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真言宗豊山派(しんごんしゅうぶざんは) 「磐梯山恵日寺(えにちじ)」は、 明治2年、廃仏毀釈によって一時廃寺されたものの、 大正2年復興され現在に至っています。 この一帯は、会津仏教文化発祥の地、開祖・徳一による慧日寺(えにちじ)のあった地域、 現在も広大な地域に史跡・慧日寺の史跡が残っています。 この山門は、平将門の寄進によると伝えられ、 修復の手が加えられていないのか、 時の流れを感じさせます。 本堂は、 元禄15年(1703年)に建立されたそうですが、 修復を終えて、屋根は綺麗に金属で覆われて、真新しく見えました。 会津仏教文化発祥の地として知られる史跡・慧日寺(えにちじ)は、 平安時代初期、法相宗の高僧・徳一が開祖。 徳一は、天台宗を開いた最澄と 「三一権実諍論(さんいちごんじつそうろん)」と呼ばれる書簡による論争を数年間に渡って展開し、 この論争によって、天台宗の教義が整理・体系化されたと評価されているようです。 また、徳一は真言宗を開いた空海(弘法大師)に対しても批判を加えたが、 空海は、直接的な対決を避けたとされています。 平安中期から後期の全盛期には、寺僧三百、僧兵数千を擁し、子院三千八百坊にのぼり、 支配権は、会津はもとより、越後国小川荘(新潟県東蒲原)まで及んでいた。。。 磐梯山慧日寺資料館を訪れたこの日(4月1日)は、まだ冬季休館中でした。 また、史跡・慧日寺(えにちじ)一帯は、 現在、遺跡を調査・整備中ながら、興味津々だったのですが、 前日の雪が残り、歩き回れる状況ではなかった。。。 しかも、スキーと水汲みの後とあって、体力の限界が迫っていていました(笑) 雪が消えた頃、また来ることにしたのですが。。。 それでも諦めきれないので、 近くには道が見当たらない 戒壇跡の石碑まで、 折角だからと、 雪の中を歩いて、やっとたどり着いて、記念撮影をしました。 次回は、熊に注意しながら、歩くことになるのかしら。。。
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