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日ノ出城の西側は塩川の断崖絶壁、 そして、 東側には、 城への入口を守るかのように集落があり、 塩川に流れ込む三之蔵沢の急な斜面にそって鎮座しているのは、 日之城 神明神社 かつて、日一揆の叢宅だったと伝えられる日ノ出城は、 日之城という集落の名前に、その歴史を留めているかのようです。 神明鳥居の石額には「太神宮」 手水鉢の縁には、正徳2(1712)年と銘記されていました。 隋神門 日輪を一党の標(しるし)としたことから、 日一揆の名前が付いたそうですが、 隋神門の蟇股には、太陽の両脇に波を配した図柄が刻まれています。 これが、日一揆の標なのかしら。。。 開放的な造りの拝殿の手前に据えられた石灯籠には、 宝珠の部分に武田氏の紋があり、 竿には弘化四年十月と記されています。 弘化4年は、西暦1848年にあたるので、もしかしたら部分的に年代が違うのかしら。。。 本殿は、外側は覆いがつくられていますが、 拝殿からは、奥に鎮座する本殿を見ることができます。 祭神は 天照大神
豊受大神
大きな神社ではありませんが、本殿には、とても見事な意匠が施されていました。 由緒書きによると、 当社の創建年代ははっきりしていないそうですが、 この村ができたころ、伊勢の皇大神宮を勧請したと伝えられているそうです。 また、 天文(1532〜1554)年間に、武田家臣・小幡日城(日浄?)が、 日ノ出城の城郭鎮護のために、社殿を大修築したと伝えられているそうです。 小幡日城は、没年が1519年とのことなので、 天文年間に入ってからの改修は、息子の虎盛(1505~1561)の年代でしょうか。。。 また、 徳川家の尊信も厚く、 慶長(1596~1614)間には、 徳川幕府より社領・社地を賜わり、社殿を改修築されたそうです。 現在の社殿の建造年代は記されていませんでしたが、このころのものでしょうか。 舞楽殿の彫刻も素晴らしいものでした。 また、 境内には、 たくさんの石祠が、低い石堤の上に祀られていました。 |
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2008年06月26日
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