桃の香りに誘われて

北京オリンピックを分岐点に中国は・・

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太原駅近くのバスターミナルから、バスに揺られて一時間半後、世界遺産指定都市「平遥」に到着する。旅行前の日本での旅行書をパラパラとめくっていた私を印象づけたのは、その本のグラビアで紹介されていた平遥の町並みだった。
明代に建築されながら現存している民家の数々、城壁の門を毎日通り抜けながら、羊飼い達が放牧のため羊を追う姿…..古めかしい街を色で例えるなら、沈んだ灰色といった感じ。だけれど、なんだか暖かさが体に伝わってくる感触は何なんだろう。所詮は旅行書なのだから、いいところばかり写しているのだと皮肉を込めて見ていても『行ってみたい!』という意志が強まってくる。

平遥バスターミナルの周りには個人タクシーならぬ個人持ち輪タクに、お客を乗せて一商売しようというおじさん達でごった返していた。私達は最初から利用する気がなかったので彼らの誘いを無視し続けていた。ともかく最初の場所では、周りの景色をぐるりと見渡した後でないと第一歩は踏み出せないので、そのためにしばし立ち止まっていた時、その内の40歳代くらいの「人のよさそうな」一人がお客をゲットしたい一心で私達に詰めよってきた。それでも断り続けていたが、その熱意にとうとう負けてしまい数時間付き合ってもらうことに話を決めた。『まったく、商売上手なんだから』
とりあえずは、あこがれの城壁からスタート。明代、この都市を囲んだ城壁は外界からの敵の侵入を防いでいた。敵を防ぐために、高さ12m、上部は何百人もの、ひょっとしたらそれ以上の兵士たちが当時のあらゆる戦法で敵に向かって攻撃できるように、幅が5m位程もある道路のようなこの壁を築かねばならなかったのかも知れない。 周りの壁は、寸分たがわずレンガが積み重ねられている。灰色に感じた町並みは、このレンガのせいだったのだろうか。

ひとしきり城壁の散策を楽しんだ後、輪タクのおじさんは古民家へ私達を運んでくれた。明代から清代にかけて金融業が盛んだった平遥の商人達が競って建築した民家は、山西省独特の造りとなっているのが特徴である。おごそかに表門から足を踏み入れると、まず、中庭があり、いくつもの部屋がその両脇に連なり、その奥にどっかり構えた大きな部屋が横に並んでいる。その上に二階があり、さらに屋上まである。屋上に出ると屋根から突き出たオンドルの煙突をみることができる。財を抱えた家とはいえ、この当時から暖房設備が整っていたということは、いかにこの地方の冬が厳しいものであるか物語っているようだった。しかし、この自然環境は、山西人の勤勉さ、堅実さ、つつしみ深さ、団結力の源を作り出したのである。山西商人と呼ばれる人たちが、商売をする上で粘り強さを持ち備えた巧みな交渉術を行使できたのは、幼い頃から自然と身に付いた、これらの根本的要素があったからであろう。

一階は、商売や接客のために使用されていたほか、主人夫婦そして男たちの住居でもあったとのことである。二階は女たちの住まいとなっており、ここで育った娘たちは、この二階が唯一の世界であった。そのため、嫁入りまで表に出されることはほとんどなかったという。まさに「箱入り娘」である。部屋の内装は、贅を尽くしており、柱、梁そして窓枠にはレース模様に似た彫刻が施されている。柱一本の細工のために数年も費やしたものもあるらしい。それというのも、懸命に働いて得た富をレンガや瓦、豪華な彫刻に費やすことが山西商人たちの文化スタイルだったからだ。

見学したうちの一軒の民家には、今でもここで生活している家族があった。私達の案内人を勤めてくれた、この家の20歳になる息子さんの話しによれば、彼らは以前からここで生活をしているのではなく、数年前にこの家を買い取ったという。彼はこんな台詞を私達に提供してくれた。『当時の人たちは、商売もうまく行き、繁栄したが為にこのような立派な家々を造ることができました。あるときから稼業が衰退し、古いものばかりが取り残されてしまい、それを建てかえる力も無くなってしまったのです。けれど、それが今またその古さ故に世界中から注目され、また繁栄し始めました』と。
彼の家族の生活の糧は、美術品の製作である。漆で塗り込められた厚さ3cm位の黒板に中国の美人画や童、そして龍などの絵を色とりどりの絵の具のような、ペンキのような素材のもので描き、それを壁掛けや屏風に仕上げている。黒塗りした板があまりにもピカピカ光っているので、それはどうしてかと聞くと馬の油で磨くとこのように美しい光沢が出るのだと教えてくれた。
むかしは、「良い家には良い家具が必要である。家と家具は代を経て継承されるもの」という、山西商人の考えに基づいて十分考慮された家具が作られた。今の時代でもこの考え方が息づいているから、このような工芸品を仕上げることができるのだろう。そして、イギリス人が物を大切にし、壊れたらまた修復して使うのと同じように物に対する愛着の気持ちを中国の人も持ち合わせているのだと思った。
生活の為の必需品である自転車についても同じようなことが言える。中国の道路には自動車の量をはるかに凌ぐ自転車であふれかえっている。特に朝の出勤時間帯には、道一杯に広がった自転車群が波のように押し寄せてくる様子を見ることができる。大きな街の通りには、自転車の部品屋さんが何軒も並んでいるので、必要な時にいつでも修理できるような仕組みになっている。そこには、椅子カバーの取替え用まで置いてある。

私達の乗った輪タクも修理に修理を重ねているようなものだった。運転手のおじさんが、いかにこの商売道具の輪タクに愛情を注いでいるか見てとれる。中国で走っている輪タクのほとんどは、日本の30年位前のごつごつした感じの自転車の後ろに人力車のような二人乗りの椅子が取り付けられている。それの繋ぎ目のところはトレーラートラックのようなピンで止めてあるため、直角の曲がり角でも運転席と乗車席がうまい具合に折れ曲がり、スイスイ通ることができる。だから、高い塀で囲まれている上に、人が三人並んだら通れなくなってしまうような小路が複雑に続いている、古民家が並ぶ辺りでも平気で走り抜けることができるのだ。このおじさんのさらなる工夫はペダルをこぐ労力を少しでも省こうとして、独自のモーターを取り付けていることだ。燃料を入れるタンクはペットボトルである。

古民家の見学も終え、これで平遥の観光も終わりかなという時、おじさんは次の提案を持ち出してきた。「双林寺」へ行かないかと言うのだ。そこへ行くには車がビュンビュン走る道路を10kmも走らなければいけないのに。しかし、私達はまたおじさんの提案に応じてしまうのである。輪タクに乗って、いとも簡単に「双林寺」へ到着した。

この寺は、571年に創建された仏教寺院である。元、明、清時代に作られた2,000体以上の彩色塑像が納められている。塑像とは、その中心をなす心棒の回りに縄などを巻きつけ、よりしっかりした軸を作り、そこに粘土を貼り付け像の形に仕上げたもののことをいう。ちなみに、唐の国から日本へ渡ってきた鑑真和尚が、僧になる為の戒律を定める場所として使用した建物、戒壇院が奈良東大寺の隣にある。その中に、納められている1,300年前の4体の四天王もこれと同じ工法で製作されている。今は、粘土の色がむき出しになってはいるが製作当初は、赤、緑、金の色で塗られていた。国宝となっているこれらは、日本最古の塑像とのことである。
女性らしき塑像は、お顔立ちも柔和で全体のバランスもしなやかで、それをずっと見続けていると、中国の茶館に入って茉莉花茶を一杯頂いた後のように私の気持ちもしっとり落ち着いてきてしまう。男性らしき塑像は、写実的で躍動感があり、その前に立つと吸い込まれてしまうようであった。
しかし、特別の像と思われるものはガラスケースの中で保護されているが、ほとんどのものがガランとした寺院の中に置かれただけで、それの塵を払うことも無いと見えて、埃が像の肩や胸元あたりまで積もっていた。それがかえって素朴さと身近さが感じられ、私の心はそれらに惹き付けられてしまう。北京や東北地方の仏像は、文化大革命でずいぶん犠牲になったと聞いたが、首都周辺から離れた地に納められたこれらの仏像たちは幸運にも、毛沢東のこの革命から逃れることができたのだろう。

双林寺の門の前でおじさんは私達をずっと待っていてくれた。寺院からバスステーションへ向かう、真っ直ぐに伸びた道の両脇には、幹が白樺のように白くて、高さはそれよりももっと高い樹木が植えられている。その並木道を時速20km位の輪タクに乗って進むと、うちわで扇いだくらいの風が体全体にそよいで来る為、心地よい。道の両側で農家のおばさん達が出店している山のように積まれた、桃からほんのり甘い香りまで漂って来るのがわかるようだ。太原駅ももう目前…。

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平遥へ行きたくて検索してお邪魔しました。いっそう行きたくなりました。

2008/2/22(金) 午前 10:54 she*gb*9*8


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