顕正会から日蓮正宗法華講へ移ったブログ

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「顕正会員」さんへの返信のための下書きがもう1つありましたm(_ _)m



>内証は大聖人だが、造仏を認めたり、謗法与同したりした貫主がいらしたのを認めるか否か。これは否定するのですか?

日精上人が一時的に造仏を認めたこと、これは否定しません。
しかし、謗法与同は否定します。
ただし、歴代上人の中で、時代ごとに正系門家を守るため、苦渋の決断をされた方が何人かおります。
捉え方によっては、見る人によっては、「どんな状況であれ悪いことをした。」あるいは「謗法与同」と見えるかもしれませんが、どの上人も根っこから腐った方は一人もおりません。
なので簡単に「謗法与同」という言葉をもって、歴代上人を「謗法与同の貫首」と蔑むことは認めません。


「法主の御内証は大聖人であるから、仏法上の誤りなどあるべき筈もない」

いま申しましたように、その「苦渋の決断」を、「令法久住のためで、当時はそうしなければ大石寺がもたなかった」と取るか、「仏法上の誤りであった」とするか?
これは白か黒かで分けることではない、というのが私の見解です。


>第66世・日達上人は、御登座直後こう指導されておられたという。
「後世の総本山の代表たる貫主であっても大聖人の仏法に違背して自分勝手な説を立てて固執するならば、その説は勿論、その貫主を用いてはならない。日興上人は大聖人の仏法を守るためには、かくの如く実に厳格であったのである」

この文証は、「最後に申すべき事」16〜17ページには載っておりますが、出典もとが明かされておりませんね。顕正会内部でのことならばともかく、法論の素材としてこちらに出す以上、ちゃんと出典もとを示してください。

同じく17ページの「時の貫主の権限(趣意)」の方には、ちゃんと出典もとが示されてますね。

「基礎教学書」の303〜308ページには、御遺命の文証、国立戒壇の文証が、全て、出典もとを明かして示されております。

また、少し筋から外れますが、顕正会では文証の改竄も行っておりますから、出典もとがある文証でも、正直私は100%信じられないのです。
「最後に申すべき事」86ページには、富士日興上人詳伝を引用して、「今日のごとき常例となったのは、もったいない限りである…」
とありますが、
正しくは「試練と忍従の歴史」9ページ、「今日のごとき常例となったのは、もったいない事であるから、…」です。
顕正会員さんは「富士日興上人詳伝」をお持ちなのですよね。そちらだと277ページです。確認ください。


そして話を戻して、もし本当に日達上人がそのように言ったとしたなら、それは「一時的な誤り」です。


第65世日淳上人は、

「仏法に於ては正法が混乱をしないやうに相承の道を立てて明らかにされてあるのであります。それで此の相承のあとを尋ねてゆけば正しい仏法か、間違った仏法かを知ることができるのであります」

(「日淳上人全集」605ページ)


第64世日昇上人は、

「由来法門上の異説異見は何によつて起こるかといえば機根が猶お未だ熟さないうちに自らを省みず直ちに御書の一分一義に執して妄断するからである。即ち我見に任せて己義を立つるからである。古来仏法に於いて相承を尊び師伝を重んずるのは一に此の弊をなからしむるためである。聖祖は『法華経は相伝に非ずんば知り難し』と仰せられている。蓋し仏法の奥底は相伝によつて正しく理解することが出来るからである」

(『日蓮正宗聖典』4ページ)


と仰せられております
(ちなみに2人とも、“国立戒壇”の名称を使ったことがある歴代上人ですね。)

『百六箇抄』でも、
直授結要付嘱は唯一人なり。白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢んぬ。上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。

と仰せですし、

化儀抄にも、

「弟子檀那の供養をば、先ず其の所の住持の御目にかけて、住持の義に依って仏へ申し上げ鐘を参らすべきなり。先師は過去して、残る所は当住持計りなる故なり。住持の見たもう所が、諸仏聖者の見たもう所なり。」

とあります。

さらには三宝という観点から見れば、

三宝(戒壇の大御本尊様、日蓮大聖人、日興上人以下歴代貫首上人)は一体であります。

「凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり」
(真言見聞)

「吾が日興上人、嫡々写瓶の御弟子なる事、分明なり。故に、末法下種の僧宝と仰ぐなり。爾来、日目・日道代々是れ僧宝なり。」
(日寛上人 三宝抄)

「日興上人已下の代々も亦(また)爾(しか)なり。内証に順ずる則(とき)んば仏宝なり、外用に依れば則ち僧宝なり。」
(日因上人御消息)

と。

たくさん挙げたこれらの御文を見ていくとき、
日蓮正宗の教義の大綱として、
「法主を用いない」
という状態は有り得ません。

よって、長くなりましたが、日達上人の「法主を用いてはいけない」発言は、一時的な何かの間違いだと思います。


ちなみに、相承を受けた日達上人(及び日顕上人)を呼び捨てにすることは、これらの御文からして断じて有り得ないことであります。
また三宝一体なのでありますから、呼び捨てで時の猊下を貶めることは、大聖人様、戒壇の大御本尊様までも貶していることになるのです。


>誤りは一点もない
>まるで阿部・細井の両管長を神の如く敬い、

そうではないとお伝えしたつもりです。
もちろん、だからといって、完全なる謗法与同はありませんが。


>御遺命の共犯者であることをありとあらゆる詭弁を用いて隠し、事実を捻じ曲げ正当化せんとしている。

これについて完璧にお答えしようとすると、長文になってしまうので簡単に。
私のブログで何度か取り上げておりますが、日顕上人は平成3年に、反省・懺悔の発言を数度しておりますから、こちらはありません。
むしろこの反省発言を顕正会ではあろうことか、改竄して伝えています。

https://blogs.yahoo.co.jp/no_sleep502goal/14076801.html
(この記事内のリンク記事、及びそれぞれの近い時期の記事も読んで頂きたいです)

「詭弁」「事実を捻じ曲げて正当化」は、信じられないでしょうが、むしろ顕正会浅井会長です



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日精上人関連は、樋田さんがまとめてくださっております。


http://toyoda.tv/nisseisyonin.kanren.htm

その中で、顕正会員さんが
「 どう解釈すればいいのですか? 」
と仰っている、日精上人に対する日亨上人の評価については、宗門機関紙でも書かれたことがあるので、私の個人の意見よりも、そちらをご参照ください。

またそこからさらに、「法主無謬論」について日顕上人が発言されている部分も、後から出てきますので、かなり長いですが読んでみてください。


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【日精上人に対する批判の理由】(『大白法』H16.4.1)
宗門史全般にわたる大業を成し遂げられた日亨上人が、なぜ日精上人に対して厳しい批判の目を向けられたのか、その理由について3点を挙げて説明する。

<先入観による誤解>

 700年間の長期にわたる広汎な史料、宗門内外の膨大な文献、これらを詳細に解読し、且つ的確に判断することは、凡人の成し得る業ではない。大学匠と讃仰(さんごう)された日亨上人であっても、その研究の中で史料の読み違いや誤解が生じたとしても仕方がないことであった。
 仮に要法寺の寿円日仁や北山日要などの日精上人造像説と『随宜論』の内容を重ね合わせて判断すれば、誰もが日精上人が造像家であったという印象を持っても不思議ではない。
しかも日精上人は、造読論を強硬に主張した広蔵日辰の影響が強く残っている要法寺の御出身であるということ。
このような先入観をもって、『日蓮聖人年譜』を読めば、文中において見極めがたい日辰の説を引用した部分を、そのまま日精上人のお考えと判断されたこともやむをえないといえる。
また『家中抄』には、日辰の『祖師伝』をそのまま引用して要法寺三師の伝記としていることにも、造像の意図が反映されていると見えたことであろうし、
文中に日辰の言葉で「久成釈尊を立ツる」とある部分にも頭注を加えて指弾すべしとの思いを起こされたことであろう。
 もし日亨上人が、『日蓮聖人年譜』において日精上人が明確に日辰の邪義を否定し破折されていることを認識しておられたならば、その他の文書に対する判断も日精上人に対する評価も、まったく違ったものになっていたことは容易に推察できる。
また日因上人が日精上人を批判されたことについても、同様のことがいえるのである。
 つまり、日亨上人が日精上人を造像家と判定されたことは、実像と異なった先入観に基づく文書の読み違い・勘違いであり、不幸な誤解によるものとしかいえないのである。


<他門からの非難に対する予防措置>

 他門日蓮宗と信仰的に一線を画してきた本宗にあって、日亨上人は広く史料を収集するために、他宗他門の学者と交流された。
また御登座以前には、立正大学の要請を受けて、同大学の「特別講座日蓮正宗部」を担当し講義された時期もあられた。
そのような折、しばしば他門の学者から本宗の宗義や宗史に関する質問が投げかけられたという。
 こうした中で護法精神の厚い日亨上人は、本宗に伝えられる文献や史実の中に、将来他門から攻撃を受けると予想される部分には、できうる限りの手当と予防策を講ずる必要があると考えられた。
 『富士宗学要集』に収録された相伝書の中に、後加文について傍線をもって区分されているが、これも立正大学に赴かれた頃にお考えになられたものであるという。
 日亨上人にとって本宗の文献の中でも、日精上人が要法寺流の造読を主張しているように見える部分は、特に気がかりであったと推察される。
 『日蓮聖人年譜』や『家中抄』を含む『富士宗学要集』を出版することは、世間に初公開になることも考慮され、他門からの非難攻撃を未然に防ぐためには、一宗の学匠として、その責任の上から御自分で日精上人の文言の非を指摘する必要に迫られたものと拝察する。
 すなわち、日亨上人は日精上人について誤解されていたところもあるが、先に挙げた解説文や頭注に見られる厳しい指摘は、このような部外者からの論難を意識した結果であり、その根底には、唯一正しく宗祖の血脈を継承する日蓮正宗を永劫に衛護せんとする強い護法の真心がおありだったのである。


<血脈継承の御境界からの同体意識>

 日精上人は、宗祖以来の法脈を伝承されたお方であり、受け継がれてきた法水は日精上人なくしては伝わってこなかったことを、日亨上人は充分に承知されていた。
 しかも日蓮大聖人の仏法を血脈相承遊ばされる御法主上人の御内証の当処は大御本尊と一体であり、御歴代の異なりや時代の壁を越えて一味平等の御境界にあらせられる。
日亨上人は、御身に伝えられた法脈の尊さを深く認識された上で、その血脈継承の方に法義上の誤りは絶対にないとの確信に立っておられた。
 なればこそ、日亨上人はたとえ御歴代上人の御著述であっても、後代に対する配慮や宗門厳護のために、必要と思われる事柄に対しては闊達(かったつ)自在に批評を加えられたのであり、それによって法脈に微塵も傷をつけるものではないとお考え遊ばされていたのである。
 代々の御法主上人が御内証において一体の御境界にあられることから、その尊い同体意識をもって、御先師の文書の非と思われる点を指摘補足されたからといって、それを取り立てて部外者が誹謗の具とすることは許されざる悪業である。

【日精上人に対する日亨上人の尊崇】(『大白法』H16.4.1)

日亨上人は、日精上人の法主としてのお立場に対しては、微塵も疑義を差し挟んではおられない。むしろ日精上人を尊崇されていた御姿を拝することができる。その証例の一端を挙げる。

<日精上人造立開眼の宗祖御影「腹ごもり御本尊」を御書写>
 日亨上人は昭和25年に、常在寺に安置されている宗祖大聖人御影像の御腹ごもり御本尊を御書写遊ばされている。
 その脇書には次のように記されている。
●五十九世日亨八十四歳 昭和二十五年八月八日 東京都雑司谷区霊鷲山常在寺 日精上人造立御影像腹籠也

<『日蓮門下十一派綱要』での日精上人顕揚>
●日精上人始て江戸に教勢を張り又本山の規模を拡張す、此間専属の学林を起し教運漸く開く。(『日蓮門下十一派綱要』291頁)
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この書は、昭和初期の日蓮門下各派の教義および歴史の綱要について、他門の宗学者、北尾日大が編纂した学術書である。その中の「第2篇 日蓮正宗綱要」は日亨上人の執筆によるものであり、日亨上人は仏教関係の学者は勿論のこと、日蓮門下全般に広く読まれるであろうこの書において、特に日精上人の名を挙げ、その業績を顕揚されている。


<『続家中抄』日精伝には頭注なし>
 日精上人の御著述に対して頭注を加えられた日亨上人は、第48世日量上人の『続家中抄』についても種々頭注を加えられているが、「日精伝」中の、
 「諸堂塔を修理造営し絶を継き廃を興す勲功莫大なり、頗る中興の祖と謂ふべき者か。」(『富士宗学要集』第5巻268頁)
との日精上人の業績を賞賛された記述には一言の批判も訂正も加えられていない。

【日精上人に対する誤解の解消は日亨上人の御本意】
 日亨上人は、永年宗史学者として研鑚を積まれた中で、一篇の史料によって従来の学説が覆されることは、当然のこととして承知されていた。
 真実を追究することがすべての学問における大目的であり、日亨上人におかれても、時代の経過の中で史料文書がより正確に解読され、正法を伝える宗門の歴史がより深く正しく解明されることを、最も望んでおられたことは言うまでもない。
 したがって、近年の研究によって、日精上人の御著述にいささかの誤りもなかったことが明確になった事実に対して、日亨上人には霊山において必ずや欣然(きんぜん)として首肯遊ばされるものと拝察する。(『大白法』H16.4.1)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
後賢の更なる研究を望む

■文書に疑ひあるものあれども未だ検討の余力なし、偏に後賢を俟つ。(富要9-39)

■日応上人隠棲の蓮葉庵に於て因師自記之佳跡上巻を捜し得・整理貼合して完本と成す。歓喜して尚存す、然に中下両巻今に其影を見ず憾むべし々、斯本読難く漸く写し漸く訂す。後賢更に厳訂を加えば又幸なり。(富要1-258)

■編者曰く重須本門寺蔵日興上人の正本に依り岩本実相寺の古写を以て参校す。
但し御正本の誤字等は旁註を加へ蟲損等には□符を以てし又愚推を旁註にするあり。猶不明の□符には後賢熟校を吝むなかれ、(富要10ー316) 

■偏に後賢の研究を仰ぐ。(富要8-330)

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日亨上人血脈観

■古往今来化儀化法秋毫(しゅうごう=いささかも)も乱れず、殊に宗旨の本源基礎確立して宗祖以来歴世之れを紹隆し始終一貫未だ曽て微塵も異義を雑(まじ)へたる事あらざるは実に是れ宗祖の正統血脈相承を紹継せる現証にして祖書経巻を解決するに純潔正確宗祖の正意本懐を顕彰し各派に独歩超出せる所以の者も亦之れ血脈相承あるが故なり。

(中略)

蓋し相承に経巻あり血脈あり、就中血脈相承を最とする所以は経巻相承と云ひ師資相承と称するも皆血脈相承に附随含有せらる、故に富士派に於て血脈相承と云ふは主要なるを以てのゆへにして敢て師資経巻の相承なきに非ず、総て此れ等の相承は宗祖より歴世之れを招隆せらるるなり、彼の顕本の所謂経巻相承なる自己勝手に名称せるものとは其の轍を異にせるなり。

而して富士派は血脈相承ある故に師弟相資け法統一系連綿紹隆し血脈相承ある故に経巻の正意を誤らず微塵の異解なく宗旨の本源確立し宗門の基礎鞏固(きょうこ)に万古に渉つて変ぜず各宗派に卓絶し鎮へに法威を輝(かがやか)す所以は則ち宗祖正統血脈相承を特有せるを以てなり、(富要7-381〜)


●此仏と云ふも此菩薩と云ふも・共に久遠元初仏菩薩同体名字の本仏なり、末法出現宗祖日蓮大聖の本体なり、猶一層端的に之を云へば・宗祖開山已来血脈相承の法主是れなり、是即血脈の直系なり(第59世日亨上人・有師化儀抄註解『富士宗学要集』1巻116・117頁)

仏と云っても、菩薩と云っても、これは共に久遠元初の仏・菩薩 同体の、名字即の御本仏である。
それは末法に御出現された日蓮大聖人の御本体である。
尚更に一層それを端的に言えば、日蓮大聖人・第二祖日興上人以来の血脈相承を承けられた歴代の御法主上人のことである。歴代の上人こそが血脈の直系の伝承者であるからである。

■現在六百有余の宗教がありますが、最上なものは一つ。只一つでなくてはならないのであります(中略)信仰も一つに統一致しますのが、大聖人の目的であらせられるのであります。そして世界中を全部日蓮正宗に帰依させた上、無数にある星の世界迄も正宗にするのが、大聖人の御真意であります。(堀御隠尊猊下・創価学会臨時総会における特別講演 聖教新聞1951年8月1日付)

参考 富士宗門史を語る

■精師もそのものも、でき上ってきたんじゃないのです。若いとき、きたのです。そして大石寺にきて、江戸へ出て、そして、偉くなった。(中略)精師以後の人は、みんな、大石寺にきて大きくなった。所化できたのが多いですね。ですから要法寺からきたといっても、たゞその、身体をもらっただけです。(堀日亨上人『富士宗門史【増補版】』所収「堀上人に富士宗門史を聞く」日亨上人崇敬会 P97)
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日達上人が日亨上人の説を覆した例

熱原法難で三烈士が命を落とした年月日を、『富士日興上人詳伝』には、
●神四郎等兄弟三人の斬首および他の十七人の追放は、弘安三年四月八日と定むるのが当然であらねばならぬことを主張する。(同書91頁)
-----------------------
『富士年表』では種々検討した結果、弘安2年10月15日としてきた。
『仏教哲学大辞典』(第3版)
「熱原法難」
◆10月15日※、神四郎・弥五郎・弥六郎の3人は事件の発頭人というかどで斬罪に処せられ(※弘安2年・同書33頁)
-----------------------
『富士日興上人詳伝』創価学会刊行

『仏哲』(初版)
◆処刑の日は、弘安2年10月15日と、翌3年4月8日の両説がある。(同書1-62頁)
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『大白蓮華』昭和53年12月号・池田大作
◆かつての堀日亨上人の文献によれば、三烈士の刑死の日は、熱原法難の翌年にあたる弘安3年4月8日であるとの説であったが、猊下※の御説法によって示された弘安2年10月15日というのが、私達も本当にその通りであると思う。(※日達上人・同書95頁)
-----------------------



日顕上人

●法主が無謬(むびゅう)とか無謬でないとか、そんな子供のけんかのようなことを言うのがおかしいのです。たとえ血脈相承を受けた法主であっても、思い違いや多少の間違いがあるようなことは、当たり前なのです。
 大聖人様にも『観心本尊抄』に「章」という余分な一字をお書きになっている所があります。同様に、それ以下の法主だからといって、そういう思い違いやちょっとした間違いぐらい、だれもないなどとは言っていません。(中略)創価学会の者どもは、日寛上人と日亨上人をこれ以上ないほど持ち上げますが、日亨上人がどんなに学匠だからといっても、絶対に無謬ということでもないのです。
 今、日蓮正宗に『富士年表』というのがあります。これはずいぶん苦労したのです。日達上人の御指南で私どもが作りましたが、全部を作り上げるのに20年ぐらいかかりました。そのときに、史料の上の難問は山積しており、今までの説を改めるべき色々な問題が出てくる。そうすると、やはり「日亨上人がこうおっしゃっているけれども、ここは違うから、このようにしよう」ということで訂正した箇所もありました。何もそれは日亨上人の研究を否定するということでなく、新たな資料の発見などによって当初の考えから、より真実に近づいた結論が出たからです。また、膨大な資料をお一人で見る場合に、やはりどうしても色々な意味でちょっとした思い違いなどもありうるのです。 要するに、宗門は何も、始めからしまいまで「法主に誤謬は絶対にない」などとは言ってないのです。彼等が勝手に誣告しているだけであって、私をも含め、ちょっとした間違い、思い違いぐらいはどこにでもあり、それは正直に訂正すればよいのです。ただし、血脈の法体に関する根本的な意義については、けっして誤りはありません。(第67世日顕上人『創価学会の仏法破壊の邪難を粉砕す』62頁)



以上です


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私のブログに批判コメントを投稿された、「顕正会員」さん


前回の記事でも質問を改めて載せたものの、

顕正会員さんのやられたことは、

「質問には返答せず、質問内容に触れて、新たなる攻撃・質問をした」

でした

「国立戒壇抜きの御遺命守護完結」

「日顕上人への御相承肯定否定の大転換の浅井会長発言」
には返答せずでした。


おそらく、御自身のことを客観的には全く見れていないのだと思います。


正直、このような方に対して、私の時間を優先的に使って返答する気持ちはおきませんでしたが、

新たな質問に回答不能だとも思われたくなかったため、時間があるときに返答をすすめ、ようやくブログ記事とさせて頂きました


顕正会員さん、良ければお答えください。

顕正会員さんは、入信何年くらいで、今まで個人対象で何人くらいの人を入信させた方なのでしょうか?



では本題に入ります


>平成十六年の教師指導界でも阿部管長は「国主立戒壇」と言ってますね。ところが民衆=国主と誤魔化し、

この「民衆」ですが、
日顕上人は講義の中で、「国民主権になっているのだから(中略)国民の総意でなければならない」(大日蓮 平成16年11月号37ページ)としておりますが、問題ありますか?

また、国主立について日顕上人は、
『この「国主」の語には人格的な意味があるが、国の上から人格的な意味を示すと、結局、“天皇”になるのであり、』
(“”はセロリがつけました)
とした後、
『だから国が立てるというのと、国主が立てるということは、実には違ってくるのです。むしろあの御文から拝するならば、「国立」でなく「国主立」と言うほうが、内容的には適切ではないかという意味もあります。』
(大日蓮 平成16年11月号)
と講義されておりますが、こちらはどうですか?



>結局「道理においても国立戒壇はあり得ない」と否定している。どこが名称だけの問題でしょうか?

講義中確かにその文はあります。
しかし、この講義の全文をしっかり読めば、日顕上人は、「国立戒壇は御書にない」「国立戒壇は田中智学が言い出した」「国立戒壇は名称だけが一人歩きしていた」などと、ちゃんと国立戒壇を「名称」として発言しております。
「道理においても国立戒壇はあり得ない」とは、「道理においても国立戒壇の“名称”はり得ない」と私には読めます。



>下記はどう解釈すればいいのですか?

君たちは「法主無謬論」をいつも振りかざしているが、法主が大聖人様であり完全無欠な御存在なら…

私の返答を読んでいなかったのですね。本当にあなたは失礼ですね!

「法主無謬論」も「法主即大聖人」も存在しないと述べたはずですが。(よって当然、完全無欠の御存在でもない)

前記事の、7/11(火) 午前 1:42の私のコメントに書いてあります。

御法主上人は小さな間違えをすることはあり、「謗法与同」とも見られるくらい、令法久住のために苦渋の決断をしたことも過去にはあった。
しかしながら、御法主上人そのものが腐りきってしまったりとか、日蓮正宗の根幹をも揺るがすような謗法をしたりとか、そのようなことは一切ない。
これが私の答えであり、日蓮正宗としても認めてもらえると信じるところです。


日精上人については、長くなるので、新しい記事に書きます

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「顕正会員」さんという、教学力のありそうな方から、コメントをたくさん頂きました


しかしながら、その姿勢がとても残念に思います。。


顕正会員さんが、威勢よくたくさんの事柄を挙げて日蓮正宗を批判してきたことに対して、

私はいちおうはほぼ全てに回答。

それから、次は私からの質問と思いながらも全ては取り上げず、

国立戒壇や御遺命守護完結についてで1つ、

日達上人から日顕上人への御相承に関する浅井会長の矛盾発言についてで1つ、

計2つだけ、質問を顕正会員さんにしました


ところが、

顕正会員さんは、多くの事柄への回答に対しての感謝や感想もなく、

私からの質問への回答もなく、

議論を掘り下げたいことだけを取り上げ、更に追及して来られたのです


そして、私が「質問と回答の順番を守りましょうよ」と言い続けても、わかってもらえません


これ、第三者から見たら、どうなのでしょうか


「顕正会員は自分ばっかり言いたいことを言って、法華講員の質問に答えないのか?」

と普通ならば思いますよね


いちおう、最後通告のつもりで、私から顕正会員さんへの質問部分を再掲します


これでも変わらなければ、顕正会員さんは始めから議論をしに来たのではなく、このブログを荒らしに来たのだと判断させて頂きます


またこのやり取りの様子をもって、真面目な顕正会員さんに、
「顕正会はおかしい」
と気付いてほしいです



以下です

民衆立とか、国教化はあり得ないとか、いまは国主イコール民衆だから天皇は無関係とか、国家と仏法は関係ないとか、天皇は公の立場でなく私人としてなら受持はあり得るとか、国家意志の表明はあり得ないとか、散々言ってきてよく言うよw


これらは、細かく回答するまでもありません。

顕正新聞平成4年11月5日号で浅井会長は、

(日顕上人の発言に対して、)
『論旨のはっきりしない所はあるけれども、この中で述べられていることは、結局「国立戒壇」と同じことでしょう。
すなわち一国の総意で憲法を改正して本門戒壇を立てるということをいってるのですから、要するに国立戒壇ということじゃないですか。
(中略)
「国立戒壇」は禁止用語になっている。
(中略)
そこで「国主立戒壇」なんて名前を変えて国立戒壇と同じ意義を言おうとしているわけなのであります。
それならば、「国主立戒壇」などと訳のわからぬ言い方をするより、いっそ宗門では、国立戒壇の読み方だけ変えて「クニタチ戒壇」といったらどうか(大爆笑)
それはさておき、この阿部管長の発言こそ、まさに宗門において二十有余年にわたって否定され続けてきた国立戒壇の正義を、ほぼ認めたものである、これは極めて重大なことであります。』
と。

浅井会長は、日顕上人の戒壇論を認めました。


しかも、それだけ国立戒壇が名称・内容ともに重要ならば、
なぜ「御遺命守護完結法要」が平成10年4月になされ、御観念文からも削除され、浅井会長はその月の総幹部会で、「顕正会は、今の宗門には、もう求める何ものもない。」(顕正新聞平成10年5月5日号)と発言したのでしょうか?



・相承の儀の有無と、血脈が断絶しないことを理解できず混同している

これも私は混同しておりません。

こちら…
顕正会では、「相承の儀式が省略された」(顕正新聞平成5年1月5日号)、
「金口の相承(・血脈)はまた不断」(学会・宗門抗争の根本原因226ページ)が、

平成11年になって、
「御相承の断絶」(顕正新聞平成11年5月5・15日号)
と大きく変わりました。

「代を重ねること六十七」(冨士昭和61年11月号2ページ)
と、日顕上人への相承を認めていた顕正会が、
「百六箇抄の御文は『嫡々付法の上人』についての仰せであって、汝ごとき詐称『法主』はこれに当たらない」(「最後に申すべき事」13〜14ページ)
つまり、日顕上人への相承がなかった、と大きく変わりました。

どういうことでしょう?



以上です。

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今回も、キッコーマンさんが書いてくださいました
(私もいいかげん書かないといけませんね)
さっそくどうぞ


7月9日、顕正会多摩会館の開所式がありました。「もしかしたら知ってる人に会えるかもしれない」「そこで下種できるかもしれない」との思いで、当日多摩会館周辺へ行く事になりました。

確実にまた日布上人書写の偽本尊でしょう。これ以上みんなには罪障を積んでほしくない・・その時の模様をまたセロリさんのブログを通じて書きたいと思います。

今回集まったのは6名、そのうち元学会が1名で後はみな元顕正会員です。当日は御報恩御講があった為、夕方に集合となりました。

法華講員は基本仕事など、どうしても都合がつかない限りは第二日曜に行われる御講に必ず参加します。

我々のように菩提寺(所属寺院)が遠い者は普段参詣している地元寺院に参詣します。顕正会がいつも大会や開所式を第二日曜にしているのも、実はそれも狙ってるのかなあ と勘ぐってしまいますが・・ 考え過ぎか?



そんなわけで青梅線に乗り遅れちゃった自分はちょっと遅れて西立川駅に着きましたが、早速ひと悶着。

こちら側の1人が写真を撮った瞬間、衛護隊がその人を囲いこんで「盗撮だ!」と騒ぎ出して警察を呼んだのです。しかし顕正会側もずっと大勢で撮影していました!そして相変わらず帰れ帰れの連呼。そこで警察と顕正会・警察と我々、と別々で話し合いをしていたのですが撮影をした人がパトカーでいつの間に警察署に連行されてしまいました。

そしてこちら側2人も警察署へ行き、自分を含めた3人はとりあえず動こうと、会館へ向かい歩いていきました。そして途中の公園に入ると衛護が絡んできて帰れ帰れと来ました。相変わらず国立戒壇を連発し、日顕上人を罵ってきました。
そんな中、破折していると1人の衛護が、「警察に言われて、あなた方も警察署に行くように言われた」と言ったので仕方なく警察署へ行ったのです。
しかし実際は呼んでいなかったそうです!これは一体どういう事か?

そして撮影した人は始末書を書かれましたが、事件にはならないという結論になりました、顕正会側は裁判に持ち込みたかったようですが。

「確かに勝手に撮影した事は悪かった事だ」と、こちら側が謝罪したにも関わらず顕正会は警察にその撮影した人の住所等を聞き出そうとしたらしいです。
恐らく中部大会で学会が盗撮した案件があったのでそれを意識したのでしょう。
刑事さんも中部大会の盗撮の件は知っており、また以前八王子署にいた事から学会と顕正会のやり取りはよく担当していたそうです。

だがしかしときわ台、本千葉の活動といい今回も顕正会はずっと動画や写真を撮影していました。断りも無く。この矛盾はどういう事か?
更に自分が衛護をやっていた時は謀略が来たら相手を撮影するように指示があったのです。カメラ付き携帯が普及する前は写ルンですを持たされていました。


今回は顕正会側からしてみれば我々は謀略でしょう。だから撮影したのでしょうがそれに事かけて警察を呼ぶとはこれいかに?


そしてとりあえず解散となり、その後自分含めた3人で会館近くのファミリーマートの喫煙所で声かけをしようとするも衛護が現れるやいなや、ブロックして阻止されてしまいました。完全にうちらをガードしていたのです。

そして悲しいことに自分の知っている人にも何人かに会いましたが自分を見た瞬間に睨みつけるように見てシッシッといった態度でした

現役時代はみんな優しく笑顔で接していたのに、所詮そんな程度なんだな、という感じです。

現役時代は先輩から「世間の人間なんて普段は優しくても何かあったら見捨てて誰も救ってくれない」と聞かされましたが、まさに顕正会の人間こそが、見捨てて誰も救ってくれないじゃないですか!しかも16年も接してきた人間を!

御授戒を受けてから10ヶ月経って全く誰も連絡をよこさない、こんな冷たい団体、どこが清らかな白蓮華のような団体なのか?

しかしとにかく衛護がしつこかったですね。絶対に自分達と話させないというその態度、顕正会は我々法華講員に相当怯えているのではないかと思います。

またある顕正会員は我々に「ゴミは喋るな!法華講のゴミ!」と罵ってきました。顕正会員が日蓮大聖人の弟子と言うならばそのような振る舞いはおかしいのではないのか?
帰れ帰れと言ったり無視したり・・ どこが法華経の行者なのか?顕正会員はおかしいと思わないのか?

そのような悪口を言ってるけど「法華講」とは元は熱原の三烈士ですよ、そして熱原の方々に「法華講」と名付けたのは大聖人様ですよ。それをゴミとかよく言えたもんだと思います。

しかし自分は思っていました 謀略が来たら部長クラスが破折してしまえばいいのではないか?戦えばいいじゃないか?しかし近年は「相手にするな・・」
そんな中で樋田さんの法論相手を木っ端微塵に破折するのを見て「これだ!」と思いました。破折できないならそれは正しくないんです。

法論でもって相手を破折し、正法に帰依させる、これが日蓮大聖人の仏法ではないのでしょうか?

顕正会員の皆さん、早く気付いて下さい。 浅井先生だけを信じるのでは無く、もっと視野を広げてほしい。

自分はバスの運転手という職業柄、このようなたとえをしてしまいますが、運転中はどこを見るのが正解だと思いますか?
素人のドライバーは「前」と言うでしょう。しかしプロは前だけ見てたら失格なんです。常にミラーを見て危険を見ています。 前しか見ないで発進して事故を起こした運転手もいます。

一点集中は危険なんです、それは信心も一緒。日蓮正宗は「諸宗破折ガイド」という本があります。顕正・学会だけに留まらず邪宗の事も研究し本が作られています。

大聖人様もそうではありませんでしたか?
「浅井先生だけを見つめて・・」よく聞きますが見つめるのは先生ではありません!日蓮大聖人様です!

以上です


キッコーマンさん、ありがとうございました


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