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奈良県大和郡山市稗田町319
JR郡山駅から南南東へ1㎞くらいかしら。。。
稗田(ひえだ)集落は、
集落全体が濠で囲まれている環濠集落として有名です。
環濠が、
いつの時代にどのように形成されていったか詳らかではないものの、
室町時代には、
現在のような形になっていたと考えられるそうです。
稗田集落は、
濠に囲まれた限られたスペースにもかかわらず、
南東の一角は、
賣太神社の大きな杜に占められています。
神社を中心として発達してきた集落という感じ。。。
奈良時代には平城京に通じる主要幹線であった
古代大和の「下ツ道」は、
稗田集落の西端を通っていて、
また、
平城京の南正門にあたる羅生門が近く、
賣太神社の南の稗田遺跡からは、
多くの祭祀用具が発見され、
古代から神事が行われた場であったそうです。
南面する鳥居から、
参道は左に折れ、
社殿は、東を向いています。
賣太神社は、
「賣太」は、「売太」で、「めた」と読みます。
社格 式内社 大和國添上郡 賣太神社 (小社)
旧県社
猿女(さるめ)君の養田を「猿女田」と呼んだことから、
猿女田神社から賣太神社へ変化した。。。らしい。
いつごろからなのか、
江戸時代までは「三社明神」と呼ばれており、
明治7(1874)年に、「十三社明神」となり、
明治24(1891)年に「賣田神社」、
昭和17(1942)年に現在の「賣太神社」に改称されたそうです。
祭神は、
主斉神 稗田阿礼命(ひえだのあれのみこと)
副斉神 猿田彦神(さるたひこのかみ)
天鈿女命(あめのうずめのみこと)
創祀年代は不明。
稗田は、
天鈿女命を遠祖とする猿女君稗田氏の本拠地で、
主斉神の稗田阿礼命は、その一族。
稗田阿礼命は、天武天皇の命により帝紀・旧辞を暗誦し、
30年余り後、太安萬侶(おおのやすまろ)がこれを編纂・筆録して、
『古事記』として、元明天皇に献上したと伝えられています。
中世には「祭神不詳」とされていたそうです。(Wikipedia)
あの、有名な語り部・稗田阿礼(ひえだのあれ)を祀る神社です。
現在の社殿は、
昭和16(1941)年の古事記撰上1230年を記念して、
昭和19(1944)年に新築されたそうです。
本殿は、春日造り。
提灯の神紋は「太陽に勾玉」というらしい。。。珍しいデザイン。
拝殿の左にある池は水が抜かれ、
右手前には、
石を祀った小祠と、狛犬が鎮座する礎石があり、
境内を整備している途中なのかもしれません。
境内社として、
春日神社、厳島神社、八柱神社(Wikipedia)が祀られているようですが、
残念ながら、確認できませんでした。
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2013年03月22日
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