曾良旅日記

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敦賀にて


○陽暦九月二十七日(陰暦八月十四日)仲秋の名月の前夜、芭蕉は福井の等栽と一緒に敦賀に着く。「ほそ道」に「その夜、月殊(ことに)晴れたり」。芭蕉が明日はどうかと宿の亭主に聞くと「越路の習ひ、猶明夜の陰晴はかりがたし」と言うので、その晩気比神社に参拝。

月清し遊行のもてる砂の上

「十五日、亭主の詞(ことば)にたがはず雨降。」と言い、

名月や北国日和定めなく と詠む。

(敦賀に芭蕉を迎えに行った路通の記録に以下の「芭蕉翁月一夜十五句」(「荊口句帖」)というのがある。始めに「元禄二年八月二十一日、路通序」とあり

福井等栽子をさそふ
名月の見所問(とは)ん旅寝せむ

阿曽武津の橋
あさむづを月見の旅の明離

玉江
月見せよ玉江の芦をからぬ先

ひなが嶽
あすの月雨占なハんなが嶽

木の目峠いもの神也と札有
月に名をつつみ兼てやいもの神

燧が城
義仲の寝覚の山か月かなし

越の中山
中山や越路も月はまた命

気比の海
国々の八景更に気比の月

同明神
月清し遊行のもてる砂の上

種の浜
衣着て小貝拾ハんいろの月

金が崎雨
月いつく鐘ハ沈める海の底

はま
月のミか雨に相撲もなかりけり

ミなと
ふるき名の角鹿や恋し秋の月

うミ
明月や北国日和定めなき

(いま一句切れて見えず)以上が全文で大垣図書館に寄贈されてあるという。

「ブログ旅のあれこれ」より引用

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○陽暦九月十四日(陰暦八月朔日)快晴。黒谷橋へ行く。

○陽暦九月十五日(陰暦八月二日)快晴。

○陽暦九月十六日(陰暦八月三日)雨時々降る。暮れに及んで止む。山中のため、月を見ることができない。夜中、雨降る。

○陽暦九月十七日(陰暦八月四日)朝、雨は止む。十時頃、雨がまた降りて止む。夜に入り、雨降る。

○陽暦九月十八日(陰暦八月五日)朝、曇る。昼頃、翁、北枝、那谷(那谷寺)へおもむく。明日、小松において、生駒万子(生駒重信万兵衛・加賀藩士)と会うためである。(翁・北枝を送って)帰ると、(曾良は)即刻(山中を)立つ。大聖寺におもむく。全昌寺へ午後四時頃着き、宿をとる。夜中に雨が降る。

(十八日、曾良は「腹を病みて」「先立ちて行」ことになる。「ほそ道」に「行き行きてたふれ伏とも萩の原 曾良」と書き置いたとあるが、「曾良書留」に記述はなく、のちに挿入されたものであろう。芭蕉は「今日(けふ)よりは書付消さん笠の露」と応える。この後、北枝が同行することになる。

「曾良書留」に「秋の哀(あはれ)入かはる湯や世の気色 ソラ」が遺る。芭蕉は桃妖との別れに「湯の名残今宵は肌の寒からむ」と詠んだという。



昨夜は仲秋の名月、家々の屋根まで煌々と照らしていました。

酔狂に船ゆれてゐる月見の座  夏生

興じて艫より隅田へダイブ   ウミウシ

御陀仏のゆく末秋の蝶となる  夏生 

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○ 陽暦九月十日(陰暦七月二十七日)快晴。当地の諏訪宮祭があると聞いて詣でる。十時過ぎ小松を立つ。斧卜、志格らに引き留められたが、出発。伊豆(神主)にははなはだ世話になる。八幡神社への奉納句あり。(翁の)実盛の一句(あなむざんや甲の下のきりぎりす)なり。予、北枝これに随う(幾秋か甲にきえぬ鬢の霜 曾良・くさずりのうれ珍しや秋の風 北枝)

一 同日の晩 山中に六時前着く。泉屋久米之助方に宿をとる。山の方角、南から北へ夕立が通る。

○ 陽暦九月十一日(陰暦七月二十八日)快晴。夕方、薬師堂(医王寺)外町の近辺を見る。夜に入り雨。

○ 陽暦九月十二日(陰暦七月二十九日)快晴。道明ケ淵(大聖寺川の淵)。予は行かず。

○ 陽暦九月十三日(陰暦七月晦日)快晴。道明ケ淵。

(「ほそ道」に「温泉(いでゆ)に浴す。其功(効)有明(有馬)に次(つぐ)と云う。
山中や菊はたおらぬ湯の匂(にほひ)」の一句を遺す。山中温泉は翁のお墨付きの栄誉を得る。

宿の主人は久米之助という若者で、このとき芭蕉に入門、桃夭と命名され、のち加賀俳壇の重鎮となったという。「桃の木の其葉ちらすな秋の風 翁」が送呈句。)

女郎花照らしあふとき金色に 夏生

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○陽暦九月八日(陰暦七月二十五日)快晴。小松を立たんと欲するも、地元の人がこれを聞いて、北枝に頼んで引き留める。立松寺(建聖寺?)へ移る。多田八幡(多太神社)へ詣でて、実盛の甲冑、木曾義仲の願書を拝する。その後、山王(本折日吉神社)神主藤井(村)伊豆(俳号鼓蟾・こせん)宅へ行き、連句の会を催す。終わりてここに宿をとる。四時頃から雨が降り、夕方止む。夜中に時々降る。

(「ほそ道」にある「しほらしき名や小松吹(ふく)萩(はぎ)薄」を発句とする連句。「俳諧書留」では「小松山王会」とある。「ほそ道」にある「むざんやな甲(かぶと)の下のきりぎりす」絶唱。芭蕉の実盛、義仲へのおもいはふかい。)

○陽暦九月九日(陰暦七月二十六日)雨は朝止んだが、十時頃より風雨はなはだし。今日は歓生(越前寺宗右衛門・別号亭子)方へ招かれる。四時頃より晴れる。夜に入りて、俳(連句)、五十句。終わりて帰宅。庚申(かのえさる)の日なり。

(「俳諧書留」に「二十六日歓水亭会 雨中也」として三句が遺る)
ぬれて行や人もおかしき雨の萩  芭蕉

心せよ下駄のひびきも萩露    曾良

かまきりや引きこぼしたる萩露  北枝


残暑ぶり返すも、なんとかしのげる一日

うろこ雲失せしふる里捨てられず 夏生

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○陽暦九月六日(陰暦七月二十三日)快晴。翁は雲口(小野氏)の招きで、宮ノ越(真砂山の麓あたりをいうらしい)へ遊ぶ。予(曾良)は病気のため行かず。江戸へ手紙を認める。鯉市(鯉屋市兵衛・杉風)、田平(田中平丞)、川源(長島藩士の川田源右衛門)等なり。高徹より薬をもとむ。以上六貼(?)なり。今宵、牧童、紅爾等滞留を願う。

○陽暦九月七日(陰暦七月二十四日)快晴。金沢を立つ。小春、牧童、乙州(川井氏・大津の荷問屋)が町はずれまで送ってくれる。雲口、一泉、徳子らは野々市(町)まで送ってくれる。餅、酒持参している。四時頃、小松に着く。竹意が一緒なので、近江屋という宿をとる。北枝が随行する。夜中に雨が降った。

(金沢で一行はもてもてで、天気もよし、翁のご機嫌もうるわしい様子。ところが、薬をもらっても、曾良の病状は一行よくならないようだ。当地での名句は「あかあかと日は難面(つれなく)も
あきの風」にとどめを刺す。この句は本人も気に入ったらしく、自画賛が多く残されているという。もちろん「ほそ道」には金沢から小松への途中吟として遺る。「つれなし」の措辞が秋の日にぴったり。空気が澄んでいるぶん、暑くはないが日射しが強いのである。)


台風一過の秋日和。いまだ多摩川は濁流で、清流を取り戻すあてもない。

芭蕉破れ荒ぶる泥の川ゆけり 夏生

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