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あきる野市小和田。 五日市町史によると、 字柏原の 五霊神社 と、字石神の 石神神社 を、 大正8年に、 字御嶽山の 御嶽神社 に合祀して、 小和田地区全体の産土神としたと記されています。 五霊神社と石神神社は、 上の地図に載っていますが、 前回、小和田を訪れた時は、見つけられず、 結局、 広徳寺にたどりつき、さらに、金剛ノ滝を歩いてきました。 諦めきれず、リベンジです! 車をおいて、細い道に入っていくと、 行き止まりの所に小さなお社が見えたのですが、 同時に、周囲からの視線を感じました。 農作業の手を止めて怪訝そうに見つめる婆さまに、 おそるおそるたずねた途端、 嬉しそうな笑顔になって、 あれは、うちの屋敷神のお稲荷さん。 毎年、2月の初午に、お赤飯と煮物を供えるんだよ。 「ごりょうさま」に行きたいのかね。 道かと思って入り込んだのは、なんと、個人のお宅の通路だったのです。 五霊神社 は、 広徳寺の北200mくらいの所、 子供の遊具がある広場の片隅に、 東向きに鎮座していました。 祭神は、鎌倉権五郎景政 縁起は不明ですが、 五霊神社神体の神鏡(懸仏)裏面には、 広徳寺守護 御霊大神社、三浦権五郎景政是也 不知本躰本尊 直降而擁護 応永二十七年十二月十八日 具弁白奉氏子 と銘があり、 新編武蔵風土記稿には、 広徳寺の項に、 鎌倉権五郎景政を祀る 御霊権現祠 の記述があります。 石神神社も見つけられず、 集落のはずれで、 ちょうど昼休みに戻ってきた爺さまに出会いました。 ちょっと笑って、 指さす方には、森しか見えません。 あそこの林の中に、桐の木があるだろ? そこなんだけどね。 道が細いんでわかりにくいんだよ。。。ほんとうに、わかりにくい(笑) 遊歩道のような細い道を30mほど入ると、 広場の、 ログハウスの集会所の脇に、 石神神社 は、南を向いて、鎮座していました。 祭神や由緒はわかりませんでしたが、 すぐ後ろは秋川の崖になっており、 社殿は、大きな岩の上に、土台を組んで建てられています。 御嶽神社には、もう行ったかい? あそこはね、広徳寺から尾根道で行けば、すぐなんだよ。 けど、 曲がり角に何にも書いてないから、知らない人はわからないだろうなあ。。。 「すぐ」と聞いて、 ちょっと元気になり、行ってみることにしました。 広徳寺から、 先日通った金剛ノ滝への道で尾根に出ると、 その先は尾根の南側へ出てしまうところに、 工事中のロープが張ってあり、分かれ道になっています。 分かれ道から、2〜3分下っていくと、 集落からの石段とぶつかるところに、 御嶽神社の鳥居が建っていました。 参道は、北向きにゆるい石段を登っていきます。 石段を登りつめると、 秋川をのぞんで眺望が開け、 参道は右に折れて、 御嶽神社は、西を向いて鎮座していました。 創建の時期は不詳。 宝暦11(1761)年2月2日の付けの神道裁許状があり、 当時の社名は、「金峰山蔵王権現」。 拝殿内には、現在も「金峰山」の扁額が掲げられています。 明治35(1902)年11月、「御嶽堂」から「御嶽神社」に改称。 大正8年10月15日、無格社石神神社(小和田字石神)と無格社五霊(ごりょう)神社(小和田字柏原)を合祀。 祭神は、 日本武尊(やまとたけるのみこと) 布都御魂神(ふつのみたまのかみ) 鎌倉権五郎景政(かまくらごんごろうかげまさ) 旧社格は村社。 また、 新編武蔵風土記稿によれば、御嶽社の神体は丸石。 拝殿前に鎮座している一対の石像は、 御嶽神社なので、 狛犬ではなく、眷族の狼だと思うのですが、 おっとりと素直な性格のように見えます。 拝殿の右側には、 2基の石祠が祀られていました。 神木は、大きなコブが特徴的なヒノキ。 境内は高台にあるので、眺望がよく、 新緑の木立の間からは、 眼下に秋川が流れ、 川に沿った五日市の街並み、 対岸の山並みを見渡すことができました。 |
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2010年05月13日
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