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茨城県行方市手賀。 霞ヶ浦大橋から、 行方市を霞ケ浦に沿って南へ向かい、 手賀小学校跡地の先から東(左折)へ折れて、緩やかな坂を登ると、 台地の上には、ひろい畑が続いていました。 この一帯は、 縄文中期にはすでに集落があり、古墳群や集落遺跡が点在しています。 提賀里(てがのさと)。 常陸国風土記によると、 古来、手鹿(てが)と呼ばれる人々が住んでいたことから、 提賀里と名付けられたと記されていて、 現在の手賀の地名も、これに由来するそうです。 みんな「てが」ですけど、字が違う。。。 荒原神社は、 道に面した両部鳥居、 参道脇の手水鉢(小さい方)には、文久4(1864)年と記され、 拝殿の前には、 新しい石灯篭と狛犬が鎮座し、比較的最近、修復された様子です。 中世には、 桓武平氏、常陸大椽氏の一族である手賀氏の館が構えられ、 荒原神社もその一角に祀られていたと考えられるそうです。 祭神は 武甕槌命(たけみかづちのみこと) 武甕槌命は、鹿島神宮に祀られていることから、鹿島神とも呼ばれます。 案内板には「現在の祭神は」と記されていて、 以前は、別の祭神が祀られていたのかもしれません。 神社の向かい側は、 古墳時代から奈良時代にかけての代表的な古代集落跡、 荒原神社馬場前遺跡で、 土器や漁労具が発見されているそうです。 |
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2009年04月19日
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