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奥氷川神社(おくひかわじんじゃ)は、 さいたま市の氷川神社、所沢市の中氷川神社と共に「武蔵三氷川」と呼ばれ、 この三社は、ほぼ一直線に並び、 本社・中社・奥社の関係にあるともいわれています。 JR青梅線の奥多摩駅から、歩いて5分。 左側の画像で、 八百屋の脇の三本杉が、拝殿の脇にあたります。 このご神木は、 地上3mから3本に分かれていて、「氷川の三本杉」と呼ばれ、 鎌倉時代に植えられたと伝えられています。 目通り幹囲7m以上、高さは49mを超えて、 都内最大の杉で、天然記念物に指定されています。 右側の画像は、 境内側から見た鳥居。 社殿の脇に、青梅街道の氷川大橋が架けられて、 境内はこじんまりとしていますが、 昔は、奥多摩駅のあたりまで境内だったとか。。。 社記によると、 景行天皇(71年〜130年)の時代、日本武尊が東征の折に祀った社を起源とし、 貞観2(860)年 簸川(ひかわ)修理大輔土師行基が奥氷川大明神として再興し、 明治2(1869)年、奥氷川神社と改称されたそうです。 祭神は速須佐之男(はやすさのお)命、櫛稲田(くしなだ)姫命。 本殿は、 神明造で、元禄年間(1688〜1704)に建造。奥多摩町指定の有形文化財。 かつては、愛宕山に祀られた阿羅波婆岐神社であったとも伝えられるそうで、 愛宕神社には、手名槌神、足名槌神二社を祭る阿羅波婆岐社が合祀されているそうです。 後日、訪れたいと思っていますが。。。 境内社は、 左側は、天満宮です。 中央のお社の祭神は判りませんでした。 右の隅には、丸い石が祀られていました。 狛犬は、昭和4年に奉納されています。 最後の画像は、 吽像が押さえている、子獅子の顔。。。お気に入りです(笑) なかなかの面構えですよね! ちなみに、 最初の画像は、子獅子の横顔です。。。ぺったんこ! |
神社・寺
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東京都奥多摩町栃久保は、 日原川が多摩川と合流するあたりの、日原川沿いの一帯です。 集落の北側の、 急な斜面に鎮守・根元神社が鎮座していました。 簡素な造りの拝殿があり、 その奥の覆い堂の中に本殿が祀られていました。 由緒や祭神はわかりませんでしたが、 拝殿には「根元大明神」の板額がありました。 拝殿の脇には境内社が鎮座していました。 左側の2社は不明です。 右側の画像は、左から、将門神社、愛宕神社、子安神社。 本殿のすぐ後ろの正面には、 祭壇のように段がつくられ、 丸石と、長丸の石が祀られていました。 本殿の真後ろに祀られているのは、珍しいと思います。 祭神との関係が興味深いです。。。 社殿脇の一段下がったところに、 川を背にして舞台があり、 その前の広場を隔てて、石段が観覧席のようになっています。 この広場で、 毎年、8月の第4日曜日には、 この一帯に古くから伝わっている、 大太夫、小太夫、女獅子の3匹の獅子が舞う、 独特の獅子舞が奉じられるそうです。 最後の画像は、 境内社に鎮座していた木彫のお地蔵さま。。。とてもいいお顔。 |
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檜原街道で秋川をさかのぼって、 青木平集落から里道にはいりました。 青木平橋付近は、 紅葉のビューポイント。 その頃には、カメラマンガ並びます。 今年も、もう少しですね。。。 青木平集落の鎮守は、熊野神社。 境内には、稲荷社も。 祭神は、伊弉那岐命・伊弉那冊命 創立は不詳ですが、 社伝によれば、 嘉吉元(1441)年の勧請と伝えられ、もとは熊野大権現と称されたそうです。 里道を300mほど下ると、 橋のたもと、 落石防止のネットが張られた切り立った崖の麓にも、 神社が鎮座していました。 左側の石段を登ると、 小さなお社があり、 銅でできた鳥居と御幣(ごへい)が祀られ、 木札には、熊野大権現と記されています。 また右脇の石灯篭は、 熊野大権現の銘があり、 天保14(1844)年と記されていました。 熊野神社から秋川を見下ろすと。。。 右側のお社は、 格子の隙間からのぞくと、 鉄の剣が祀られていました。 地元の方に伺うと、 八坂神社とのことでした。 祭神は、日本武尊。 その地元の方は、 八坂神社はご存知でしたが、 熊野神社のことは知らないとおっしゃっていました。 同じ青木平の中でも、 小さな集落ごとの鎮守があって、 ここの鎮守は八坂神社だということなのかしら。。。 最後の画像は、 庭先に、帆かけ船!!! 山波をぬって、空駆けるのでしょうか。。。 |
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秋川渓谷はこの時期、 週末ともなれば、 紅葉狩のハイカーや川原のバーベキューでにぎわいます。 ですが、 上流の支流・養沢川に大岳沢がそそぎこむあたりともなると、 川沿いの道は山が迫り、谷合に集落が続いています。 石段の脇の道しるべには、 「右、みたけ山道」と記されています。 養沢神社は、 養沢川に大岳沢が流れ込むところにあり、 養沢川をさかのぼる道は、少し先で登山道となり、日の出山を越えて御岳山方面へ。 大岳沢沿いの道は、大岳山の登山口になっています。 鳥居の脇には、 下から見るとなにやら尖った石像のように見えましたが、 とても立派な阿吽一対の龍像が鎮座しています。 龍像は珍しいと思います。 阿吽の配置が一般的な順序とは逆(拝殿に向かって左側が阿像になっています)で、 参道の内側を正面に、向かい合って据えられています。 そのため、阿像吽像ともに、拝殿に向かって吠えているようにみえます。 昔の狛犬なら、いろいろな配置があるのですが、 この龍像は比較的新しいので、阿吽が逆というのは珍しいと思います。 何か理由があるのかしら。。。 ちょっといたずらして、 画像で龍像の配置を変えてみました。 こうしてみると、 阿像は、屹立した岩山の上で、 吽像は、あらまく波間から、 頭をそれぞれ外側に伸ばしています。。。 境内は、 参道の正面に拝殿が、右手に稲荷社が鎮座しています。 社殿の後方は、すぐに山道で、高岩山へ続いているそうです。 境内に由緒書はなかったのですが、 あきる野市のHPには、 「養沢地区には、熊野・八幡・八坂・楪(ゆずりは)・日天・門客人の6社があるが、 楪を除く5社を大正4年に合祀し、養沢神社を創立している。 祭神は天照大神・伊弉諾命・伊弉冊命・速玉男命・誉田別命・手名槌命・足名槌命である。」 と説明されています。 5社を合祀したということですが、 元々この場所にあった神社はどれなのかは明記されていません。 また、稲荷社は含まれていないので、合祀後、境内社となったのでしょうか。。。 さらに、 合祀された中に、「門客人」とありますが、 拝殿の右後方に、 「門客人大明神 文政十二年」 と記された石灯篭が建っています。 門客人神というのは、 もともとその土地で、地主神あるいは土着神として信仰されていた神で、 あとから来て支配者となった種族の神と、主客が入れ替わり、客人神となり、 さらに門神として、侵入する邪霊から主神を守る性格ともつとされています。 そして、この土着神はアラハバキといわれていたそうです。 ということであれば、 門客人大明神の石灯篭は、 拝殿の後方ではなくて、鳥居に近いところが相応しいような気がしますが。。。 最後の画像は、 ご神木の「とちのき」 ほんの少しですが、色付いてきていました。 紅葉の頃には、見事でしょうね。。。 |
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うふふ。 のび は、番犬には向かないんですよね。。。(笑) 玉敷神社の社務所で見つけたのは、 御守神殿 小さいながらも、流造りになっています! 机の上などに置いておくお守りだそうですが、 ときどき不機嫌になる私のパソコンにも御利益があるかしら♪
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