帰ってきた不良中年

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なんちゃって下町散歩 その6


事実は一つでも、真実は一つとはかぎらない。
 ...
ひとつわかりやすい例を挙げてみましょう。
ある事柄について賛否のアンケートを取ったところ、
35パーセントの人が賛成、65パーセントが反対との結果が出たとします。
 
35対65で、反対多数。
この数字が「事実」です。
 
問題はこの数字をどう見るのかという点です。
 
反対意見に与(くみ)する人は、「多数」という点を強調しつつ、
「やはり、予想通り反対意見が多数を占めた」と評し、
これを「真実」とみなします。
 
しかし、別の人(賛成派)は、35パーセントという数字を重く見て、
「確かに反対意見が過半数となったものの、4割近くもの人が賛成である点は、決して看過できない」
などと、35パーセントの「重み」を最大限に評価します。
 
それぞれの意見は事実である数字を元にしていますが、
それをどう評価するか、どう解釈するか、
どう料理するか、どう誘導するか、
というところに
多くの「真実」が生まれる種子がひそんでいるわけです。
 
サカキバラなる人物が、過去の自分の行為に関して、
その頃の心理を自ら語った本を出版したようですが、
たぶん本人であっても、自身の動機や心理状態を十分に、また正確には表現できないでしょう。
ことによったら自分でもまったくわからない。
あるいはわからないままにそれらしい後付けの嘘をついているとか、だと思われます。
ウソというか、自分でもだんだんホントと思うようになってしまうことだってあります。
 
女子高校生が友だちを殺したり、女子大学生が老女を殺したり、
いわゆるサイコパスによる昨今の不可解な殺人事件なんかも、
事実は一つですが、「心の闇」などといって、真実は闇の中です。
ということで、
真実というのは解釈する人(第三者とは限りません。当事者・本人であることも含まれます)
の考え方でいくつも生まれ、
どれが正しいとか間違いとか言ってみたところで
どうにでもなる、あるいはどうなるものでもないのでした。
 
おしまい。
あ、これでおしまいっつったら、ぜ〜んぜん下町散歩にならないのでした。
 
   *   *   *
 
ときは元禄14年(1701年)の3月14日。
今から314年前です。
赤穂藩主浅野内匠頭は江戸城内・松の廊下で
吉良上野介をいきなり斬りつけたのでした。
 
浅野のたくちゃん、なんでいきなりブチキレたのか、
いろいろ言われています。
でも、江戸の城内でやっちゃまずいっしょ、やっぱ。
が、とにかく事実としては、
いっときの感情で、一気にテンションMAX、
吉良りんの背中や額に斬りかかったわけです。
 
赤穂藩お取り潰し、赤穂城明け渡しという悲劇が起こりうること、
容易に想像できたはずなのにねえ。
普通なら「喧嘩両成敗」で吉良りんにもお咎めがあるべきところ、
そこは吉良りん、キラリとひらめいて、
とっさに判断したかどうかは知らないけれど
ともかく刀を抜くことはせず、ただ逃げ回っただけということで、
お咎めなし。
あれま、うまいことやったね、吉良りん。
 
かたやたくちゃん、凶行の動機は「このあいだの遺恨」とか言っていたらしいが、
それが何を意味するのやら今もって不明だそうな。
吉良りんも「はぁー? ナンデスカーソレッテ?」
と述べて(あるいはとぼけて)いたそうです。
ほらね、やっぱ真実は闇の中でしょ。
たくちゃんは、即日切腹。
即日です。もう、アっちゅう間。
 
ここからたくちゃんの家臣であった
大石内蔵助を筆頭に赤穂浪士たちの
一大リベンジ劇が幕を開けるわけです。
翌年の元禄15年12月14日の討ち入りにより
吉良りんは井戸で首を洗われてしまいます。
吉良りん、たくちゃん、揃いも揃って
腸は出るわ生首ころがるわのサイコパス。
 
忠臣蔵に詳しい人はよくご存知なのでしょうけど、
吉良りん、もとからこの両国3丁目に住んでいたわけではなく、
刃傷事件後に元の屋敷を召し上げられて、この地に移り住んだとのこと。
この引越しに関してもいろいろと噂話があったようです。
 
ウィキペディアなどには「赤穂浪士達が主君の浅野内匠頭の代わりに吉良を仇討ちする、そんなことを期待して幕府が吉良を人気のない郊外に移したのではないかと江戸の人々は噂した」なんて書かれていました。
また、前回も引用させていただいた「両国三丁目吉良邸跡保存会・両国連合町会・墨田区観光協会」発行のしおりによると、
「吉良上野介の屋敷は、はじめ鍛冶橋の屋敷を拝領していましたが、刃傷事件のあと、赤穂浪士が吉良屋敷に討入るという噂があり、周囲の大名屋敷から苦情が出て、元禄14年8月御用地として幕府に召し上げられ〜」とあります。
 
ご近所の苦情ってあーた、ゴミ屋敷や「トナリの困ったちゃん」じゃあるまいし。
いや、もっと大きなハナシか。
カルト宗教の施設が来るとか、暴力団の事務所が入っているとか、ゴミ処理施設の建設反対とか、
そのレベルですかね。
 
まこれも、真相は闇の中ですね。
 
 
あれからすでに300余年、
その間には高度成長を背景に「昭和元禄」などと呼ばれた浮かれた時代もありました。
平成元禄などはもう来ないかもしれませんが、
それでも、浮かれた民衆はいつの世にあっても本質を変えないものです。
右も左も上も下もない。
 
本所松坂町公園・吉良邸跡界隈では、
毎年、討ち入りのあった12月14日に地元主催の「義士祭」が開催され、
赤穂四十七士も吉良二十士も、もう一緒くたに祀り上げられるそうです。
 
イメージ 1
(公園内には吉良家家臣を弔う石碑も)

同月には商店会を中心に多数の出店が道路に並ぶ「元禄市」も開催され、
町内はジジババ女子供で大にぎわい。
お手手つないで祭りじゃ祭りじゃ、
焼きソバたこ焼きチョコバナナ牛串綿菓子入り乱れての大賑わい。
 
考えてみりゃ、戦国時代の織田家も徳川家もちゃ〜んと断絶せずに子孫がいて、
アイススケートしたりしているもの。
 
敵も味方もありゃしない。
今ではたくちゃんも吉良りんもみ〜んな一緒に祀られて。
さあみんなで、かっぽれかっぽれ♪
 
軽佻浮薄、優柔不断の日本人。
まあまあそう肩を怒らせないで、と
深く考えず的なところこそ日本人のいいところ!
ですかね?
  
あ〜、かっぽれかっぽれ♪
 
(つづく)

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