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ありがとう。

 ありがとう。

 ちゃんと 伝わったよ。


 

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さっそく見つけたぞ!

 ブログの 「差別表現」


   にゃにゃにゃんと!  「メンヘラ女」だって!


     ぬわんだと!


   要チェックね。ちー!

言葉って。

 たくさんのこと 書けるならいっぱい 書いただろうな。「言葉」

 

 ああ。勘違いされてるかもしれないな。


 私は、自分を特別だとは思っていないよ。それは、人に対してっていう意味で。

 私は、ひとりの人間で どんな人もひとりひとり特別だと思ってるよ。

 うんうん。私は私にとって特別で 他の人みんなそうだよ。


 すがりついて 過去にしがみついてるように 見えるかい?

 身近にいる人にしかわからないことって いっぱいあるよね。


 誰だって 怖い集団の無意識。

 違うかな? 現実の中ではずいぶんラクになったけど

 ネットはそうじゃない。

 「疎外感」が人一倍 強いのはわかっているんだ。


 頭ではわかっていても しかたがないことも随分あるね。


 人それぞれの 人生で その人にしか歩けないから

 だから、それをね 私は「尊厳」って思うの。


 その人の 価値判断の基準はそれぞれだし 判断材料は限られてる。

 これまでは 「誤解されてもいいや。」と思っていた。

 今は、「わかってくれたら嬉しい」になってる。


 だけどね、私は少しお休みしなくちゃ いけない状態。

 それは、自分で自分がわかってあげなくちゃならないことなんだ。

 「大丈夫」現実につかまって 人と話しているから。

 心配しないで。休むのが大事な時もあるから。


 私が、「相手の気持ち」全然 わからない人間だと 思う?

権力ってなんだろう?

 岩波国語辞典をひくと


 「権力」−他人を支配し服従させる力。

 支配者が (組織・富・武力などを背景として)被支配者に加える力。


 と、書かれています。


 わたし自身は これのみだけではなくて

 社会的な立場や 発言力も 「力」だと考えています。


 私自身は 軽度障害という「弱者」ではあるけれど

 力がないわけでもなく、「力を持たされてこなかった」。

 そして、私自身にある力について 体験的な理解を始めたところです。


 様々な 力を使って 個人を一方的に 誹謗中傷したり

 事実無根ないし 歪曲された事実を 流布させることは

 「パワーハラスメント」と呼んで差支えないと思っています。


 とくに かこの虐待被害者は 私自身も含めて

 「実際にあった被害」と

 「自分自身の被害妄想」について 混同しない努力は必要だと

 私自身は 考えています。

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/31/0b/dvsn_homepage/folder/1494058/img_1494058_53842144_0?20080610200014

差別表現 ブロガーも問われる責任と人権感覚

6月9日15時30分配信 ITmediaニュース
 ブログやSNSが普及し、個人が自分の考えをネット上で表現する機会が増えている。その一方で、差別表現を知らずに書き込んでしまい、他人を深く傷つける可能性も増している。これまでブログが“炎上”したケースでも、差別意識を露呈した表現が問題視されたことが多い。


 「ブログの発展が一番恐い。これまでテレビや映画、新聞が差別を拡大再生産させてきたが、もっとひどいことが起きてしまうのでは」――小学館で差別表現問題に取り組み、多くの実例を集めた「改訂版 実例・差別表現」(ソフトバンククリエイティブ)を出版したジャーナリストの堀田貢得さんはそう危ぐする。

●差別表現とは

 同書によると差別表現とは「他者の人権を侵害し、人間性を深く傷つけ、苦しめ悲しませるような表現」。誰もが持つ基本的人権――自由と平等の権利や人間らしく幸福になる権利――を侵害するような表現だ。

 差別意識が向けられるのは「弱い」人たち。日本では被差別部落出身の人々や、さまざまな障害を持つ人、在日外国人、アイヌ民族、女性、老人、子どもなど。世界に目を向ければ、少数先住民族や黒人などが、いわれのない差別の対象になってきた。

 出版やテレビ業界は、差別表現について、1960年代から人権団体の激しい糾弾を受けてきた。人権団体が番組や記事、広告などで差別表現を見つけると、責任者を呼んで糾弾会を開き、根底にある差別意識を厳しく問いただす。場合によっては謝罪広告を出したり、書籍や雑誌の場合は絶版になるなど、経営的にも痛手を受けることになる。

 糾弾の経験を経て学習したマスメディアでは、自主規制が進んだ。堀田さんが小学館在籍当時にいた部署も、自主規制の最前線。差別表現に関するレクチャーを開いたり、編集者からの差別表現に関する問い合わせに対応し、「なぜその言葉がダメなのか」を、納得するまで説明していたという。

 堀田さんが心配するのは、そういった経験のない一般個人が、ブログなどを通じて、自由に情報発信するようになった現状だ。SNSの日記やケータイ小説、バナー広告の宣伝文句――ネットが広げた表現手段すべてに、差別表現の危険がひそむ。

 「テレビでも雑誌でもネットも同じ。表現者は、何が特定の人を傷つけるかに思いをはせ、表現するための知識を持たなくてはならない。それを全く意識せずに発信している人がいるとしたら、強い危ぐを感じる」

●ブロガーも糾弾のターゲットに

 人権団体は最近、ネットを注視しているという。「人権団体はネットを“難しいメディア”ととらえ、真剣にウォッチし、ターゲットにしている。差別表現や問題のある記述は、発見される可能性が高い」

 以前は文書で郵送されていた抗議文がメールで来るケースが増えるなど、差別表現の指摘にもネットが使われ始めた。例えば、週刊誌に掲載された漫画で、ホームレスに対する差別表現があったケース。一般読者名でメールで抗議文が来たが、「編集長が木で鼻をくくるような回答をしてしまった結果、相手を怒らせ、話がこじれてしまった」。

 問題を最小限にとどめるには、メールで指摘が来た場合でも、直接会って話すことが大切という。この週刊誌の場合は、メール対応の後、ホームレスを支援するNPOなどの連名で抗議文が届き、担当編集者、漫画家、編集長を交えて何度か協議。雑誌とWebサイトに謝罪文を出すことなどで決着したしたという。

 糾弾の対象は企業だけではない。作家の発言や、一般人が公的な場で発言した内容が問題になり、糾弾会が開かれたこともある。ブロガー個人が糾弾の対象になる可能性は、決してないとは言えない。

●「人権感覚」を醸成するには

 どうすれば差別表現のないブログを書くことができるだろうか。「この言葉はOK」「この言葉はダメ」というマニュアルがあれば便利のようにも思えるが、堀田さんは「マニュアルには意味がない」と指摘する。「マニュアルを作り、言葉を言い換えるだけでは、人権感覚は醸成されない」

 単なる言葉の言い換えで満足するのはなく、差別とは何かを理解・整理し、差別による不幸を認識し、人権感覚を醸成する必要があると堀田さんは指摘。そのための良書として、島崎藤村「破戒」を推奨する。

 破戒は、被差別部落出身の若者を主人公にした小説。発表と同時に差別文書として水平社から批判を受けたが、歴史的事実と差別問題に関する詳細な解説を入れて出版するという妥協点を見い出した。解説と併せて読むことで、差別問題を根本から学ぶことができるという。

●差別は人間を不幸にする

 編集者が作家に差別表現を指摘し、修正を求めると、「言葉狩り」と反発したり、「表現の自由」を盾に修正に応じない人も多い。だが堀田さんは、井上ひさしさんの発言を引いて言う。

 「井上ひさしさんは『表現の自由はあくまで、権力に対する表現の自由。弱者に対しては、担保されていない』と指摘した。差別は人間を不幸にする。表現者は、差別とそれによる不幸を認識し、言葉による痛みを和らげる配慮を持つべきだ」






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転載元転載元: D.V.S.N. Present “そんなオグラの独り言”

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