぶ要の宿として発達したのである。

 江戸時代には家康の子、結城秀康が入国以来関所を設けて旅人を取り締まった。後に板取番所として、藩士が駐在した。番所の構造は、宏荘な門構えの内に、間口三軒、奥行き三間半の平屋建ての棟を設け、刀、弓矢、火縄銃、具足を備え、役人3人、足軽1人が常駐し、厳重な警備に当たっていた。板取には幕末の頃、戸数53戸・うち3軒の問屋をはじめ、7軒の旅籠、3軒の茶屋のほか継立従事の家が建ち並んで賑わったという。

 今も甲造り型や、妻入り型の茅葺の民家が昔のまま保存されている。

ではその茅葺の民家を…。
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関所跡。
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石畳の水路が涼しげです。
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元気いっぱいの黄色いお花と…。
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爽やかな青紫の桔梗。
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