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五月五日(さつきいつか)、賀茂の競馬(くらべうま)を見侍りしに、車の前に雑人(ざふにん)立ち隔(へだ)てて見えざりしかば、各(おのおの)おりて、埒(らち)のきはに寄りたれど、ことに人多く立ちこみて、分(わ)け入(い)りべきやうものなし。

1093年、堀河天皇のときに始まったという上賀茂神社の競馬、平成十五年に910年祭が行われたという。現在もそうだが、兼好法師の時代も混雑したようです。庶民とちがい、兼好さんは車(牛車)で見物に来たが、群衆が邪魔して見えません。仕方なく、車を下りて、柵のそばに寄ろうとしたが、とてもじゃないが分け入ることもできぬ。

と、法師が一人、木に登り、木の股に尻をのせて高みの見物を決めこんでいる。おまけに「とりつきながらいたう睡(ねぶ)りて、落ちぬべき時に目をさます事、度々なり。」(現在でも車中でよくみかける「船をこぐ」光景!むかしもいまもかわりませんが、「法師」というのがおかしい)

と、群衆の一人が「馬鹿者よ、あんなあぶないところよくよく眠れるもんだ」という。兼好法師ふと「わたしらもいつなんどき死ぬやもしれぬのに、呑気に祭り見物、あの法師よりおろかであることよ」とつぶやく。

と、それを聞いた野次馬、「それもそうだ、こっちの方がもっとおろかだ」と感心して、兼好さんを柵近くに呼び入れてくれたそうな。

兼好法師「人、木石にあらねば、時によりて、ものに感ずる事なきにあらず」と、意外な反応にびっくり。

先頃、「天皇賞」の競馬があったが、こんなことをいったら、袋だたきにあったかもしれぬ。中世の日本人はやさしかった?ですな。なお、賀茂の競馬は地方推薦馬のマッチレースだそうで、一見の価値あり。

(蛇足)ヤンキースの松井がワールドシリーズでMVP、日本のワールドシリーズでは大道、脇谷、阿部の活躍で巨人がサヨナラ。プロの凄さにあらためて感動しました。ここ一番の活躍がプロのプロたる由縁。よって川柳二句

大道選手を言祝ぐ
秋高し老骨打ちていななけり 

松井選手を言祝ぐ
秋高しゴジラいななくニューヨーク
 

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印旛の国に、何の入道とかやいふ者の娘、かたちよしと聞きて、
人あまた言ひわたりけれども、この娘、ただ栗をのみ食ひて、
さらに米の類を食はざりければ、「かかる異様(ことよう)の者、
人に見ゆべきにあらず」とて、親、ゆるさざりけり。


さる地主の一人娘、年頃の別嬪で、嫁に来てくれと引く手あまた。
ところが、米など主食を食わず、栗ばかり食う。こんな変人、嫁がせたら
わが家の恥とゆるさない。

今で言えば、週刊誌的ニュース。兼好法師もよほど興味をひかれたらしい。
コメント抜きで後世に伝える。
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拒食症もそうですが、男性に考えられぬ、女子のわがまま、頑固。
お姫様に多いようですな。結婚しても、男は一生ご機嫌とり続け・・

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徒然草第三十八段「名利に使われて・・」


「名利に使われて、しづかなるいとまなく、一生を苦しむるこそ
愚かなれ」

「ひとへに高き官(つかさ)・位をのぞむも、次に愚かななり」

「誉(ほまれ)は又毀(そしり)の本なり。身の後(のち)の名
のこりて、さらに益なし。是を願ふも次に愚かなり」


名誉、財産、利益、官位、評判を一切否定してこころよい。
凡人はこの対極にある。武士、貴族、現在ではキャリア官僚、

政治家、資産家はおおむねこの範疇に入るであろう。この間、
芥川賞作家が勲章をもらって、よろこんでいた。

文筆家が勲章ごときで、子どもように喜ぶニュースは醜い。
「ペンは剣より」の諺もある。

ノーベル賞を拒否したサルトルと、もらったカミュ。
サルトルに軍配があがるのが、自然であろう。

とはいえ、凡人は「自治会長」あたりでも、同窓会で
吹聴するだから、つける薬がない。

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医師・宇治恒明との対話から

時間の法則が分かったとき

住井 『老子』の第一章は「道の道たるは常の道にあらず」。(中略)
   私の気の向くままに解釈すれば、時間の法則を言っているんですね。

   人間が手も足も出ない絶対の道というのは時間以外にないわけですよ。
   この時間の法則の前にはどんな権力といえども変わっていく。

   人も死ぬし、権力も永久に続く権力もない、あらゆるものは時間で
   姿かたちを変えていく、だから時間の法則を言ったんだと。


   住井すゑは子どものとき、自分だけが便をするものと思いこみ、
   便を我慢し、着物を汚す。天皇が大和に大演習でやって来て、
   
   その「統監本部」で、百姓が「天皇の形見の品だ、ありがたい」
   と言って天皇の便を拾って来る。小学一年の住井すゑは「天皇も私も

   経過する時間は同じ」ことに気づき、便通は直る。「天の啓示」と
   作家は言う。「時間の法則が分かったとき、これで何も怖いものは

   ないぞと思いました。「橋のない川」の基調はこの「原体験」にある。
   老子の発見により、より強固な信念を形成したようだ。  
 

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元教諭・鳥山敏子との対話から

また天皇陵がめっかった

住井 (前略)たとえば、神武御陵。御陵はあっても、そこに神武天皇の骨が埋まっているわけじゃないんですよね(中略)明治四年に、当時三つあった候

補地のひとつを御陵に定めたたんです。畝傍山の岩と岩の間にちょっとトンネルみたいになっているところがあって、入り口から二間ほど奧にしめ縄を張ってね。(中略)

それから、そういう天皇制のペテンの話でいちばんおもしろいのは、橿原神宮、畝傍御陵、綏靖(すいぜい)天皇陵、この三つをつなげた「神域」です

ね。この近辺からあそこへ旅行へ行って見てくる方があって、私の話は信用できないという人が何人かいますね。あそこにはこんな大木が亭々として聳えて

いる、大木が鬱蒼として茂ってる、「あれは歴史が古いんですよ」とね。私の子どものときには一本も木がなかったところですよね。それが昭和十五年、紀

元二千六百年だ(中略)と記念事業を天皇制はやるわけですよ。その記念事業として、日本全国から根付くかぎりの大木を、日本青年団総動員で運ばせたんですよ(後略)」

創られた神域とは驚きました。何年か前、あの辺を自転車で散策、亭々とした大木に「神域」を感じたものですが、「そういうことだったのか」と教えられました。
そもそもの始めは水戸藩でつくった「大日本史」にあるとも、作家は言う。
これからは大和、飛鳥の観光も安閑とするわけにはいかなくなったようです。
戦前の創られた歴史と考古学上のホントの歴史と区別しなければ・・

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