らんどくなんでもかんでも 8

皆様、8年間本当にありがとうございました。

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野坂昭如氏は、自らの戦時体験(終戦時15歳)を基にして、
いくつかの戦争童話を書いています。
これはその中の一編です。

野坂氏の作品は青空文庫等では見ることができませんので、
まず今回はあらすじベースで記事を書きます。

なお、原作をアレンジしたアニメ版のあらすじはこちらです。
http://www.shin-ei-animation.jp/sensoudouwashu/modules/tako/
https://www.amazon.co.jp/%E6%88%A6%E4%BA%89%E7%AB%A5%E8%A9%B1%E9%9B%86/dp/B00FS31P1C
野坂氏といえば「火垂るの墓」。
皆さんもご存知の通り、戦争で両親を失ってしまった年端のいかぬ兄と妹の話で、
涙なくしては見られない戦争悲話です。

そして、この「凧になったお母さん」もまた然り。

しかしながら、「火垂るの墓」は、子供の心情描写がメインなのに対し、
「凧になったお母さん」は、お母さんの心情描写がメインになっています。

おそらく、自分などは、このお母さんと世代が近いせいもあるのでしょう。
自分の心が、お母さんの心とシンクロしてしまう部分があり、
読んでいて、とても切なくて、苦しく感じるものがあります。

頼みの夫が兵隊になって南方戦線に赴くときの不安な心。

いつも聞き分けのいい、幼子のカッちゃんが、時折、父親を恋しがってむずかるのを不憫に思う心。

食料が乏しくなり、カッちゃんの、ひもじい表情を見て、
着物と引き換えに、食料を分けてもらいに、遠い田舎まで汽車に乗って出掛けて行く心。

空襲警報を聞いて、落ち合うはずの防空壕に居らず、
慌てて捜したところ、自宅の押し入れの中で、無事にすやすやと眠りこんでいるのを見つけて安堵する心。

夫の戦死公報が届き、それをカッちゃんに知られまいと必死に涙をこらえる心。


お母さんはの幼いカッちゃんを、1人で懸命に守ってきたんです。


ある日、2人の住む町にB29が来襲し、大量の焼夷弾を落とし始めます。
燃え上がる家々。
その炎に追われて逃げるお母さんとカッちゃんですが、
お母さんは、幼いカッちゃんを連れて、遠くまで逃げることがでません。

やむなく駆け込んだのが、近所の、いつも遊んでいる公園。
業火に囲まれ、お母さんは、カッちゃんをかばうように、
覆いかぶさるように、その場にうずくまります。

熱風に晒され、カラカラに乾き、苦しそうなカッちゃんを見て、
お母さんは、滝のように流れる自分の汗を、かっちゃんの乾いた顔に塗り、
少しでも苦しみを和らげてあげようとします。

お母さんは、そうしているうちに、知らず知らずに涙が出てきて、
いろいろな思い出が頭を巡ります。
かっちゃんが生まれた日、ハイハイの思い出、
お父さんとかっちゃんと3人で、この公園でひなたぼっこをしたのは、
ついこの間のこと。

お母さんは、溢れる涙をありったけ、かっちゃんの頬に塗ってあげます。
しかし、そのうち煙にやられて、
お母さんは、涙も枯れ果て、もう目も見えません。

意識が朦朧とする中、かっちゃんが、お母さんの乳房を吸っているのを感じ、
必死に乳房をわしづかみして、母乳をしぼり出し、カッちゃんに塗ってあげます。
しかし、やがて母乳も尽きてしまいます。

次第に意識が薄れゆく中、
どこかにカッちゃんを潤してくれる水はないか、ミズミズと呪文のように繰り返すうち、
お母さんの毛穴から血が吹き出し、抱きすくめるカッチャンの体をしたたり流れます。
血はどんどん吹き出し、満遍なくカッちゃんを覆い尽くしたのでした。

実際、東京大空襲や原爆などでは、
母親が幼子をかばうような形の母子の黒こげの遺体がいくつも見つかっています。
その亡くなった方々も、この物語のお母さんと変わらぬ気持ちで我が子を守ろうとしたのかもしれません。

やがて火は衰え、炎上の煙は風に払われて、青空が戻ってきます。
カッちゃんが気づくと、自分に覆い被さっていたお母さんは、体中の水分を与え尽くして、
干物のように、からからになっていました。

この物語のお母さんのようなことは、実際には、ないのかもしれませんが、
作者は、空襲による炎の力の恐ろしさ凄まじさも表現したかったのでしょう。


そして、空襲の後に吹く強い風に吹き起こされ、
お母さんの体は空に舞い上がります。
「お母さん」とカッちゃんの叫ぶ声に振り返りつつ、
お母さんの姿は青い空に吸われ、
天女のように舞いながら、やがて見えなくなってしまいます。

お母さんが命をかけて守り抜いたカッちゃんも戦災孤児となり、
何日もじっと空を見上げて、うずくまって、
お母さんを待ち続けました。
8月15日終戦の日、お母さんが迎えに来て、
カッちゃんのやせ衰えた体も風に吹かれて空に舞い上がりました。

2人は空いっぱいに舞いおどりながら、どんどん空高く昇ってゆきました。

ここで話は終わります。

最後の場面、子供が独り取り残されて、衰弱して死に至るという下り、
「火垂るの墓」でも同じようなシーンがありました。
いわゆる戦災孤児という存在は戦中から戦後にかけて街にあふれていたんでしょう。
現在と異なり、社会制度が整備されていたわけではないので、
彼らはいわば社会から捨て置かれた存在。
自力で生きることができなければ、死ぬしかなかったのでしょう。
まして、カッちゃんのような年端の行かぬ子供では…


今回は青空文庫収録作品でないため、あらすじ紹介で記事が長くなってしまいました。
原作の野坂昭如氏がどうして、このような物語を創作したのか、
自分なりに、次回のエピローグで書いてみようと思います。明日あたりに。
 
 
 

閉じる コメント(15)

最後に、
この作品に触れたことのある方は、もうお気づきでしょうが、
自分のこの記事は、原作とそれを元にしたアニメの話を混ぜて、内容を書いています。

それで記事の題名を
「凧になったお母さん」原作 野坂昭如
としました。

両者を比べると、アニメの方がやや情緒的に優しく描いているでしょうか。
特に最後のお母さんの遺体が飛んでゆくシーンとカッちゃんが死ぬシーンは、
アニメを見る子供への配慮か、あえて曖昧に描いているような気がします。

野坂昭如氏は原作のあとがきで、童話を書くに当たって、読者の年齢を考えなかったと言っています。
ですから、原作は童話と銘打っていますが、
シビアなシーンもあります。

どちらが良いと言うことはいえず、どちらもそれぞれに良いところがあります。
ただ個人的にはアニメを見てから、原作を読んだ方がとっつきやすいような気もします。
アニメは普通にレンタルできますし、本も容易に入手できるものです。
よろしかったらご覧になってみてください。

2012/8/10(金) 午後 6:44 [ もたんもぞ ]

夏のひこうき雲さん、おっしゃる通り、戦争は本来結ばれるべき人間の絆というものを、いとも簡単にバラバラにしてしまう、恐ろしい所為です。
では二度と起こさないようにするには、どうしたらいいか。
それは戦争で実際起こった悲しみ、苦しみを決して忘れないことだと思っています。
そのあたり、次のエピローグで書きたいと思っています。
また読んでくださいね(^^)

2012/8/11(土) 午前 3:08 [ もたんもぞ ]

おはようございます

哀しいですね …。
今もきっと 世界のどこかで 同じ様なお母さんが …。
そして 同じ様な子供達が …。

そのような哀しみを 多少の犠牲と切り捨てる為政者に 正義があるとは思えず …。
どんな思いに囚われての事なのか …
「目を覚ましなさいっ」と 叱りとばしたい …。
もちろん、そんなことで 何かが変わるとは思えませんが …。

2012/8/11(土) 午前 9:01 ko-todo

ko-todoさん、
太平洋戦争時は20〜30代の男性は、戦地に出ていることが多かったので、
空襲とかの話では「凧になったお母さん」のような母子の話が多いですね。
この頃のこういうお母さんは戦地に行った夫を案じながら、
幼子をかかえて、自らの心細い思いを抑えて、
懸命に頑張ってきたんですよね。
それが報われることなく、戦争で母子とも死んでしまう。
本当に切ないですね。
自分は「火垂るの墓」より「凧になったお母さん」の方が、心がシンクロして、いろいろ深く考えてしまうんです。

2012/8/11(土) 午前 10:36 [ もたんもぞ ]

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こんばんは
戦争は本当に残酷で救いようのない行為です。
これが、人間の本性なのか、と思うと切なくなります。

戦争物は私にとって最大の弱点と、いうか。もう涙なくして
見られない状態ですね。今夜も、もぞさんの語りに
泣かされました〜!(>_<)〜〜クー!!

2012/8/12(日) 午前 0:01 [ - ]

つげさん、
自分の記事が何か思ったり、感じたりというきっかけになれば嬉しいですね(^^)
戦争の記事は悲しいお話が多いですが、
必要以上にゆがめて、泣かせ節のようにしないで、
ある意味、淡々と書いてゆきたいと、絶えず思っています。

2012/8/12(日) 午後 0:52 [ もたんもぞ ]

戦争末期、一般市民の住む町に、爆撃編隊やってきた。さいしょに、ぐるりと、下町の、逃げ道断つよに、焼夷弾、ぐるりと火の壁つくりあげ、仕上げに、輪のなか、焼き上げた。7万人が、焼け死んだ。作戦つくったルメイ准将、戦後に日本の自衛隊、うまくこさえて、叙勲され。科学のちから、原爆は、一発だけでも十二分、二発おとして数十万、やせたジャップが焼け死んだ。いまだに米英おもいだし、戦争おわらせいい爆弾、人道的な方法と、うたがいもたぬ脳天気。あー、チャカポコ、チャカポコ、チャカポコ、チャカポコ…。

2012/8/14(火) 午後 9:35 Dango

Dangoさん、
エピローグでも述べましたが、
戦争というのは一旦転がりだしたら、転がるべきところまで転がって、
決して止まることはありません。
転がっている間は、止まるまでコントロール不可能ですから、
いかようなことも起こり得ます。
第二次大戦の大量の市民が死んだこともそうです。
ですから起こさないことが大大前提なんです。

では起こってしまったらどうするか。
残念ながら戦前に何ら講ずるものが無かった側は、為す術がありません。
戦前にいろいろな備えを怠らなかった側だけが、被害を最小限にくいとめることができます。
記事でも述べましたが、そういう意味で自分は、いわゆる絶対的平和主義者ではありません。

このことについては、8月中に、別の記事で書くつもりです。

2012/8/15(水) 午後 3:04 [ もたんもぞ ]

たいへんしつれいしました。
今日は、戦死者をしのぶ日です。
無念の罪なき死者を弔い、そして、勝ち誇る勝者はもちろん、死者を忘れ理想なく生き残った敗者を痛烈に批判するため、野坂昭如だったら、木魚叩いて、阿呆陀羅経をとなえるのではないか、と、妄想したのです。不謹慎を、かさねて、おわびします。
もたんもぞさま、東アジアが、不穏です。墨子のように、平和を求めつつ、しぶとく戦い、民を守り抜く智恵を、教えてください。

2012/8/15(水) 午後 5:09 Dango

Dangoさん、大丈夫ですよ(^^)
コメントからはふざけた印象は全く読み取れませんでした。
本当は絶対的平和主義が理想なのでしょうが、
残念ながら、現実は…というと、なかなか厳しいものがあります。
それでは自分なりにどう考えているか、ということを記事に書きたいと思います。
この辺りは日本でも大きく意見が分かれるところです。
あまり政治的意見は…というのが、このブログのスタンスなのですが、
戦争ということに踏み込んで書いている以上、避けて通れぬ問題です。
ですから、少し書いてみようと思っています。

2012/8/15(水) 午後 6:08 [ もたんもぞ ]

もたんもぞさま、フォローしていただいて、ありがとうございます。
わたしが、許せないのは、勝者のおごり、敗者の無反省・無反省なのです。
アメリカの傍若無人。
日本の原発事故、消えた年金、赤字国債。だれも、責任とり、刑務所いきません。
わたしも、政治的な主張は、ブログでひろげたくないのですが、根っこは、戦後処理ではないか、と、かんじています。
アメリカは、原爆、焼夷弾を正義として、細菌戦データなどをもちさりました。
そのかわり、日本では、戦争開始したときの、最高地位にいた方が、追及されることはありませんでした。もちろん、実質的な懲罰など必要ないですが、身をひかれて、次世代にゆずり、摂政をおたてになったほうが、よかったのではないか、そうしたら、戦後日本人の生きる道は、すこしちがったのではないか、そう思えてならないのです。
このコメントは、このまま、非公開でも、けっこうです。震災、原発処理、定数是正、年金、増税などをみて、わたしのいつわらざる本音です。

2012/8/15(水) 午後 7:33 Dango

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野坂昭如は人間的に好きではありません(笑)。
それは別として、あの童謡の『おもちゃのチャチャチャ』の作詞者なんですよね。

『火垂るの墓』なら観ましたが、この作品の事は全く知りません。

2012/8/19(日) 午後 7:00 ZODIAC12

Dangoさん、
お悩みの数々全てにお答えしようとすると、
記事が100くらい必要になってしまうと存じますが、
非常に手短に、解決法をかいつまんでいいますと、ひとつひとつ地道に解決していくしかないと思っています。
神様が現れて
お前たちの罪は全て許された
と言ってもらえれば、どんなに楽だろうと思いますが、
まずそんなことはありません。
人間は自分達が永年為してきた誤りは、永年かけて自分達で取り払わなければならないのだと思います。
手っ取り早く神の杖の一振りで…と思う者は
罪を悔いて真からやり直そうとしている者とDangoさんは感じるでしょうか。
それは借金のチャラを求めるのと何ら変わりありません。

2012/8/20(月) 午後 7:49 [ もたんもぞ ]

「千里の道も一歩から」というのは老子の言葉ですが、
その言葉は人間の為してゆくこと全てに当てはまると思っています。
自分達の為してきた悪行も、一歩ずつ歩いてキレイにしてゆくしかない。
しかし、悲観すべきことばかりではありません。
先の言葉を逆に解釈すれば、
一歩ずつ積み重ねていけば、どのような遠大な目的地にも到達できる
と言っているのだと思います。
ともすれば挫けそうな遥かなる道をたゆまず歩いてゆくには、
お互いの思いやり、愛情というものが不可欠ですね。
そういう意味では老子と孔子は相排斥しあうものではないと思っています。
少し言葉足らずで申し訳ありませんが、
このテーマはまた別の記事で語ることもあるでしょうから、
今日のところはこの辺りで失礼させていただきます。

2012/8/20(月) 午後 7:53 [ もたんもぞ ]

ZODIAC12さん、
野坂昭如氏は大勢の面前で大島渚氏と殴り合いをしたり、??の部分も多い人ですが、
それでも、彼の多彩な才というものは認めざるを得ないところがありますね(^_^;)
ある種の奇人というところでしょうか。

2012/8/20(月) 午後 7:58 [ もたんもぞ ]


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