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久しぶりの編集になりますm(_ _)m 仕事が忙しくなかなか更新出来なかったのですが、その合間を突いて、以前より気になっていました 「湯船城」静岡県駿東郡小山町湯船の本蓮寺とその背後の「附野山」とその東に下る尾根(本蓮寺北側)とその南から東に下る尾根(本蓮寺南側(墓地側))で本蓮寺を馬蹄型に囲んでいます。 資料としては、「日本城郭大系」や「日本城郭全集」に少しだけ出ていますが、遺構については書かれていません。 また小山町史にも出ていますが、遺構については発見されていないようで、本蓮寺南側尾根先端(墓地より南東)の縄張り図が出ていますが、明確な遺構とは言い難いとしています。 しかし、今回二度の訪城により遺構を発見する事が出来ました(≧∇≦) 新発見という事になりますかね(*^o^*) 遺構としては、郭、切岸、土塁、横堀、土橋、喰い違い虎口、枡形状虎口などです。 2,3枚目は切岸、1枚目は空堀と土橋の画像になります。 |
静岡県の城
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土肥「高谷城」主郭の位置↓ 虎口に至るまでの導線を書き込んだ縄張り図。(「ふるさと古城の旅」水野茂著の縄張り図に着色、加筆) 縄張り図を再び。 各登城道から虎口に至る導線を書き込んでみたが、一部推定を含む。 縄張り図と合わせて見てほしい。
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*青備え筆頭 富永氏の居城* 土肥「高谷城」(静岡県伊豆市大薮(旧土肥町大薮)) 富永氏は、元室町幕府奉公衆で、堀越公方足利氏奉公衆を経て、延徳三年(1493)北条早雲(伊勢宗瑞)に服属し、北条氏家臣となった。 西伊豆土肥を本拠に武蔵・相模合わせて1383貫文余の所領を有し、江戸衆寄親で江戸城代、栗橋城代などを務め、北条五大老の一人であり、五色備えの「青備え」を率いて西伊豆水軍の中核を担い、弘治二年(1556)の里見水軍との三浦三崎沖海戦や永禄七年(1564)正月の国府台合戦の参戦また天正八年(1580)の武田水軍との駿河湾沖海戦にも参戦しているようである。 小田原合戦では韮山城に援軍として籠城したとされているが、定かではない。 「高谷城」の所見の文献史料は土肥神社所蔵の文書「基氏伝帖」のみである。 土肥港漁協駐車場付近よりの「高谷城」遠望 「高谷城」縄張り図 (「ふるさと古城の旅」(水野茂氏著)の縄張り図に着色、加筆) 第二部へ続く |

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