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茨城県行方市手賀。 霞ヶ浦大橋から、 行方市を霞ケ浦に沿って南へ向かい、 手賀小学校跡地の先から東(左折)へ折れて、緩やかな坂を登ると、 台地の上には、ひろい畑が続いていました。 この一帯は、 縄文中期にはすでに集落があり、古墳群や集落遺跡が点在しています。 提賀里(てがのさと)。 常陸国風土記によると、 古来、手鹿(てが)と呼ばれる人々が住んでいたことから、 提賀里と名付けられたと記されていて、 現在の手賀の地名も、これに由来するそうです。 みんな「てが」ですけど、字が違う。。。 荒原神社は、 道に面した両部鳥居、 参道脇の手水鉢(小さい方)には、文久4(1864)年と記され、 拝殿の前には、 新しい石灯篭と狛犬が鎮座し、比較的最近、修復された様子です。 中世には、 桓武平氏、常陸大椽氏の一族である手賀氏の館が構えられ、 荒原神社もその一角に祀られていたと考えられるそうです。 祭神は 武甕槌命(たけみかづちのみこと) 武甕槌命は、鹿島神宮に祀られていることから、鹿島神とも呼ばれます。 案内板には「現在の祭神は」と記されていて、 以前は、別の祭神が祀られていたのかもしれません。 神社の向かい側は、 古墳時代から奈良時代にかけての代表的な古代集落跡、 荒原神社馬場前遺跡で、 土器や漁労具が発見されているそうです。 |
茨城の神社・寺
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鹿島の地は、海から上陸した西の先進地域の民が
いたと考えられていますね♪ σ(ー”ー)フム
てが氏とは変わった名前で不思議に惹かれますね♪
ぽち☆
2009/4/20(月) 午後 8:50 [ - ]
我孫子市にある手賀沼も手鹿あるいは堤賀に由来するのでしょうか。
2009/4/20(月) 午後 10:13
この辺りは昔からの広い台地のようですね。
随分と立派な両部鳥居なのですね。
茨城県には当然ながら、鹿島神宮の
お膝元ですから、武甕槌命をお祭りする
神社が多いそうですね。
ポッチ!!。
2009/4/21(火) 午後 0:57
やまたろうさん、そうですよね。大和朝廷が勢力をのばす中、先住民族・手鹿との軋轢があったようです。元々の「てが」という言葉の意味が知りたいですよね。ぽち、ありがとうございます。
2009/4/21(火) 午後 5:08
山のたぬきさん、霞ヶ浦、北浦、印旛沼、手賀沼などは、古代・中世には、ひとつの内海だったそうなので、その沿岸にある同じ名前は、関連が考えられますよね。興味深いですね!
2009/4/21(火) 午後 5:10
NORIさん、そう、この一帯で、両部鳥居は、あまり多くないかもしれません。。。中世・手賀氏は鹿島神宮のの関わりも深かったようです。一般に利根川以北には鹿島神社が多いようですね。ポッチありがとうございます。
2009/4/21(火) 午後 5:14
筑波山に登ると霞ヶ浦が見えます。神社仏閣を訪れるのも心が落ち着きますね。
2009/4/21(火) 午後 9:56
両部鳥居はあまり見たことがありません。手賀の地名と手鹿氏すごーく気になりますね。なんたって鹿島神のお使いは鹿、そのあたりも気になるところです
2009/4/21(火) 午後 11:41
ふじさん、え、そんなに遠くまで見えるんですか!筑波山からの関東平野の眺めは素晴らしいでしょうね。
2009/4/24(金) 午前 11:27
ぴあしさん、両部鳥居は、浅間神社をはじめ、山梨など山間の神社ではよく見かけるんですけど、ここのような海に近いところでは、わりに珍しいような気がします。手賀氏は手賀という地名から名乗ったようなので、元々の手鹿という名前の由来が気になります。気になることだらけでした。。。
2009/4/24(金) 午前 11:31