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見えにくいけれど、シメかな? たくさんの群れでした。 まだ硬そうな新芽を食べている様子、美味しいのかしら。。。 井の頭公園の御殿山は、 高い木立の上のほうから、 野鳥たちの声が賑やかでした。 池に架かった橋の上を通りかかると、 人だかりがして、 みんな、暗がりを見つめていました。 指導員が、 「ほら、あそこにカワセミがいますよ!」 けれど、遠くて、 誰も見えない。。。 指導員の双眼鏡を順番に借りて、 やっと、 「あ〜!ほんとだ!きっれ〜い!」 指導員は、 私の望遠レンズに気が付いて、 一枚撮ってくれて、 「ね、ここだよ!」 と、教えてくれました。。。 上の画像は、 何度か撮りなおしたうちの一枚ですが、 やっぱり、三脚がないと無理みたいと、諦めました。 橋を渡ったところで、 友人が、 「いたわよ!」 と、 見つけてくれたのですが、 今度は、あいにく金網の向うで。。。なかなか上手くいかない。 結局、 バッチリ撮れたカワセミは、 自然園の看板でした。。。。。(笑) |
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2007年12月17日
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奈良の旅。 季節がずれてしまいましたが。。。 奈良県天理市の南部、柳本町から渋谷町にかけて、 行燈山古墳(崇神天皇陵)や渋谷向山古墳(景行天皇陵)をはじめ、 大型の前方後円墳がたくさん造られていて、 この地域の古墳群を総称して、柳本古墳群と呼ばれています。 今回は、天理市の南に隣接する桜井市から歩きました。 渋谷向山古墳(しぶたにむこうやまこふん)は、 現在、第12代景行天皇陵とされています。 というのも、 この陵は、 江戸時代の終わりごろまでは、第10代崇神(すじん)天皇の陵とされてきたんだそうです。 日本書紀など、少ない資料が根拠になっているそうなので、 実際は、誰のお墓なのか、確定されているのは少ないんだそうですね。 景行(けいこう)天皇は、 神武天皇からかぞえて第12代目の天皇で、 第10代崇神(すじん)天皇の孫にあたり、 また、 息子の、日本武尊(やまとたけるのみこと)は、有名ですよね。 柳本古墳群の中ではもっとも大きな前方後円墳だそうで、 周囲の濠は、3段階に分かれていました。 黒塚古墳は、 古墳時代前期(3世紀後半から4世紀)に造られたと推定される前方後円墳。 平成9,10年の発掘調査によって、 後円部の、竪穴式石室の存在が明らかになり、 副葬品として、三角縁神獣鏡の過去最多の33面が出土して、 大注目を浴びました。 これらの三角縁神獣鏡は、 古代国家成立の過程を解明するうえで、とても重要な資料だそうです。 竪穴式石室は、 全長8.3mの、川原石と板石を合掌式に積み重ねた特殊な様式で、 石室中央には、長さ6mのクワの巨木をくり抜いた木棺が置かれていたそうです。 黒塚古墳展示館内には、石室が復元されています。 そして、 古墳後円部の石室の上には、 石室の状態が焼き付けられたタイルが置かれて、 すごくリアルな感じがします。 行燈山(あんどんやま)古墳 は、 第10代崇神(すじん)天皇陵とされています。 古墳時代前期を代表する前方後円墳で全長約240mで、 4世紀半ばに造られたと推定されるそうです。 崇神天皇は、 実在した最初の天皇だろうと言われるのですが、 没年は、西暦258年にあたるそうですが、 陵が造られたのは4世紀半ばと推定され、約1世紀のずれがあります。。。 櫛山(くしやま)古墳は、 古墳時代前期、すなわち4世紀前半に築造されたと推定されているそうです。 行燈山古墳(崇神天皇陵)を濠に沿って後円部へ回り込むと、 行燈山古墳の少し山側の高い位置に隣接していました。 中央に円部、その西側に前方部、東側に後方部を築いた、 イメージとしては、丸い飴を紙で包んだような、不二家のミルキーみたいな形。 とても珍しい墳形で、双方中円墳と呼ばれるそうです。 この古墳は、天皇陵ではないので、歩くことができます。 中円部から全長 7.1mの竪穴式石室が発見され、 石室からは、副葬品が出土したそうです。 また、後方部の頂上で、白い玉砂利を敷き詰めた遺構が発見され、 祭祀の跡か、または埋葬施設の可能性があるそうです。 中円部も、大きくえぐれていて、双方中円墳の形がよく判らなかった。。。 夕暮れ時、 この古墳は、あまり訪れる人もないらしく、 小さな山を探検しているような気がしてきました。。。 気が付くと、 行燈山古墳の後円部に日が沈もうとしていました。 |
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