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ありがとう。

 ありがとう。

 ちゃんと 伝わったよ。


 

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 だいたいにしてからが、「あそこの集団の子」っていう 

 地域社会全体からの 「差別」「疎外」が

 記憶がもどるにつれて 「あれ?こんなにひどかったの?」と。。。。


  少なくとも小学校6年間を通じて 私の隣の席は

  必ず、「転校生」が、座ることに 勝手に決められていた。

  その子が、クラスに なじむと 私はまたひとり。


  まるで、学校の側が 私をわざわざ「孤立」させていたのか?と思えるほどだ。


 この社会にご迷惑をおかけしているかのような「集団」が

 私にとっては それこそ えらいめ〜わくなんだって!


 大人になった今 冷静に考えると

 たぶん、私がいったい あの集団の 「誰の子ども」か??が

 誰にも よくわからなかったんじゃないかな?と思うのだ。


 あの集団の構成員は、 ひとつのルールに見かけ上は従っていたけど

 それぞれが、自己の「子ども観」を 押しつけ、利用するのだから

 やっておれん。私が無条件に ルールに従っているだけでは

 「足りない」のだった。つっこみどころは、いくらだってあっただろう。


 集団自体が、その大人自体が

 自分らでは できないことを 私にやらせておきながら

 年がら年じゅう 罵倒する。保護もなし。しかも無責任。


 そして、彼らは、私を「食わしてやってます。」なのである。

 世話してやってます。なのである。

 カップひとつ 使おうにも

 間違えて、誰かの「マイカップ」を使おうものなら 大変な騒ぎになる。


 彼らはもともと 自分の育った家庭と私物があるわけで。

 そんなもの、私にはござらん。。。

 
  結局、私が感じていた違和感は



 親も含めて 全員が「家庭のないこども」の気持ちが

 まったく理解できなかったことなんだと思う。


 まさに、そこなんだと思う!!


 大人にとって、あそこは 「職場」だったのである。

 あくまでも「仕事」だったのである。

 仕事の中に「子どもを気に掛ける」という、役割は含まれていない。


 すべての大人が「仕事」というひとつの理想にむかって行進しているので

 「子どもを育てよう」とは誰も 思っていない。

 それどころか、ほとんどの場合

 「足手まといになるから・・・。」と


 親戚だろうが、先生だろうが、ご近所さんだろうが

 たらいまわしで、預ける。

 そうしておいて 「理想のこどもになれ。」という。


 「平和な社会」をつくるための「お国の子」なのかよわたしは〜〜〜〜!!!


 「ここを家庭だと思いなさい。」「みんなを家族だと思いなさい。」

 「育ててもらってるんだから 感謝しなさい。」

 「あんたたちが18になるまでだからね ここにいられるのは。」


  ♪18になったら 施設をでてゆくと さみしそうに話してたあ〜♪

    ♪なんだかちゃんは、もういない。もう、帰ってこない〜♪

   おもいきり、さげすみと憐みのこめられたこの歌が

  エンドレスで、歌っとるわい。頭の中で!!

    こういうエセくさい歌を何曲も何曲も歌い続ける「軍団」があ。

  群衆があ、

   親なんだな。


  姉は「我々はあ〜〜〜〜〜!!」というアジテーションに ひどい症状を持つという。

  私は「我々はあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」

  が、頭のなかにおわしますのでございます。


 文章を書くときに 気をつけないと 誰が誰に対して

 書いているのか 不明瞭になってしまうのであります。


 まるで、集団が集団にむかって 語りかけているかのような文章になって

 大変 読みにくい代物になっていると 気がつかないんだなこれまた。。


  「私は、思う。」を、またまた忘れてやんの。。

 え〜ご、嫌いなんだよ。わたし。(TT)

 でもこれ、なんだかすっごい 考えたくなったの。


   sur。。っていうのは「越えて」っていう意味だったんですね。


     あーーーー。


     ふ〜ん。


     なるほど。。。



 って、思って なんだ、わたしもう サバイバーじゃないや。


   もう、いいかげん 生き延びちゃったし。


 「より生きる」って、こと  わかったんだな。


  
   なんか、この後の状態にも いろいろカタカナ英語で名前あるけど。

   全部、日本語で頭が勝手に翻訳するもんね〜だ。♪


  なんていうか、治った(?)後まで 枠にいれられたくないからね!!

  はい?誰も枠に入れとは言ってない。。。ああ。そうですね。



 自分で 自分に 名前付けて 名乗っていいんだ。


 そう思うだけで すっごいわくわくする。


 。。。  だから。。。


    (−@−)


   こういうところが 私らしいなと 思う。

 ねんちゃんは、ずっとずっと

  「お星さまが欲しい」と言っていました。


 おバカな私は

  「お星さま」を 模造紙でつくって、金色の折り紙を張って遊びました。

  「だって、そんなの無理だし。。」って。


 ねんちゃんが 言いたかったのは 全然そんなことじゃなかったんですね。

 気がつかない、大人の私は とんでもないアホウでした。


         ☆


  ねんちゃんは、きのうからずっと お星さまを抱きしめたり

  眺めたりして 喜んでいます。


 ほんとうに、良かったね。ねんちゃん。


   ねんちゃんは、ピョンととびあがって

  
   お行儀よく 「みなさんありがとう。」って おじぎしています。


   ぴかぴかのお星さまを掲げて


   「見える?」「見える?」って、聴いています。


         ☆

 わたしとねんちゃんの気持ちが どうかたくさんの人の心に

   届きますように。。



   ささやかな命だから大切な思いを忘れずに 歩いていきます。


  ねんちゃんって、こんな人です。

   「ぼくのこと、わすれないでね。」☆



      ☆    ☆            ☆!!

 前々から うすうす感じてはいたんだけれど

 私の話は むしろ 信じてもらえることじたい かなり恵まれていると思う。


 客観的に考えて もしも私が「虐待」や「性暴力」について

 何も知らない人だったら、この話を読んでも

 「誇大妄想に取りつかれた 頭のおかしな人」だと 思うだけだろう。


 ここ10年間以上にわたって

 インセストのことや、男性への性暴力について

 語りつなぎ、手をつなぎ 社会に発信してくれた

 たくさんの先達の 「勇気」に感謝したい。


 あきらめずに、生き延びて 手を差し伸べてくれて ありがとうございます。


 サバイバーが 誰かを支えようとする

 その思いの 重さ、強さ、深さは 言葉にならなくて

 ただ、私は ひとりで立っているようにみえるかもしれないけれど

 そうじゃない。


 わたしは ひとりじゃない。

 
 もう、二度と孤立したくない。


 その思いが 今日も私を支えてくれる。


 揺るがないで 立っていることが 「強さ」なら

 私の中には 「大地」があるのだと思う。

 基盤がなければ 立っていられなかっただろうと思う。


   何もかも手遅れだ。10年間損した。そう思っていたけれど

   やっぱり そうじゃなかったんだ。

   遠い過去に、「誰かのために」と思ってしたことが

   巡り巡って 結局は 私自身を救ってくれた。


 そんなことを思うとき、

 
   無駄に巡り合ってないなあ。。と実感するのだった。


 強さにも いろいろあるし、強いばかりがいいわけでもないと思う。

 私自身が思うのは、「私が弱いから、強いんだ。」と、言いたい。


 はじめから、仲間がたくさんいたら

 わざわざ 大声を出す必要なんかないから。


 書いていて、気がついた。なんだ、そういうことだったのか。(−@−)


 わかってないから、できることって、結構ある。


   。。。。ほとんど、そればっかりだったりする。。。

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