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奈良県吉野郡吉野町南国栖
吉野山の桜を観たのは もうずいぶん昔のことになってしまいましたが。。。
今回は、
吉野山ではなく、
伊勢街道を吉野川に沿って遡っていきました。
吉野川沿いの宮滝集落一帯には、
縄文時代から飛鳥・奈良時代にかけての
多くの遺跡が確認され、
吉野宮があったと推定されています。
7世紀後半、
天智天皇は、病床において、
同母弟の大海人皇子に、
皇位継承を要請しますが、
大海人皇子(のちの天武天皇)は、
真意を警戒して、それを辞退し、出家して、吉野宮に隠棲しました。
天智天皇が崩御し、
近江大津宮で大友皇子が跡を継ぐと、
大海人皇子は、
吉野宮で挙兵し、クーデターを起こしました。。。壬申の乱。
地方豪族を味方につけた大海人皇子は、
大友皇子軍を破り、
飛鳥浄御原宮において、天武天皇として即位しました。
宮滝遺跡を過ぎて3㎞ほど、
県道262号線に入ってトンネルを抜けると、
南国栖(みなみくず)集落。
吉野川はこのあたりで大きく曲がり、
深くやわらかい翡翠色の水を湛えていました。
ふりかえると、
衣笠山の美しい山容、
麓に沿って南国栖の家並みが続いていました。
民家の脇から、
吉野川の崖っぷちの細い道を西(下流)へ向かいます。
危なっかしいので、
ずいぶん歩いたような気がするけれど、
400mほどで、
石段の上に鳥居が見えてきます。
境内は、
奥行き10mもあるかしら。。。断崖の際のちいさな神社。
四阿のような拝殿は、
中央は通路で、両側は板敷になっています。
この拝殿では、
旧暦の正月十四日に、
拝殿の床を設え舞殿として、
国栖の人たちによって、
代々引き継がれてきた、
「国栖奏(くずそう)」が奉納されます。
拝殿の奥、
切り立った岩に、
社殿が東面して鎮座していました。
浄見原(きよみはら)神社。
祭神 天武天皇
創建の年代は不詳ですが、
壬申の乱の折、
国栖の人たちは、吉野で挙兵した大海人皇子に味方し、
敵に追われた皇子を匿い、酒や食事を供し、歌舞を奏してもてなし、
また、
天武天皇即位を祝うために、
飛鳥浄御原宮へ参り、舞を奏上したそうです。
のちに、
この南国栖の地に、浄見原神社が創られたと伝えられているそうです。
(現地案内板より抜粋)
川沿いの小道は、浄見原神社で行止まり。
神社付近の川は天皇淵と呼ばれるそうです。
この日は、
お天気に恵まれた所為もあって、
なんともいえない神秘的な美しさ。
ここに神社を祀ったのは、
この淵を称えているのかもしれない。。。
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