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山の雪解け水が、 勢い良く放水される 笠堀ダム 笠堀ダムは、 五十嵐川支川、笠堀川に位置し、 洪水調節、上水道、農業用水及び水力発電のための多目的ダムで、 昭和39年9月に完成、 県営ダムとしては、三面ダムに続いて2番目に古いそうです。 平成16年7月13日の豪雨で、 下流の五十嵐川が決壊し、三条市では大被害となりましたが、 笠堀ダムは、下流への放流量を調節して、 最大限に洪水調節機能を発揮し、被害を軽減させたそうです。 このときの豪雨はすさまじく、ダムの洪水調節機能を上回ってしまったんですね。 喫水線がダムの壁に表示されていました。 あと80cmあまりに迫り、当時の危機感が伝わってきました。 笠堀川上流域の険しい山々は 奥早出粟守門県立自然公園にあります。 カモシカは、 「生きる化石」ともいわれ、急峻な岸壁に棲息する貴重な動物として、 昭和9年に国の天然記念物、昭和30年には特別天然記念物に指定されています。 ダム湖畔周辺の岩山は断崖絶壁で人を寄せ付けず、 カモシカの生息地として、昭和44年に天然記念物として地域指定されています。 ダム湖の上流は
一般の人は立ち入れない、野生動物の領域です。 急峻な岸壁から 今もカモシカがこちらを見つめているのでしょうか? |
名所・旧跡
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車が勝手に、酒蔵に立ち寄って、 冷たい甘酒を堪能したりするものだから、 すっかり遅くなってしまった。。。 有料道路ゴールドラインで、桧原湖を目指した。 ゴールドラインは、 なんと、スキー場の迂回コース、そのもの!だ。 スキー場の初心者向け迂回コースは、 なだらかだが曲がりくねって、距離が長いので結構疲れるものだが、 今は、そこを登っている。。。 雪がないと感じが全然違うね。 ところどころ顔をのぞかせる磐梯山は、春の陽射しに映えて、美しい。 山並みの肩にあるパーキング猫魔八方台は、 磐梯山登山口としては最短ルートに当たる。 シャンシャンとか、チャリンとか、軽い音がず〜っと聞こえていたので、 変わった鳥がいるんだなあ。。。と思っていたら、 熊除けの鈴をつけたパーティが、丁度、下山してきた。 絶好の春登山日和、 山頂からの眺めは最高だったでしょうね!!! 先を急ぐと言いながら、 道脇のふきのとうを摘んだりして、なかなかたどり着かない。 それでも、ピークを過ぎて下りに入った。 しばらくすると、 磐梯山の形相が変わっている。 これは、まるで火山の噴火口のようだ! と、思った? ら、大当たり! 1888(明治21)年7月、小磐梯が大噴火してできた爆裂火口(カルデラ)だそうです。 このとき、山頂部が水蒸気爆発により破裂、 爆発は20回ほど続き、最後の一発は北に向けて抜けた。 小磐梯の山体は粉々となり北に向かって流下した。 このときに堆積した岩によって川がせき止められ、 桧原湖・小野川湖・秋元湖の3つの湖ができたんだそうです。。。 ヘェ!ヘェ!ヘェ! 桧原湖にたどり着いた頃は、もう、気温が下がってきて寒かったのに、 道の駅で、ソフトクリームを食べた。 エゴマのソフト、と、そば粉のソフト。 お味見してから撮ったので、山頂部が爆裂してしまったが。。。 両方とも、初めての味、予想以上に、香ばしくて美味しかった。 はい、桧原湖ですよ〜! 写真は撮ったけど、 どこへも寄らずに、家路に着くことになってしまった。。。 ちなみに、有料道路の料金は730円でしたが、
途中で摘んだふきのとうは、たっぷり500円分はありました!!! |
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新発田城址公園の春祭り あいにくの小雨模様でしたが 江戸時代、この地を治めた藩主・溝口家の新発田城 新発田川の本支流を利用して作られた堀に 桜が映えていました 江戸時代の建造物がそのまま残っているのは、 表門、隅櫓、石垣、堀 だそうです。 左の写真は、 表門と、その奥に辰巳櫓が見えます 表門は重要文化財ですが 辰巳櫓は平成16年に復元されたものです 堀を渡る石橋は明治時代に作られたそうです 右側の写真は、 重要文化財指定の 隅櫓 元々は二の丸にあったものをここに移築したそうです 左の写真、 新発田城は 三階櫓が天守閣の役目を果たしていたそうですが この三階櫓は平成16年に復元されました 現在、本丸の一帯は 陸上自衛隊新発田駐屯地として使われていて、 三階櫓は、その敷地内にあるため、 こうして遠くから眺めるだけです 復元には何億円もかかったそうで、ずい分と贅沢な眺めということになります。 右の写真、 みなさん揃いの半被を着てお花見、似合いますね! 市島酒造のカップ酒、 やっぱり花見はカップ酒!いいですね。 堀部安兵衛は新発田藩主ゆかりの人で、 大きな交差点のすぐ脇に、生誕地の石碑と松と大きな石灯籠が立っています。 勿論、昔は交差点ではなかったと思いますが。。。 堀の石垣の上に 水鳥が並んでいます この石垣は 切込接布積 という独特な手法だそうです 1598年、豊臣秀吉の命を受けて 上杉景勝が会津に移封されて後、 越後に来た城主・堀秀治の与力大名・溝口秀勝がこの新発田を治めました 以来、城下町として栄えた新発田の町は、 そこかしこに独特の文化が残っているようです。 御菓子が美味しいといわれているので、
そのレポートもお届けしたいと。。。 |
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あいにくのお天気で、折角の週末もお花見はちょっと辛い。 今日は、競馬の皐月賞という重賞レースがあるので、 馬券なんぞ買ってみようかな。 と思い立って、 新潟競馬場へ行ってきました。 以前、吉野家の牛丼が販売できなくなったとき、 ここの吉野家だけは売っていた そのとき行こうと思ったんだけど、 なかなかタイミングが合わなくて。。。 今日はここで馬が走るのではなくて、 馬券を買うだけ。 ちょっと寄って、さっと買って、 という心算だったのですが。。。 建物に入ったのはいいけど、 馬券の買い方も判らないし、 とりあえず落ち着いて検討しようと 観覧席に入ると、 大きなモニターでは、別の競馬場のレースを実況していた このモニター、すごく大きくて画面が綺麗! 新潟競馬場は初めてだけど、 競馬場へ入るのもすご〜くに久し振り。 駐車場に入って建物を見たとき、 これが競馬場なの?というくらい、 イメージが変わっていた そうそう、桜も綺麗に咲いていました 中居くんのポスターが貼ってある いま、JRAは中居くんが宣伝してたのね。。。 記念品ショップには人気馬のぬいぐるみが 大きいのから小さいのまでたくさんあった オグリキャップが一番多かったけれど、 ピンクのマスクを着けたハルウララが売り切れだったのは、残念! 記念にひとつ欲しかったので トウカイテイオーという馬のキーホルダーを選んだ 新潟競馬場で実際に馬が走るのは
4月29日かららしい 一度くらい行ってみようかしら。。。 |
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出雲崎の町を上から見ると 日本海に面し、背後に山が迫った細長い町並。 間口が道に面して奥に長い、独特な妻入り住居が続いている。 北国街道「出雲崎宿」は、国土交通省の「歴史国道」に指定されている この建物は出雲崎代官所跡。通称秋田屋敷。 戦国時代、天正5年(1557年)上杉氏はここに陣屋を置き、 徳川幕府は、1616年出雲崎を直轄領とし、 初代の代官所をここに置いた。 北国街道の宿場町として、また、北前船の寄港地として、 この出雲崎は栄えた。 この秋田屋敷のすぐ近くに、良寛の生家があった。 のんびりとした漁村の風景。 魚の行商だろう。。。こりゃあ、お茶をよばれているね。 この猫たちは、何の相談をしているか判るような気がする。。。 良寛さんの生家は出雲崎で代々名主の橘屋山本家。 生家跡に、日本海を背にして良寛堂が建てられている。 良寛は、家督を弟・由之に任せ、仏門に入った。 橘屋山本家は、石井神社の神事を執り行ってきた。 それにしても長い階段! やっとたどり着いたら、まだ冬囲いのままだ。。。 司馬遼太郎をして、上杉謙信に並ぶ越後の英雄と言わしめた釈良寛 俗世をつき抜けたおおらかな生き方は、捉えようが無く、 英雄という表現はピンと来ないのだが。。。 托鉢の折、小児の凧のために、凧がよく飛ぶように! 天上大風 夕日の丘公園は、新潟景勝100選の第1位。
晴れた日の見晴らしは素晴らしい。 この日はすこし霞んでいた。 しばらくして天上大風となり、帰り着く頃には雨に。。。 |







