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前の晩に夜神楽で見た天岩戸の話の舞台と言われる天岩戸神社へ。 驚いたことに神社に願い出ると天岩戸を見学できるらしい。但し、神官付きで撮影禁止となっているらしい。 天岩戸神社
西本宮鳥居
所在地 宮崎県西臼杵郡高千穂町大字岩戸1073-1
位置 (西本宮)北緯32度44分04秒 東経131度21分02秒
(東本宮)北緯32度43分58秒 東経131度21分02秒
主祭神 (西本宮)大日?査尊
(東本宮)天照皇大神
社格等 旧村社・別表神社
例祭 (西本宮)5月2・3日
(東本宮)9月22・23日
主な神事 天岩戸神楽まつり(11月3日)
西本宮の旧称は「天磐戸神社」、東本宮は「氏社」であった[1]が、明治4年(1871年)にそれぞれ「天岩戸神社」、「氏神社」と改称し、昭和45年に合併、現在のごとく天岩戸神社東西両本宮を称すようになった。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
まずは駐車場からオオヒルメノミコトを祀る西本宮へ。立派な門をくぐると本殿に。 本殿には大きな鏡が御神体として鎮座しているのが見て取れる。 この真後ろの渓谷の底の方に天岩戸があるらしい。 本殿横には古代イチョウなる大木が。諏訪とここにしかないと書いてあるが、ホントだろうか? そもそも、普通のイチョウとの違いが見て取れん。 そして東本宮に。西本宮と対照的に鬱蒼とした樹木に囲まれ、人気もない。 階段を100mか200mか上ると東本宮に着く。駐車場には車が何台か止まっていたので参拝客がいるのかと思いきや誰もいない。 ここは丁度岩戸の真上あたりになるのだろうか?奥の方に杉の古巨木があるような説明書きがあるが、立入禁止。何とも幽玄な雰囲気を醸し出す。 成立過程が判らない、もしくはそもそも別なのか判らないが東本宮と西本宮でまったく雰囲気が違う神社であった。
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2009年07月20日
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高千穂峡を訪れ遊歩道を散策。 谷底なのでこの時期でも涼しい。谷の上が30℃越えで蒸している時でもそこはかとなく涼しい。 ここは言葉を弄するよりも写真に語ってもらった方が良いでしょう。 日本の滝100選の一つ、真名井の滝を御橋から撮る。 同じく真名井の滝を遊歩道から撮る。 遊歩道から神都高千穂大橋を見上げる。 槍飛橋付近
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京成線高砂駅19:00hごろ。 |
高千穂神社 拝殿 所在地 宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井字神殿1037 位置 北緯32度42分24秒 東経131度18分06秒 主祭神 高千穂皇神 十社大明神 社格等 国史見在社論社・旧村社・別表神社 創建 不明 本殿の様式 五間社流造銅板葺 別名 十社大明神 例祭 4月16日 主な神事 猪掛祭(旧暦12月3日) 笹振り神事(旧暦12月3日) 神話の高千穂夜神楽まつり(11月22-23日) 高千穂神社(たかちほじんじゃ)は、宮崎県西臼杵郡高千穂町にある神社である。国史見在社「高智保皇神(高智保神)」の有力な論社であるが、近代社格制度上は村社にとどまった。現在は神社本庁の別表神社となっている。 古来「十社(じっしゃ)大明神」や「十社宮」などと称されて来たが、明治4年(1871年)に「三田井神社」と改称、更に同28年(1895年)現社名に改称した。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 正直、天孫降臨の舞台になっていると称しているものの、盛り上がりに欠けるなぁと思いましたが、上記説明を見て頷けました。位置づけがビミョーなんですね。 境内には夫婦杉だの、秩父杉だの、特に名称が書かれていないが杉(?)の巨木があり、巨木が多い印象があります。 夜になると本殿横にある建物で観光者向けの夜神楽が行われます。本番の夜神楽は徹夜らしいのですが、観光向けの夜神楽は4番だけでダイジェスト版にしたもののようです。
地元の観光協会あたりが持ち回りでやっているような風情ではありましたが、中々に芸達者で観客席に乱入など1時間の上演時間を飽きさせない工夫がなされております。 |
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「西の正倉院」の隣に位置する(本来的には、この神社の隣に「西の正倉院」を建てているのだが)社。 ここから大量の銅鏡、鉾が出てきたことが西の正倉院の建設につながっていったようです。 詳細は↓こちらでも見てください。 神門神社 神門(みかど)神社・西の正倉院・百済の里 神門神社
所在地 宮崎県東臼杵郡美郷町南郷区神門69-2
位置 北緯32度23分9.6秒東経131度19分51.4秒
主祭神 大山祇神、禎嘉王ほか
社格等 郷社
創建 伝・養老2年(718年)
本殿の様式 七間社流造
例祭 秋季例祭(10月17日)
師走祭り(旧暦12月)
神門神社(みかどじんじゃ)は、宮崎県東臼杵郡美郷町南郷区にある神社。祭神は大山祇神、百済の禎嘉王、倉稲魂命、品陀和気命(応神天皇)ほか。本殿は国の重要文化財に指定されている。
養老2年(718年)の創建と伝えられる。
奈良時代中期、孝謙天皇の時代に百済より政争を逃れた王族の禎嘉王とその子の福智王が日向の海岸に漂着し、やがて禎嘉王は神門の地に落ち着き、福智王は現在の木城町に住んだとされる。本国より追尾の手が迫ったが土地の豪族の援助もありこれを撃退したと伝えられている。王はこの地で崇敬され、死後、神として祀られたという。王の遺品として伝わる鏡24面が社宝として残っている。神社の近くの国道446号線沿いに「百済王貞嘉帝古墳」と書かれた標柱が立てられている。標柱の南約50メートルほどのところの畑の中に、封土の大部分が削平された塚ノ原古墳がある。本殿の屋根裏には、千点以上の鉄鉾や鉄族などの武器類が保管されており、地域の武器庫との関わりが考えられる。さらに、須恵器の大甕や古墳時代の直刀や銅鈴、馬鐸(ばたく)などが保存されている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
道中、木城町で比木神社の横を通るものの立ち寄るほどに時間がなく飛ばしてしまったが、毎年旧暦12月(1月最後の週末?)に行われる「師走まつり」は西の正倉院でもVTRを流しており、哀愁、郷愁を誘う映像であったので見学をしておけばよかったと後悔。 師走祭り(しわすまつり)/神門御神幸 旅行中に読んでいた高田崇史氏のQEDシリーズによると、すべての神社は御霊ということになるそうだが、ここの祭神は百済が滅亡したのが無念だったということなのだろうか? 屋根の上に狛犬?のようなものが飾ってあるのが珍しいげに思えた。 |
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