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奈良県桜井市箸中(はしなか)の国津神社は、 箸墓(はしはか)古墳の後円部の東側、 ホケノ山古墳へ向かう旧道に面していました。 奈良県奈良市の東側、東山中(ひがしさんちゅう)と呼ばれる山深い地域では、 古くから、奈良盆地とは異なる、山の文化が伝えられてきたそうです。 そして、 この山の文化と重なる地域を中心として、 「国津神社」、「葛(くず)神社」、「九頭(くず)神社」という神社が、 数多く分布しているそうです。 国津神社の読み方は「くにつ」ですが、「くづ」と読まれることもあり、 やはり、「くず」に通じていると考えられているそうです。 三輪山のふもとにも、 いくつかのくず神社が鎮座しているそうで、 ここ、箸中の国津神社もそのひとつ。。。 拝殿の脇に掲げられた由緒によると、 祭神は、 正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊 (まさかあかつかちはやひあめしほみみのみこと)、 天穂日命 (あめのほひのみこと)、 天津彦根命 (あまつひこねのみこと)、 活津彦根命 (いくつひこねのみこと)、 熊野樟櫲樟日命 (くまぬくすひのみこと) 合祭神は、 素戔嗚尊(すさのおのみこと) あんまり長くて。。。合ってるかなあ。 この男神五柱は、 古事記や日本書紀で、 素戔嗚尊と天照大神が天の安川を挟んで、誓約(うけひ)をしたとき、 素戔嗚尊が、天照大神の身につけた玉に霧を吹きかけたりして生まれてきた神です。 そして、 国津神社の南側を流れる巻向川の対岸地区には、 国津神社(九日社)という神社があり、 天照大神が、素戔嗚尊の十拳剣(とつかつるぎ)を振って生まれた、 三柱の女神が祀られているそうです。 ところで、 国津神社、葛(くず)神社、九頭(くず)神社の祭神は一定ではないそうですが、 大国主命をはじめとする出雲系の神を祀る場合が多いそうです。 そう考えると、 ここに祀られている祭神は、ちょっと異色なのでしょうか。。。 そして、 国津神社は「太陽の道」の上にあります! 桜井市のHPによれば、 箸墓を中心に東西約200キロの直線上(北緯34度32分)に、 「太陽の道」と呼ばれる、古代の祭祀遺跡が並んでいるという説がある。 東の端は、伊勢の斎宮址。 西の端は、淡路島伊勢の森(伊勢久留麻神社)。 この二つの「伊勢」のあいだを、古代遺跡や古い由緒をもつ神社が点在していて、 共通点が太陽神の祭祀に関係があり、 磐座・岩石が信仰の対象となり、 女性の祭祀者のイメージが感じられるとされ。 太陽神の祭祀に深いかかわりをもった古代の「聖線」、 すなわちこれが「太陽の道」と名付けられたゆえんである。 桜井市では、長谷寺、三輪山、桧原神社、国津神社、箸墓が線上に浮かぶ、 古代王朝の政治的効果を狙って策定されたと考えられているが、 地図や磁石のない時代に東西の直線を引くことができたとするなら、古代の測量技術に驚嘆する。 というものだそうです。 そもそもは、 奈良在住の写真家・小川光三氏が発見し、 著書『大和の原像 知られざる古代太陽の道』が発端となり、 元NHKのチーフ・ディレクター水谷慶一氏が、 1980年NHK総合で、 『箸墓』を起点として計測された北緯34度32分の東西軸をテーマにした番組を放映、 また著書『知られざる古代』を出版するなど、 一躍、北緯34度32分線が世の中の脚光を浴びるようになったそうです。 ミステリードラマより面白い! 狛犬は3対です。 鳥居の脇には、 明治13年に奉納された、ちょっとたてながでスマートな狛犬。 本殿の前には、 嘉永6(1853)年に建立された、狛犬。 台座の模様が初めて見たようなきがします。 そして、 本殿の扉の脇には、とても小さな木像狛犬が鎮座していました! この記事を書くにあたって、 手元の資料がおぼつかないため、 桜井市をはじめとして、 いろいろなHPを参照させていただきました。 お礼をもうしあげます。 最後の画像は、 箸墓古墳からみた国津神社の杜。 これは、太陽の道 なんですね。。。 |
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2007年12月04日
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