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オイラの周りの団塊のアホが良く言うセリフ。
「日本の常識、世界の非常識」
こんなことを言って団塊のアホは、さも俺は判っているんだと悦に浸っているわけだが、
オイラは「コイツは、所詮、常識でしか世界を見れないのねん」とか思って“拝聴”差し上げているわけだ。
常識には主体性がなく、客観がない。コレでは良識とはいえず、進むべき道筋を指し示すものとはならない。
とくに、常識を醸し出している集団に「甘さ」や「緩さ」がある場合には、客観的に見れば楽観的であったり投機的である意見であったとしても「常識」という言葉がなぜか持つ「重み」や「権威」により、立派な見識に粉飾される。
常識に嵌められるのがそれを語る当人達であれば自業自得、因果応報といった話で良いのであるが、度々見られるのが「ツケを払うのは常に関係のない人」だということだ。
企業において良く語られる「成長戦略」とか、国やマスコミが語る「人口減少社会の危機」みたいな話は、本当に自分らにとって「良識」であるのかを疑ったほうが良いと思う今日この頃である。
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