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			<title>神様の祝福を貴方に！―のびのび・元気に・幸せに</title>
			<description>&#039;&#039;&#039;ご訪問ありがとうございます！&#039;&#039;&#039;
&#039;&#039;&#039;人生について、神様について、語り合いたい、分かち合いたい、という方、&#039;&#039;&#039;
&#039;&#039;&#039;もちろん、よくわからないという方も、&#039;&#039;&#039;
&#039;&#039;&#039;どうぞ、何でも気軽にコメントを残して行って下さい。&#039;&#039;&#039;
&#039;&#039;&#039;楽しいコミュニケーションの場になれたらうれしいです！&#039;&#039;&#039;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/nobhira52</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>神様の祝福を貴方に！―のびのび・元気に・幸せに</title>
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			<description>&#039;&#039;&#039;ご訪問ありがとうございます！&#039;&#039;&#039;
&#039;&#039;&#039;人生について、神様について、語り合いたい、分かち合いたい、という方、&#039;&#039;&#039;
&#039;&#039;&#039;もちろん、よくわからないという方も、&#039;&#039;&#039;
&#039;&#039;&#039;どうぞ、何でも気軽にコメントを残して行って下さい。&#039;&#039;&#039;
&#039;&#039;&#039;楽しいコミュニケーションの場になれたらうれしいです！&#039;&#039;&#039;</description>
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		<item>
			<title>Happy New Year!</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-14-60/nobhira52/folder/782095/21/63443821/img_0?1449706137&quot; width=&quot;560&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_1024_768&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ようこそおいで下さいました！&lt;br /&gt;
元気が出た！　癒された！　聖書って面白い！　神様がわかった！　そんなブログを目指しています。&lt;br /&gt;
あなたも聖書の言葉と向き合ってみませんか。&lt;br /&gt;
どうぞごゆっくりお楽しみ下さい。God bless you！&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/nobhira52/63443821.html</link>
			<pubDate>Wed, 04 Jan 2012 12:51:15 +0900</pubDate>
			<category>宗教</category>
		</item>
		<item>
			<title>アドベント</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-14-60/nobhira52/folder/782095/60/63392760/img_0?1323528742&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
もうすぐクリスマス。いかがお過ごしですか。&lt;br /&gt;
神様の御言葉で、ちょっと一休みしてはいかがでしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
God bless you！</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/nobhira52/63392760.html</link>
			<pubDate>Sat, 10 Dec 2011 23:52:22 +0900</pubDate>
			<category>宗教</category>
		</item>
		<item>
			<title>秋の景色</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-14-60/nobhira52/folder/782095/66/63306166/img_0?1323528434&quot; width=&quot;560&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_1024_768&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ようこそおいで下さいました！&lt;br /&gt;
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あなたも聖書の言葉と向き合ってみませんか。&lt;br /&gt;
どうぞごゆっくりお楽しみ下さい。God bless you！&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/nobhira52/63306166.html</link>
			<pubDate>Mon, 07 Nov 2011 10:40:50 +0900</pubDate>
			<category>宗教</category>
		</item>
		<item>
			<title>マタイによる福音書21章―祈りの家と呼ばれるべき所</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;h3&gt;&lt;a name=&#039;section-1&#039;&gt;&lt;/a&gt;心がなごむバイブルメッセージVol.971&lt;/h3&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;【マタイによる福音書21章】&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;21:12 それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いをしていた人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを倒された。&lt;br /&gt;
21:13 そして言われた。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。』／ところが、あなたたちは／それを強盗の巣にしている。」&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;イエス様がエレサレムに入城されたとき、人々は大歓迎でイエス様を迎えました。ところが、当のイエス様は、そんな歓迎を喜ぶどころか、神殿の境内に入ると、そこで売り買いしていた人々を追い出し始めたのです。そして、深い憤りをもってこう言われました。「『わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。』／ところが、あなたたちは／それを強盗の巣にしている。」&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;当時、神殿には、礼拝で献げる動物を売る商売人たちが大勢いて、境内の中は、物を売り買いする人々の声が響き渡っていました。献げ物の動物を売ることは、もともと遠方から神殿礼拝にやって来る人々の便宜を図るために許可されていたものでしたが、それが次第に本筋からずれ、暴利をむさぼる商売人や、境内の利権を持つ祭司たちの格好の金儲けの手段と化していたのです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;本来、神様を礼拝する喜びと賛美の声に満ちているはずの神殿が、人々が物を売り買いする喧騒の場とされてしまっている。神様との静かな交わりと祈りの場であるはずの神殿が、商売人や祭司たちの金儲けの場とされている。イエス様の深い憤りの理由はそこにありました。真実な礼拝が妨げられるとき、イエス様は深い悲しみを覚えられるのです。そして、礼拝を妨げているものを激しい憤りをもって追い出されるのです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;そして、もう一つ、イエス様の悲しみと憤りには大切な理由がありました。それは、14節のイエス様の行動の中に見ることができます。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;21:14 境内では目の見えない人や足の不自由な人たちがそばに寄って来たので、イエスはこれらの人々をいやされた。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;礼拝などそっちのけで商売に走る商売人たちや、そんな状況を知りながら、我が物顔で神殿を支配する祭司たちの影で、貧しい人々、弱さの中にある人々は、いつも脇に追いやられ、忘れ去られている…。イエス様の激しい憤りの理由はまさにそこにあったに違いありません。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;「わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである」…私たちの家、私たちの生活、私たちの教会は、「祈りの家」と呼ばれるにふさわしいものとなっているでしょうか？&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;主の恵みと平和が豊かにありますように！&lt;br /&gt;
平塚修久&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/nobhira52/63176990.html</link>
			<pubDate>Wed, 21 Sep 2011 15:41:35 +0900</pubDate>
			<category>宗教</category>
		</item>
		<item>
			<title>マタイによる福音書20章―先の者が後になり</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;h3&gt;&lt;a name=&#039;section-1&#039;&gt;&lt;/a&gt;心がなごむバイブルメッセージVol.970&lt;/h3&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;【マタイによる福音書20章】&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;20:1 「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。…&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;「ぶどう園の労働者」のたとえを読むと、“謎かけ”のような思いがする人も少なくないのではないでしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;明け方早くから雇われた人も、9時、12時、午後3時、午後5時に雇われた人も、皆同じ賃金だったと言うのですから、確かに「えっー？」という気分になるのも不思議ではないことでしょう。しかも、一番遅く雇われた人から賃金が支払われたというのです。何となく割り切れない気持ちがしても不思議ではありません。おまけに、たとえ話の締めくくりの言葉が、「このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる」（16節）というのですから、分かるような分からないような不思議な話です。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;でも、それもそのはず。イエス様が「天の国は次のようにたとえられる」（1節）と言われたように、このたとえは「天の国」について教えているのです。それゆえ、この世の価値観や常識からは受け入れられなくても仕方ありません。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;実は、このたとえ話のテーマは、前章の金持ちの青年の話と同じです。それは、最後に「先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる」（19：30）と言われていることからも分かります。金持ちの青年の話では、永遠の命は、人間の真面目さや努力によって得られるのではなく、神様の恵みによることが教えられていましたが、この「ぶどう園の労働者」のたとえでも、永遠の命は、人の努力や働きによるものではなく、ただ神様の恵みによって与えられるものであることが教えられています。ですから、その“恵み”に気づかずに、“報酬”にばかり目が向いていると、どうしても割り切れなくなってしまうのです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;私たちが救われたのは、ただ神様の恵みによるのです。それゆえ、誰が偉いとか偉くないとか、どっちが多いとか少ないとかはまったく関係ありません。神様の前では、すべての人が同じ罪人なのです。そして、すべての人がただキリストの十字架の恵みによって赦され救われるのです。それゆえ、誰も誇ることはできません（コリント一1：29）。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;このように、天の国とは、神様の恵みの世界であり、救いはこの恵みによって始まり、恵みによって全うされるのです。そして、この恵みの世界に入るために必要な条件はただ一つ、主の御前にへりくだることです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;主の恵みと平和が豊かにありますように！&lt;br /&gt;
平塚修久&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/nobhira52/63112187.html</link>
			<pubDate>Mon, 29 Aug 2011 11:44:36 +0900</pubDate>
			<category>宗教</category>
		</item>
		<item>
			<title>マタイによる福音書19章―永遠の命を得るには？</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;h3&gt;&lt;a name=&#039;section-1&#039;&gt;&lt;/a&gt;心がなごむバイブルメッセージVol.969&lt;/h3&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;【マタイによる福音書19章】&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;19:16 さて、一人の男がイエスに近寄って来て言った。「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;これは、一人の金持ちの青年がイエス様に尋ねた質問です。とても真面目な質問であり、この青年が真剣に生きようとしていたことがよく分かります。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;しかし、真面目であればすべてOKかと言えば、そうではありません。実は、この青年が永遠の命を得るには、いくつかの問題あったのです。その問題は、まず第一に、彼の問いかけそのものの中に見ることができます。彼は、「永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか」と問いました。善いことをすれば、永遠の命を得ることができると彼は考えていたのです。これこそまさに“律法主義”。彼は自分の真面目な努力によって、救いを得ようとしていたのです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;と言うと、「真面目に努力することのどこがいけないんだ？」と疑問を持つ人がいるかも知れません。もちろん、真面目も、努力も、決していけないことではなく、素晴らしいことです。しかし、“救い”に関して言えば、人間はどんなに真面目に努力しても、神の御前で完全な義を得ることは不可能なのです。それほど人間の罪は根深く深刻な問題なのです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;律法主義者は、そのことを悟ろうとも認めようともしません。なぜなら、自分の努力で、善い行いをすれば救いを得ることができると信じているからです。こういう信仰の問題点は、いつの間にか、自分は正しい、自分はやっている、という自己満足と高ぶりに陥ってしまうことです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;この青年もそうでした。イエス様が、「もし命を得たいなら、掟を守りなさい」と言うと、彼は、「そういうことはみな守ってきました」と自信をもって答えたのです。このとき、青年に欠けていたのは、謙虚さと罪の自覚だったのです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;イエス様は、それをちゃんと見抜いていました。それで彼にこう言ったのです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;19:21 イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」&lt;br /&gt;
19:22 青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;イエス様は、彼がそうできないことを分かっていて、あえてこう言われたのではないでしょうか。そうすることで、彼を、善い行いによる義ではなく恵みによる義、律法による義ではなく信仰による義に生きる者とさせるために。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;あなたはどちらの義に生きているでしょうか。善い行いによる義ですか。それとも恵みによる義でしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;主の恵みと平和が豊かにありますように！&lt;br /&gt;
平塚修久&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/nobhira52/63085659.html</link>
			<pubDate>Fri, 19 Aug 2011 11:30:06 +0900</pubDate>
			<category>宗教</category>
		</item>
		<item>
			<title>マタイによる福音書18章―だれが一番偉い？</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;h3&gt;&lt;a name=&#039;section-1&#039;&gt;&lt;/a&gt;心がなごむバイブルメッセージVol.968&lt;/h3&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;【マタイによる福音書18章】&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;18:1 そのとき、弟子たちがイエスのところに来て、「いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」と言った。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;これが、この時点での弟子たちのもっぱらの関心でした。弟子たちは、地上の価値観を天の国にも持ち込んで考えていたのです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;「そこで、イエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、言われた。『はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。』」（18：2～5）&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;これがイエス様の答えです。当時の世界では、子供は最も取るに足りない者でした。「偉い」ということからすれば、子供は最も低い者と見なされていたのです。しかし、イエス様は、「自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ」と言われました。つまり、天の国では、自分を低くすること、すなわち謙虚であることが最も価値あることなのです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;謙虚さは、自由をもたらします。この世における身分や業績によって自分の価値をはかるのではなく、神様に愛され受け入れられていることに、自分の価値の基盤を置いているからです。この基盤は、イエス様の十字架の御業のゆえに、永遠に揺らぐことがありません。すなわち、私たちは、100％赦され、愛される者とされているのです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;それゆえ、天の国に生きる者は、自分を偉くしようとする必要がありません。なぜなら、神様の愛によって絶対的に愛されているからです。そして、そのような神様の愛に包まれ満たされるからこそ、他の人々も愛と平安をもって受け入れることができるのです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;本章には、小さな者をつまずかせる罪への警告（6～9節）、迷い出た羊のたとえ（10～14節）、罪に陥った兄弟への忠告（15～20節）、そして「兄弟を赦さない家来」のたとえ（21～35節）などの教えが続きますが、これらはすべて、神様の御前に謙虚であることによって可能となると言ってよいでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。」（3～4節）&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;あなたは、このイエス様の教えの重要性を確信しているでしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;主の恵みと平和が豊かにありますように！&lt;br /&gt;
平塚修久&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/nobhira52/63064690.html</link>
			<pubDate>Thu, 11 Aug 2011 23:12:03 +0900</pubDate>
			<category>宗教</category>
		</item>
		<item>
			<title>マタイによる福音書17章―栄光の主イエス様に出会う</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;h3&gt;&lt;a name=&#039;section-1&#039;&gt;&lt;/a&gt;心がなごむバイブルメッセージVol.967&lt;/h3&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;【マタイによる福音書17章】&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;17:1 六日の後、イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。&lt;br /&gt;
17:2 イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ペトロが主イエス様に信仰を言い表して６日の後、イエス様は、ペトロとヤコブとヨハネの三人を連れて高い山に登られました。すると突然、弟子たちの目の前で、イエス様の姿が変わり、「顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった」（2節）のです！　しかも、「見ると、モーセとエリヤが現れて、イエスと語り合って」（3節）いるではありませんか！&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;こんな時、いつも真っ先に動き出すのがペトロです。この時も「ペトロが口をはさんでイエスに」（4節）言いました。「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ビックリするやら、嬉しいやらで、ペトロは自分が何をしたらよいのか分からなかったに違いありません。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;それにしても、どうしてこんな出来事が起こったのでしょうか。なぜイエス様は、わざわざ高い山に登って、弟子たちの目の前で栄光の御姿を現わされたのでしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;一つ言えることは、この体験によって、弟子たちのイエス様への信仰は確実に深まったに違いないということです。つまりこの出来事は、「あなたはメシア、生ける神の子です」と信仰を言い表したペトロたちに、本来のイエス様、天の栄光に輝くイエス様の御姿を見せることで、イエス様への信仰の確信を持たせるためであったということです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;このように、イエス様を救い主と信じる人は誰でも、栄光の主イエス様に出会い、イエス様の栄光を見るという体験が必要なのではないでしょうか。もちろん、誰もが弟子たちと同じ体験をするということではありません。信仰は、単なる信条ではなく、生けるまことの神様との出会いであり、へりくだって神と共に生きることだからです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;では、いったいどうすれば、栄光のイエス様に出会い、イエス様の栄光を見ることができるのでしょうか？&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;御言葉と祈りと礼拝によって、私たちは、日々生けるまことの神様と出会い、交わり、共に歩むことができるのです。そういう神様との出会いを、あなたは日々体験していらっしゃるでしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;主の恵みと平和が豊かにありますように！&lt;br /&gt;
平塚修久&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/nobhira52/63041204.html</link>
			<pubDate>Wed, 03 Aug 2011 11:28:05 +0900</pubDate>
			<category>宗教</category>
		</item>
		<item>
			<title>マタイによる福音書16章―イエス様への信仰告白</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;h3&gt;&lt;a name=&#039;section-1&#039;&gt;&lt;/a&gt;心がなごむバイブルメッセージVol.966&lt;/h3&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;【マタイによる福音書16章】&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;16:15 イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」&lt;br /&gt;
16:16 シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;16章には、イエス様の公生涯における大事な転換点となる出来事が記されています。それは、12弟子の一人ペトロが、イエス様に向って「あなたはメシア、生ける神の子です」と信仰告白したことです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;どうして、それがそんなに大事な転換点なのかというと、この時から、イエス様はガリラヤでの宣教を終えて、エルサレムに向けて旅立たれたからです。もちろん、イエス様は今までも何度かエルサレムに行っていました。しかし、今回のエルサレム行きには今までとはまったく違った意味と目的があったのです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;それは、ペトロの信仰告白を受けたイエス様が、その直後から、弟子たちに十字架と復活についてはっきりと教え始めたことにも示されています。そうです。この時を境に、イエス様は十字架に向ってまっすぐに歩み始めたのです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;それにしても、なぜこの時なのでしょうか？　もちろん、それは神様が定められたことですから、人間には分かりません。でも、一つだけ言えそうなことは、ペトロがイエス様をメシア（救い主）と明確に信じたことと関わりがあるのではないかと言うことです。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;弟子たちも含めて、当時のユダヤ人の多くは、いわゆる地上的なメシアを待望していました。彼らは、ローマ帝国の支配を打ち破って世界の王となるような救い主を待ち望んでいたのです。しかし、真のメシアはそのような姿では来られませんでした。キリストは、十字架にかかって死に、3日目に復活するために来られたのです。それによってすべての人を罪から贖うためです。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;地上的メシアと受難のメシア、人々の期待と真のイエス様の姿には、このように大きな隔たりがありました。今、ペトロの信仰告白を聞いたイエス様は、この隔たりをはっきり意識しつつ、いよいよ真実なメシアとしての使命を果たすべき時が来たことを知ったのではないでしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;私たちの身代わりとなって死ぬために来られた救い主、それが主イエス・キリストです。キリストは、御自分の命を十字架の上に投げ出して、私たちをすべての罪から贖い、永遠の命の中に導き入れてくださったのです。ここに真のメシアの姿があります。真の救いは、この十字架と復活によって100％確立されました。この救いの中に、真の赦しといやし、祝福と永遠の命があるのです。それゆえ私たちも、イエス様に向ってこう告白しましょう！　あなたはメシア、生ける神の子です！&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;主の恵みと平和が豊かにありますように！&lt;br /&gt;
平塚修久&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/nobhira52/63036177.html</link>
			<pubDate>Mon, 01 Aug 2011 11:26:50 +0900</pubDate>
			<category>その他文化活動</category>
		</item>
		<item>
			<title>マタイによる福音書15章―真に人を汚すものとは</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;h3&gt;&lt;a name=&#039;section-1&#039;&gt;&lt;/a&gt;心がなごむバイブルメッセージVol.965&lt;/h3&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;【マタイによる福音書15章】&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;15:1 そのころ、ファリサイ派の人々と律法学者たちが、エルサレムからイエスのもとへ来て言った。&lt;br /&gt;
15:2 「なぜ、あなたの弟子たちは、昔の人の言い伝えを破るのですか。彼らは食事の前に手を洗いません。」&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

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&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;食事の前に手を洗わないなんて！弟子たちって不潔！なんて行儀が悪いんだろう！…という話ではありません。ここで非難されているのは、ファリサイ派や律法学者たちが教えていた宗教的な形式に従って、弟子たちが手を洗っていなかったということなのです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;“信仰の形骸化との戦い”―イエス様の宣教における、ファリサイ派や律法学者たちとの戦いの本質は、まさにそこにありました。当時、ファリサイ派や律法学者たちの信仰は、律法を完璧に守り行うことによって神の御前に義と認められようとするものでした。その結果、彼らの生活は、あれやこれやの“なすべき事”でいっぱいになり、いつも外面的な“行い”に関心が向けられていたために、内側の心や思いがないがしろにされてしまっていたのです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;信仰には、内面と外面の両面が大切です。心が行いとなって表れるところに真の信仰があるのであって、心だけで行いが伴わなければ空しいものとなり、行為だけで心が伴わなければ偽善になってしまいます。ファリサイ派や律法学者たちが陥っていた問題の本質は、まさにこの偽善にありました。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;それゆえ、イエス様は言われました。「あなたがたも、まだ悟らないのか。すべて口に入るものは、腹を通って外に出されることが分からないのか。しかし、口から出て来るものは、心から出て来るので、これこそ人を汚す。悪意、殺意、姦淫、みだらな行い、盗み、偽証、悪口などは、心から出て来るからである。これが人を汚す。しかし、手を洗わずに食事をしても、そのことは人を汚すものではない。」（16～20節）&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;信仰の本質は心です。神様は人のうわべではなく心を見ておられます（サムエル上16：7）。そのことを悟ったダビデは、詩篇にこう記しました。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;「しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を／神よ、あなたは侮られません。」（詩篇51：19）&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;日々、主の御前にへりくだり、「神の求めるいけにえ」を献げる者でありたいと思います。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;主の恵みと平和が豊かにありますように！&lt;br /&gt;
平塚修久&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/nobhira52/63018347.html</link>
			<pubDate>Mon, 25 Jul 2011 11:36:46 +0900</pubDate>
			<category>宗教</category>
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