遊廓・新地・風俗系廃墟探索

理由はわかりませんが、遊郭や赤線の名残を残した建造物や廃墟散策が好きです(^O^)

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大阪府富田林市新堂、大阪府富田林市若松一丁目の被差別部落地域の散策記録。

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主人の両親は岡山出身
現在義実家は大阪府にあり
義両親は大阪に移り住んで40年。舅が新聞記者だったこともあり
同和地区、被差別部落問題についてオフレコで話しが聞けた。



「今はな、逆差別言うて部落民は行政からぎょうさん金取りよる。

昔は差別されて可哀想やったけど今は逆や、文句ばっかり(行政に)言うとる。

若い人たちはみんな部落出とっとるし
新しく何も知らんで団地はいりよる人も
1年か2年で出てってしまうらしいわ。

市営団地も広報で住人募集しとるけど
エレベーターもないし、入らへん、ガラガラや。

なんて言うんかなぁ。独特やねん……
目つきが違うねん。話ししたら普通や。

みんな外から来た人は怖なってな。
日本にこんな事があるんかって。

富田林はそやから同和事業で若一にかなり金つぎ込んどんねん。」



実際に同和地区散策に出かけると
至る所で
【被差別部落】【人権センター】【同和事業】
と言った文字を見ることができ
そこが間違いなく被差別部落である事が確認できる。

まず、元火葬場。
(慰霊碑に写り込んでますがスルーしてください。)

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【敷地を拡張し区画整理し、差別と迫害に耐え
斗いつづけた祖先の安らかな冥福を希うことは
当町の長年の懸案であり、願望でもあった。
(省略)
同和事業の一環として
(省略)
請い願わくば、子孫代々祖先の霊に対し御報謝の〜(省略)】


となっており、この異様な建築物が、昭和57年の慰霊碑の完成をもって、火葬場から被差別部落民の慰霊墓地に転用された事を示している。

ここで部落民の遺体は焼かれていた。完全に造りが火葬場。

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若松町一丁目付近の石川河川敷には
現存するバラックもあり、住人もいる。

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多くの部落民は区画整理などの同和事業で建てられた公営団地に移ったようだ。

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公営団地が昭和56年に建てられ、
翌年57年に慰霊碑が作られており
この頃に大々的な区画整理を伴う同和事業が行われたようだ。



当時小学生だった主人の話では

「昔は団地なんかなくてバラックと山と畑しかなかったで。サンプラ(スーパー)もなんもなかったわ」

「あの界隈には危ないから近づかれへんかった。怖いもん見たさで一回近づいたらカツアゲされそうになったわ。」


との事。


富田林の秋祭りであるだんじり祭りでも
実際に見に行った事があるが
若一と新堂の地車(だんじり)は
兎に角装飾が派手で地域民の結束が非常に強い。

例えて言うと、ヤクザ、暴走族みたいなガッツリ縦社会の結束に近い。


こちらは若松一丁目にある新堂診療所。
部落の診療所として部落資料にも掲載。

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部落内にある児童館、児童館の敷地内に隣接する人権センター。

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ポスターも。

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団地の掲示版も

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【部落解放同盟写真ニュース・解放新聞】


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富田林市も同和事業は市の懸案事項としている。



関東出身の私には異文化であるが心が惹かれるのは何故?











https://同和地区.com/wiki/大阪]





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