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纒向遺跡(まきむくいせき)は、 奈良県桜井市の三輪山のふもと、 JR巻向駅を中心に、東西約2km、南北約1.5kmにわたる、 弥生時代末期から古墳時代前期の遺跡群。 古代纒向の地は、初期ヤマト政権が誕生した地とされいます。 桜井市埋蔵文化財センターでは、 「ヤマト王権はいかにして始まったか − 王権成立の地 纒向 」 と題して、 纒向遺跡の発掘調査に関する特別展が開催されていました。 画像は、 平成19年の発掘調査によって出土した「木製仮面」です。 纒向遺跡にある、 祭祀に用いられた遺物が多く発見される土坑から出土し、 古墳時代前期(3世紀前半)のものと考えられるそうです。 この木製仮面は、 ちょうど人の顔が隠れる程度の大きさです。 木の広鍬を加工したもので、 口の部分は鍬の柄を挿す形のままになっていました。 木製品は、複製品を展示する場合がありますが、 ここに展示されているものは、一部の漆器類を除いて、ほとんどが本物。 これも、本物! 彫り跡が、あまりにもくっきりとして、 本物ですか?!って、聞いてしまいました。。。 館内の展示物は撮影が許可されていました♪ 纒向遺跡の発掘されるさまざまな木製品のうち、 農耕具・土木用具として使用された鋤(すき)や鍬(くわ)は、 機械化が進んでいなかった時代、 鍬は農耕具として使われていましたが、 鋤は主に土木工事用の道具として、 現代のスコップの役割を果たしていたと考えられているそうです。 3世紀から4世紀にかけて、 纒向の一帯が、 日本最初の「都市」あるいは「首都」としての機能を果たしていたと考えられる根拠のひとつとして、 これらの土器の存在があるそうです。 発掘調査の統計では、 他の地域で作られて搬入された土器が、全体の15%を占め、 そのうち一番多いのは東海地方からで、 次いで、山陰地方や吉備から。 そして、河内、近江、北陸、播磨、阿波。。。遠くは九州の土器もあるんだそうです。 そんな遠くからも盛んに物資の交流があったんですね。 3世紀4世紀。。。ですよ。。。。。 弥生時代後期の墓は、 古墳時代の前方後円墳などに比べて、 規模も小さく、高さも低いものだったそうです。 弥生時代末期になると、 次第に大規模なものが築かれるようになり、 古墳時代にはいると、 前方後円墳が、大和において完成されてくるそうです。 箸墓(はしはか)古墳は、 現在、 第七代孝霊天皇の皇女、 倭迹迹日百襲姫命大市墓(やまとととひももそひめのみことおおいちのはか)として、 宮内庁の管轄下におかれていますが、 卑弥呼の墓(邪馬台国畿内説)という説も出て、注目を浴びています。 全長約280m・後円部径約160m・前方部前面幅約147m、 纒向遺跡において、最大の前方後円墳で、 3世紀後半の築造と考えられているそうです。 北西部分に濠が残っていて、 画像左後方に、三輪山が見えています。 現在、宮内庁の管轄下にあり、立ち入ることが出来ません。 後円部は、 低い石垣の向うは、鬱蒼とした森になっていました。 道を挟んで居住地です。 すぐ近くにいると、 鬱蒼とした森なんですけど、 東側にあるホケノ山古墳に登ると、 箸墓古墳の後円部がよく見えました。 ちょっとした丘のように見えますが、 ホケノ山古墳です。 箸墓古墳から歩いて5分ほどのところにあり、 3世紀後半に築造されたと考えられる、 全長約90m、後円部径60m・高さ8.5m、前方部長30m・高さ3.5mの 帆立貝式の前方後円墳です。 発掘調査により、 前方部斜面で、木棺とつぼ2個を埋めた埋葬施設が発見され、 復元されていました。 木棺の長さは2.2mですが、巾は45cm。。。かなりスリムな感じです。 ホケノ山古墳からの、三輪山の眺めです。 |
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2007年11月26日
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