エッセイ

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どういうわけか、突然富士が見たくなることがある。台風一過の某日、立川経由大月で富士急に飛び乗る。車両は一新され、「富士登山電車」という。内部は木造で、「レトロ・モダン調」、展望席やソファ、カウンターなど通勤電車にはない工夫がしてある。

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三つ峠あたりで、「富士が一番よく見えるところです」と美人の車掌さんがいう。乗り出して見ると、雲に隠れている。「しまったか」とおもうが、仕方ない。周辺の山は結構紅葉している。さすが奥多摩よりはやい。

富士吉田駅で下車。半世紀?ぶりか、東西南北がわからない。駅周辺をぶらぶらしていると、すぐそばに冠雪の富士があるではないか(あたりまえだ!)。遠富士でなく、町に富士があるというのが贅沢だ。地元民はありがたさになれてしまっているのか、写真をとっている人もない。

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浅間神社への金鳥居をみつけ、参道を上る。一直線の坂の上に富士がある。両側に「御師」の家、というより宿坊が多い。名物のうどん屋になっているのもある。注連縄一つでかくも神聖な雰囲気をかもしだすとは・・

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浅間神社は帰りにして、山中湖行きのバスにのる。一時間に一本二本なので、乗り過ごしたら時間の無駄が多い。平日のバスは地元の人が主。忍野経由。このあたりに土地勘がないので、もの珍しい。林間は紅葉がはじまっている。バスからほとばしる流れがみえる。忍野八海のひとつのようだ。忍野はバスからの見物。ここから東海自然歩道というのがあるらしい。(富士を見ながらの超贅沢な散歩道であろうか)

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遊覧船乗り場近くで下車。スワン型の遊覧船が出航直前、乗ろうかとおもったが取りやめ、湖畔散策にする。何年か前に行った十和田湖をおもいだす。あのときもちょうど今頃。紅葉の盛りであった。紅葉のむこうに銀嶺の富士・・これまた超贅沢な光景である。

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帰途のバスは忍野に寄らず、138号を行く。自衛隊の装甲車がとばしていく。女性自衛官も見える。むかし忍野で闘争があったことをおもいだす。霊峰富士にとってはそんなことは関係ない。
浅間神社にて、下車。正確には「北口本宮富士浅間神社」、木花咲耶媛命(このはなさくやひめ)を祀る。なんといっても「三国第一山」、ナンバーワンの神社である。

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歩いていておもいだしたが、高校生のわたしはここから富士山を登ったのであった。前日、河口湖で泳ぎ、富士吉田の友人のうちに一泊、友と三人で吉田口登山道から登頂、ご来迎を拝んで、須走口登山道から一気に滑り降りる(いまでもここから下山できるのか?)。丁度、常陸宮殿下も登っていて、身近に皇族を拝見したのは最初にして最後。

歩いて富士吉田駅まで戻る。振り返ると富士は雲の中。富士山の全貌を拝むには、「運」と「忍耐」が必要なようだ。そう簡単に拝めるものではない。

分身の雲わいてくる秋の富士 夏生

親バカ其角のこと

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綿とりてねびまさりけり雛の顔
 其角

このごろ車中の広告画面で、俳句の解説をやっている。
長谷川櫂選で、今回は其角の一句。

飾ろうと、雛の綿をとると、その顔が以前より「大人びて」
見えたというもの。

其角は晩婚で、芭蕉が亡くなった元禄七年(1694)以降に
妻を得、かつマイホームに入居したらしい。


酒を妻つまを妾の花見かな
 同

いかにも磊落な其角の一句。ところが、元禄十一年、類焼で
マイホーム焼失。日記類を失ってしまう。翌、元禄十二年

日本橋茅場町に居を構える(写真)。現在、隣は日本証券会館、
風流とは遠いビルが軒を連ねる。


当時は

梅が香や隣は荻生惣右衛門
 同

著名な学者、荻生徂徠翁が住んでいたらしい。
元禄十四年、其角四十一歳の時、次女三輪が生まれる。


花盛り子で歩かるる夫婦(ふうふ)かな 同

ひよどりや赤子の頬を吸時に
 同

其角らしくない、かわいい句。相当な親バカで
俳文「ひなひく鳥」にくわしい。

「三輪はことしふたつになりぬ。あね(さちという)よりは
物しづかにむまれつきたるを、いみじとかしづく。

穏母(乳母)つれて出るごとに、小比丘尼(三輪のこと)
のあと先うたひめでて、道ゆきぶり(後になり先になり歩く)したり。」

弟子の大町は「二つ子(三輪)をうしろへ引くや大団羽(うちは)」
その子煩悩をからかっている。

こんな句もある。


遠遊醉帰(遊んで酔って帰る)駕篭(かご)のうちにて
春の夜の女とは我がんすめ(娘)哉 同

初雪や十(とお)に成(なる)子の酒のかん其角

長女を相手の独酌か、放蕩無頼の其角はここにはいない。
「十五から酒を飲み出てけふの月」と詠むくらい酒豪の

其角。やめようとするが、世のアル中と同じ、やめられない。
(先頃、辞職した「もうろう大臣」がありましたが)

宝永三年(1706)十一月廿二日、次女三輪六才にて死去。


霜の鶴土へふとんも被(きせ)られず
 其角

其角の哀惜の念が伝わってきます。翌宝永四年二月、
辞世句もなく、其角死去。享年四十七歳。

愛娘の死に酒がすすんだのはないかとおもいます。
おそらく突然死に近かったのであろう。

「霜の鶴」の一句が其角の終吟ではなかったかとは、
「俳家奇人談」。残された妻と娘(おさち)がその後

どうなったか、門人の秋色も「いづちかにふれぬらむ(
どこをさまよっているのか)」と七回忌追善集に書いて

いるそうだ。また、日本橋小田原町に「宝井吉五郎」
という者が住み、子孫といわれていたそうだ(「宝井其角」

田中善信著)。ともあれ、其角の系統は「江戸座」と称した
秋色らから早野巴人、そして蕪村につながってゆく。

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元禄7年(1694)6月2日、芭蕉死去の4ヶ月前、
江戸芭蕉庵の留守宅で、寿貞が死去。

芭蕉は身の回りの世話をしていた猪兵衛に「寿貞無仕合せ者。
まさ・おふう同じく不仕合せ。とかく申し尽く難く候」

という文を寄せている。寿貞の息子、次郎兵衛は
芭蕉の最後の旅に同行していた。

尼寿貞が身まかりけるとききて


数ならぬ身となおもひそ玉祭り
 芭蕉

自分を卑下して、片隅に生きた女性への芭蕉の愛隣にみちた
追悼。芭蕉は寿貞とその子供たちを家族同然、気にかけ扶養したようだ。

その前年の3月、「猶子桃印」が33歳で病死している。
芭蕉33歳の時、16歳の桃印を江戸に連れてきている。猶子とは

兄妹の子の意味であるから、姉の子を連れてきたのであろう。
年譜によれば、その翌年から小石川の水道工事(神田川)の事務に従事。

俳句だけでは生活できなかったのであろうが、すでに其角、嵐雪、嵐蘭
は門人となり、素堂とも交流していた。

日本橋越後屋の番頭格、志太野坡(やば)が入門したのは、芭蕉44歳の時。野坡の談として「小ばなし」に「寿貞は翁の若き日の妾にてとく尼になりしなり」とあり、寿貞を芭蕉の「内妻」としている学者もいる。

妻と三人の子を残して、芭蕉が「野ざらしを心に風のしむ身哉」と
詠んで、旅に出るであろうか。

想像であるが、芭蕉は桃印と故郷伊賀の知人の後家を、夫婦にしたので
はなかろうかとおもう。桃印が亡くなり寿貞は「尼」となったのでは。

そのあたりのことは、江戸の門人には周知のことで、あったとおもう。
晩年の門人である野坡だけがそれと知らず、話したのであろう。

ともあれ芭蕉書簡の注釈に「芭蕉の内妻と推定される」とあると
ドキっとする。木曽塚の芭蕉さんも「後世の学者は!」とあきれはてて
いるのだろう。

所思


此道や行人(ゆくひと)なしに秋の暮
 芭蕉

芭蕉庵旧跡は芭蕉稲荷として、参詣の客は絶えない。
ここで寿貞が亡くなったおもうと感慨深い。まさ、おふうの姉妹は

その後、どうなったのであろうか。江戸在住の伊賀の人や
杉風など門人が面倒をみたとおもいたい。

文化の日

文化の日

明治天皇の誕生日で、明治時代には天長節であり、
太平洋戦争の終わるまでは明治節」(健吉・歳時記)

今回、文化功労賞は文人では塩野七生氏。
「ローマ人の物語」全15巻。15年かかったという。

新潮社から文庫が出るたび買い求め、毎日がシーザー。
ついにはユリウス・カエサルの「ガリア戦記」にはまる。
(秋の夜長におすすめです)

文化勲章に、昔のように志賀直哉、荷風、潤一郎という
文豪といわれる人を得ないのがさびしい。

国民的作家の絶滅。一方ケータイ作家の奔流・・世は移ります。

青き天心文化の日こそ掃除の日 照雄

詩歌の世界も小粒になり、「国民的」詩人は見えない。
それぞれがそれぞれの蛸壷に入り、自画自賛。

文化の日一日賜ふ寝てゐたり 基吉

この時期は天気も安定、紅葉も盛りに。来週の八日は
立冬。来月は師走ですか。
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日の出山から2

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日の出山から

日の出山の頂き、青梅から見なれた大岳山は指呼の近さ。
南に丹沢山塊。富士の位置(すこしだけ見える)を教えてもらって、
青梅・吉野方向に下山することにした。

急峻な下り道で「膝が笑う」
行けども行けども杉林、単調さこの上ない。秋蝉の声が遠くに。

林道を歩いていると、傍らの茂みから熊ならぬお年寄り
リュック二つ背負って出て来た。キノコ狩りですか、と声をかけると、
登山道の下枝や雑草を払って来たと言う。

昭和四年生まれ、赤城山近くに生まれ、山しか知らないと言う。
山の仕事は、時給800円位、学校の登下校警備は時給1,300円、
割りが悪いと聞かないことまで話してくれる。

八十近い年齢のわりにすたすた足取りは軽い。
頂上で会ったお年寄りに似て、山男は長寿なのか。

梅の木峠で左右に別れ(おじさんは峠道まで車で来ていた)、
小生は青梅方向へ。いつ果てるとも知れない蛇行する谷間の道を下る。
「膝が笑う」どころでなく壊れる感じ(ひ弱だな)。
その間、夫婦の登山者に会ったのみ、もちろん通行止めのため車に
出会うことはない。

蛇苺遠く旅ゆくもののあり 赤黄男イメージ 3

先の見えない道を歩いていると、「おくのほそ道」に同行した
曽良の一句、 行き行きてたふれ伏すとも萩の原 が浮かんで来る
からおかしい。(大した山中でもないのに・・)。

下山二時間近く、道端のお稲荷さんに出会ってほっとした。

アザミの花に蝶と蜂、生存競争・・
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