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滋賀県長浜市垣籠町
古墳群が点在する横山丘陵を、
犬飼坂から西の麓に下りてくると、
すぐ右手(北方向)に、鳥居が建っています。
社額は「天満宮」
垣籠(かいごめ)町の天満(てんま)神社。
このあたりには、
中世、永禄年中(1558〜1570)織田信長の兵乱で焼失した
大谷山法性寺の寺院跡があり、
鳥居の脇には、
五輪塔が集められています。
山裾に沿って、石灯籠が並ぶ参道がつづいています。
垣籠村の産神である
正一位天満大自在天神は、
建久元年(1190)3月18日の夜、
雲の中から光明がさしこみ、
嶺の天神岩に飛来したと伝えられ、
飛天神 とも称せられています。
そして、
伝承によれば、
大谷山法性寺の住僧某が、
正一位天満大自在天神を祀って 鎮守とした。
と、
社頭の由緒に刻まれています。
天満神社の
現在の祭神は、菅原道真公。
滋賀県神社庁のHPによれば、
創祀は元暦元年(1184)で、
祭神・創祀は、社頭の由緒と食い違いますが、
それは、
むしろ、長い時間の積み重ねのなせること。。。かもしれません。
社殿は、
天神岩や古墳群を戴く
横山丘陵の嶺を背にして、
西を向き、
垣籠の集落を見渡すように、鎮座しています。
近江國坂田郡志(昭和17年発行)では、
垣籠(かいごめ)という地名は、
清浄な一画を、垣で繞らせたことに因んでいると考えられ、
この村名と周囲の状況から、
古代においては、坂田酒人真人の本拠地であったと推定しています。
また、
「古老の口碑では、
村の名は、垣籠(かいごめ)と称する以前は、迦邇米村と謂えりと。。。」
として、
「古事記」にある、
息長帯比賣命(神宮皇后)の父は息長宿祢王、
さらにその父である
迦邇米雷王(かにめいかづちのみこ)の名に符号することも記されています。
正面の参道を出ると、
田圃を隔て、
垣籠村塚本集落の端、
天満神社にいちばん近い所に、
垣籠古墳。
古くから「王塚」と呼ばれ、
5世紀末の築造と推定される前方後円墳
全長55m 前方部:幅28m高さ5m l後円部:直径27m高さ3m
主軸をほぼ真北にとっていて、
上画像では、向かって右が前方部。
この古墳は、私有地にあり、
明治15年、土地所有者が開墾して、
五輪塔の最頂部と石塔婆、
さらに、岩石の下の粘土から、鐡矛と花形金具4個が出土したので、一旦中止。
明治35年、再度、塚を崩したところ、
石槨があり、内部には朱が敷き詰められ、
人骨や臼歯、勾玉、管玉、古鑑、劍、直刀、鉄棒などが出土。
明治42年、宮内省の諸陵寮係官が入り、調査のため出土品を全部預かった。
ところが、
大正12年の関東大震災で、それら貴重な出土品のすべてが殲滅してしまった。。。
垣籠古墳は、
「王塚」と伝えられており、
副葬品からも、
首長クラスの墳墓と考えられます。
惜しむらくは、
1400年もの長い眠りから覚めたばかりの出土品は失われて、
被葬者を同定するのは難しくなってしまった。。。
この一帯は、
古代豪族・坂田氏の本拠地であることから、
稚渟毛兩岐王(わかぬけふたまたおう)陵墓とされています。
古墳は、5世紀末ですよね。。。
(稚渟毛兩岐王の墳墓の伝承は、米原市にもあります)
鳥居には
「兩岐王宮」の額が掲げられ、
前方部には、祠が建てられています。
垣籠古墳に立つと、
天神岩や、堂の前古墳1号・2号は、
天満神社の ほぼ真上に 鎮まっていました。。。
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近江の旅2014春
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神社というのは本当に『人がいない風景』がしっくりくる場所ですね。( ̄  ̄)
2014/5/22(木) 午後 5:44
緑豊かな場所にあるんですね、神々しい雰囲気がありますね。
2014/5/23(金) 午前 0:55
古代史の勉強になります〜^^
滋賀県周辺は歴史的にもいろいろあった土地ですものね〜^^
2014/5/23(金) 午後 1:40 [ ganganikuze007 ]
こんばんは
身近に古墳がみられるのですね。
ところで、突然、古代史をたどる旅に出られたのですね。
石塔に歴史を感じます
ナイスです
2014/5/23(金) 午後 5:28
おはようございます。

人気のいない神社を訪れ
ゆっくり眺め古墳の勉強。ガイドさんいなくても、
これだけの事を記載出来るとは、すごいです。
帰ったらナイス!
2014/5/24(土) 午前 7:33 [ 、 ]