崇教真光からの脱出

崇教眞光内部で生まれ育った生粋の二世組み手です。今まで巧妙巧みに隠されてきた崇教真光の実態を暴露するためにブログを書いています。
最近、真光被害者の会のサイトからご無沙汰していましたが、久しぶりに見てみると、
とある書き込みに対して根拠もなく『嘘を書くな』と罵っているのを見つけたのです。


実をいうと、私自身も崇教眞光脱会まもない頃にとある真光批判ブログにコメントしていたのですが、
ある時、私が身の上話を書くと、『嘘を書くな』と削除されてしまったのです。
どうやら、私の過去が波乱過ぎて『そんな無茶苦茶なこと起こるか。作り話はいい加減にしろ』と思われたようで、
その後もコメントを続けると、
私を誹謗中傷する記事を作成されました。
この人から見捨てられたら、どうやって生きればよいのだ。死にたいとすら思いましたが、
この時助けてくださったのが、後述しますが『混ぜるな危険!ブログ・サンポール』の管理人だったのです。

同じ崇教眞光の脱会者に見捨てられ、他教団の脱会者に助けられるなんて、おかしな話です。






本題に入ります。
結論をいうと、
真光の組み手は思いやりの欠如した器の小さい人間だから。


真光被害者の会には脱会者が集まっていますが、人間そう簡単には変わりません。
脱会出来ても、『現役組み手時代はなぜ他人から嫌われていたのか』と反省し、本気で欠点を直そうとしない限り、現役組み手時代の性格は変わらないのです。

だから、真光被害者の会にも、
他人を貶めたり正義感を振りかざして、他人より優位に立つことで快感を得る嫌な奴(現役組み手そっくり)がいるのです。


そのため、真光被害者の会に相談事を書くときは、『相手は自分を叩いてくるものだ』という気持ちで注意して書かないといけません。
本気で悩んでいるときは余りおすすめしません。



他所の教団ですが、
幸福の科学批判サイトである、『混ぜるな危険!ブログ・サンポール』にも以前書き込みをしていましたが、
こちらはおおらかな方ばかりで、
飛躍したことを書いてもすんなり受け入れられました。
真光被害者の会なんか、飛躍したことを書けば『デタラメ書くな』と正義のヒーローずらした奴や不謹慎狩りから叩かれますからねえ。


如何に真光がギスギスしているのかよくわかります。


私の感覚からいうと、
幸福の科学の信者は議論慣れされているような感じであり、自分と違う意見があるのが普通、という感覚でした。
ひるがえって崇教眞光では、全員同じ意見でなければダメで、自分と違う意見は受け入れにくい、というような感覚です。

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前川喜平 前事務次官が語る「思想的には相容れない、加戸守行さんのこと」
辻田 真佐憲 文春オンライン
http://bunshun.jp/articles/-/7862?page=1 より転載



  (長文、政治家との関係がわかる)

 文部行政のトップを司った前川喜平・前文部科学事務次官。その異色の官僚ぶりを150分にわたってお伺いしました。成績優秀にもかかわらず、なぜ「三流官庁」と呼ばれた文部省に入省したのか? 臨教審、日教組との和解の舞台裏とは……。文部官僚の貴重な回想の数々を『文部省の研究』辻田真佐憲さんが聞き出します。(全3回インタビューの2回目)




仏陀が何を語ったのか知りたかった大学時代

――東大法学部を卒業して文部省に入るわけですが、大学には6年いたんですね。

前川 留年を2年しましてね。だから私は教育は6・6・6制がいいって冗談で言っているんです。小学校6年、中高6年、大学6年。

――まさにそれを実践されて……。

前川 大学時代、高等遊民に憧れてたんですよ(笑)。それで全然、大学の勉強しない時期が3年くらいあったんです。仏教青年会に入っていて、仏教の本を読んだり、お寺めぐりをしたり、仏像見学に行ったりしてました。

――気づいたのですが、前川さんと麻原彰晃は同じ1955年生まれなんですね。

前川 そうなんですか? 

――当時の大学では、怪しい宗教の勧誘などの動きは見られましたか?

前川 キャンパスというのは宗教勧誘で充満しているところがありますからね。統一教会系の原理運動、崇教真光、歩いていれば声をかけられました。創価学会も東洋思想研究会みたいな名前で人集めをしていました。でも私はそういうものに興味がなくて、ただ仏陀が何を語ったのかを知りたいだけで。中村元、増谷文雄の本をずいぶん読みました。当時、座禅もやってましたよ。とても悟りを開くところまでいけませんでしたけど(笑)。極めて軟弱なテニスサークルにも入っていたので、悟りとは程遠かったと思います。

――テニスサークルですか。

前川 麻布の中高でめちゃくちゃ弱いラグビー部に入っていたんです。で、そのまま東大の運動会ラグビー部に入ってみたんですが、相当厳しくて、焼肉をさんざん奢ってもらったのに、辞めますとも言わずにトンズラしちゃった。あれは今でも申し訳ないと思っているんですけれど。それで、一緒にトンズラした友人がテニスサークル作るというので入りました。
文部省に入った理由

――かなりよい成績で国家公務員試験に合格したそうですが、あえて文部省を選んだ理由は何だったのでしょうか。

前川 私が文部省に入省したのは1979年、昭和54年ですけど、高度成長が終わり、これからは社会が成熟していく時代という雰囲気がありました。だから、経済官庁に行く気はなかったんです。金とかモノではなくて、人の心や人そのものに関わる行政に魅力を感じていた――まあ、美しく言えばそういうことかな。

――美しく言えば、ですか。

前川 ま、実のところあまり明確な意識を持って文部省に入ったわけではないんですよ。なんとなくです。

――人気官庁から声がかかってもおかしくない成績だったそうですが。

前川 そもそも官庁訪問したのがすごく遅かったんです。あれ、みんな行ってたの? みたいな。それでいくつか回りはしましたけど、教育や文化を扱う文部省がいちばん性に合っているなと。

文部省は「主君と家来」の文化というか

――実際に入省されての文部省の印象はいかがでしたか?

前川 いや、入る前からひどく保守的なところだろうとは思ってました。扱う分野は教育、科学、文化と大事なものばかりですが、役所自体が後ろ向きの姿勢だと感じていました。私は教育はもっと自由でなければいけないという信条でしたが、文部省は教育に対する国家の支配を強めようとしていましたから。これは自分の思想と、組織の論理は食い違うだろうなと覚悟してました。

――組織の論理という面では、他省は「上意下達」「上の命令は絶対」という雰囲気もあると思いますが、文部省はいかがでしたか。

前川 同じですよ。文部省はよく言えば家族主義的な組織、悪く言えば封建的なイエ制度みたいな感じです。主君と家来というかな。上司は自分の家に部下を呼んでご飯を振舞ってくれる、部下たるもの上司の引っ越しは手伝うもの。昔の村社会みたいな行動様式が残っていました。それがはっきりわかったのは2001年に科学技術庁と文部省が一緒になったときですね。科技庁はドライ。もともとが寄せ集め、霞が関の血筋の違う官僚たちが集まったところですから、明治4年以来続いてきた文部省の文化とは大違いでした。田舎と都市の違いのようなものを感じましたね。

――最初の配属は官房総務課。当時の大臣は内藤誉三郎(たかさぶろう)さんですね。

前川 そうです。文部省OBの政治家でした。内藤さんは戦後の教育行財政の基礎を作った功績の大きい方で、私はのちに財務課長として義務教育国庫負担制度も担当しましたから、まさに直の後輩にはなるんです。ただ「タカ三郎」というお名前だけあって、相当なタカ派であったことは間違いありません。

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これは私自身がそうだから記事にしました。

私は幼少の頃より、事故だけでなく些細な失敗も全て『神様に対して何かしらご無礼なことをしているか、神向きが足りないことを、神様が知らせるために失敗させている』と教団から教えられ、

何か失敗する度に神様にお詫びさせられ、『何か神様にご無礼なことをしているから思い当たる節があるはずだ。失敗するのは神様にご無礼や神向きが足りない証だ!』と責められ、神様へのご無礼や神向きの足りない部分を白状するまで許されないのが普通でした。


そのため、『失敗=神様へのご無礼・神様のお怒り』となり、神様へのご無礼は命に関わるほど深刻なことを嫌というほど教えられているため、
私は失敗に対して極度の恐怖心を抱くようになったのです。


それから、何か失敗したら何を置いてもすぐに神様にお詫びするのが霊的な考え方であり、
一般的な『失敗した原因を探り、次から同じ失敗をしないように対策を立てる』ことを先に行うと、目に見えることのみに囚われた現界的な考えであり、物主逆法で神様に対して罪を積む、というのが崇教眞光では普通に教えられているのです。

だから、思い当たる節が全く無くても、神様へご無礼していることや神向きが足りないことを無理やり創作して白状することが幼少から普通に行われていましたし、
『失敗した原因を探り、次から同じ失敗をしないように対策を立てる』という概念事態がありませんでした。
むしろ、失敗した原因を探り、失敗しないように対策を立てることは悪いことであるという印象を持っていました。



失敗と神様へのご無礼を結びつける教えが酷いのは、一般的には自分に非がない事象まで全て自分のせいにされてしまうことです。
自分の回りで起きた事象全てが自分の責任で起きており、悪い事象が起きれば『神様に対するご無礼や神向きの低下を知らせるために神様が起こされている』のです。



私が小学生の頃の話です。
習い事で習字教室に通っており、
習字教室の玄関のすぐ横に習字道具の洗い場がありました。
私が帰ろうとしたときに、突然、洗い場の水道の蛇口が折れて、破裂したのです。
私はとっさにその場を離れ、逃げるように自宅へ帰りました。
もちろん、次の習字教室の時に先生より『水道が破裂したのを知ってるか?』と問いただされましたが、知らぬ存ぜぬを突き通しました。


水道破裂という悪い事象が自分のすぐ近くで起きたため、私は無意識に『物凄く責められる』という恐怖心を抱きました。
それで逃げてしまったのです。


今思えば、習字教室には大変迷惑をかけてしまいました。
機会があれば謝りにいきたいです。
このとき崇教眞光を脱会できたことを伝えれば喜んでくれるでしょう。




失敗した原因を探るという概念がないため、同じ失敗を繰り返し、
失敗は神様の警告であるため、
私は29歳で脱会するまでずっと常に『何か失敗しないか失敗しないか失敗しないか失敗しないか』という恐怖心に苛まれ続けることになります。


脱会して初めて、一般的な概念を知りますが、
幼稚園児ですら知っている常識を30過ぎた大人が社会生活しながら学び直すのは並大抵ではありませんし、崇教眞光時代みたいに周りから奇異の目で見られることは今でも日常茶飯事です。
赤子の頃(正確には受精卵・胎児の頃から)から30年近く染み付いたものが今さら間違っていると突きつけられたところで絶望しかありませんが、
崇教眞光の悪事を世間に知らしめる生き証人として死ぬわけにはいかない。
崇教眞光に医療否定による不作為殺人で殺害された組み手、眞光隊教連中に死亡した眞光隊員、自殺に追い込まれた組み手、過度な教団活動により事故死した組み手の分まで生きなければなりません。

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これは崇教眞光青年隊員に配布されている隊員必携の真光青年隊隊規が記載されているページですが、
不自然なところがあるのです。

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お気付きになられた方もあると思いますが、条文の番号が所々飛んでいるのです。
つまり、隊員必携には抜粋と書かれているように、隊規の一部しか書かれていないのです。



一般世間の常識から鑑みれば、眞光隊員は隊規に従う義務はありません。
何故なら、隊規の一部しか書かれておらず、教団は告知義務違反を平然と犯しているからです。
これがもし普通の会社なら、就業規則は無効になるばかりでなく、会社に対して30万円以下の罰金が課せられます。



ここで気になるのは、隊員必携に掲載されていない部分には何が書いてあるのか?

眞光青年隊隊規の全文は各道場にありますが、普段は金庫に厳重に保管されており、教団幹部と眞光隊隊長・副隊長しか閲覧が許されていません。
だから、私も隊規の全文を見たことがないのです。


隊規なんて全ての隊員が当たり前のように知っていないといけないものです。
それを金庫に保管して限られた人物しか閲覧できないようにするということは、一般世間に知られるとまずいことが書かれているからだと思われます。



以前、隊長が口を滑らしたのを聞いたのですが、
隊規の全文には、『教団幹部や隊長・分隊長など自分より上の立場の者の言葉は、神様・教え主様の言葉である』という文言がある。
そうです。

まるでオウム真理教みたいですね。






隊員必携のp70には、
『第九六条
真光青年隊の修錬活動にあたり必要あるときは「L・H陽光研究会」の名称を使用することは差し支えない。』
という、偽装サークルを作らせるための条文がありますが、
現在、眞光隊員に配布されている新しい隊員必携には、この文言は削除されています。
つまり、ネット上で崇教眞光も偽装サークルを作っていることが暴露されたため、必携への抜粋記述から外したのです。

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霊障と人生怖るべき霊の暗躍p102より


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それにしても、秘蔵の経典を公開してもいいのでしょうか。

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