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人の顔のように見えてきました。。。 国道16号線の御殿峠を西の方へ下りると、 かつての、旧道へ続く細い山道の面影はなくなって、 10年ほど前にJR横浜線の新しい駅「みなみ野」ができたことで、 八王子市のその一帯は、急速に宅地化が進んでいます。 みなみ野駅へ抜ける巾の広い道を逸れて、 西向きの斜面に、 そこだけこんもりとした鎮守の森が残されていて、 まだ新しい石段を登ると、 宇津貫(うつぬき)熊野神社が鎮座しています。 境内の由緒書きによると、 江戸時代中期頃から「第六天社」と「赤山大明神」を祭祀し創建された後、 江戸時代末文政年間に「熊野宮」と「牛頭天王宮」を合祀し、 以後「熊野神社」と総称しているものと思われます。 拝殿は古文書によれば、 安政3(1856)年から文久1(1861)年にかけて改修、遷宮がおこなわれたことが推察されます。 現在の社殿は、 この由緒書きが立てられた平成15年に、大改修されたもののようです。 拝殿のコンクリートの土台に、 とても小さな狛犬が、台座もなく直接埋め込まれています。 前足が欠落して、手頃な石が脇息代わりに置かれていました。 阿吽像ともに、背中には「奉納大六天 明和二年」と刻まれています。 また、 寛延4(1751)年に建てられた角石塔があり、 手水鉢には、万延と読める銘がありました。 前足と尾が欠落し、 阿像は下顎が、吽像は上顎の部分も欠けています。 胴体はのっぺりとして、彫りが浅くて耳はよく見えません。 顔は、狛犬離れしています。 とても小さいけれど、かなりインパクトがありました。 その独特な風貌から、 「のり巻狛犬」と呼ばれて、 狛犬愛好家の間では、ちょっと有名な狛犬さんのようです。。。 |
神社・寺
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八王子市中野山王にある子安神社は、 戦国時代、 城主北条氏照が、滝山城の真南に当たるこの地に、 子孫繁栄を祈願して、祀ったと伝えられています。 江戸時代には、中野村の鎮守だったそうです。 この近くには、中田遺跡と呼ばれる、 縄文時代から平安時代に至る、大規模な集落遺跡があり、 古くから人々が暮らしていた地域のようです。 ご祭神は、 木花開耶姫命(このはなのさくやひめのみこと) 旧社格は、村社。 鳥居をくぐって参道を進むと、 画像では木立の陰なりますが、 左側の明神池には、湧水が湧いています。 湧水を飲んで、摂社・久須志神社に参拝すると、 病気平癒に霊験があり、 また、安産、子育ての霊水とも言われているそうです。 参道をさらに進み、石段を登りきると、 木立に囲まれた奥に、社殿が建っています。 それほど大きな社殿ではないのですが、 しっかりとした造りで、 夕暮れ時の、薄暗いひさしの奥から、 龍の彫刻が、ものすごい迫力で睨みつけていました。 そして、ひと際めだつのは、この注連縄です。 注連縄は、神社によって、それぞれ個性がありますけど、 こんなにすごいのは、見たことがありません! 境内の片隅にひっそりと建っていた石碑は、困民党記念碑。 この神社は、 明治中期に起こった困民党事件の、八王子における舞台となったようです。 |
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八王子の上(かみ)の総鎮守・多賀神社の狛犬です。 ・・・・・ 精悍な顔、 引き締まった身体つきで、かなり迫力というか凄みがありますよね。 阿像は玉を、吽像は仰向けになった子獅子を押さえています。 ・・・・・ 上の文章は、 高幡不動の境内にある弘法大師堂狛犬の記事で使った文章です。 さらに、顔を見ても、 ・・・・・ つり上がった独特な眉、 うつむき加減の顔で、 下から睨みつけるような目は、かなり奥目です。 ・・・・・ そう、 この狛犬を見たとき、 大師堂の狛犬を思い出したんです。 それだけ、大師堂の狛犬は印象が強かったのですが。。。 多賀神社の狛犬は、 奉納したのは、○○萬吉で、 大正15年、金婚式を記念して建立されています。 石工は、八王子大横町の細野某。 画像をよく調べてみると、 大師堂の狛犬は、 ○○萬吉が八十歳のときに、奉納されたものでした。 多賀神社の阿像(右)と、大師堂の吽像を並べてみました。 阿像を比べてみました。 多賀神社の狛犬(左側)は、 台座が高くて、下から見る恰好になるので、その分を考慮しても、 大師堂の方が、輪郭がシャープに研ぎ澄まされているような気がしませんか? 大師堂の狛犬は、 建立時期を確認できなかったのですが、 こうしてみると、 多賀神社より何年か経って、同じ石工が作ったものなのかもしれない。。。 ちょっと、発見! ワクワクしました! では、最後の画像、 両方とも、 尾は胴の巾のままで、背中は虎刈り(?)になっています。 どちらの神社か、一瞬、見分けがつかないですよね。。。 |
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八月の第一週は、八王子祭り。 甲州街道の宿場町八王子の街は、 金曜日からの3日間、祭り一色に染まります。 甲州街道沿いの八王子市街は、 国道16号線を境に、 西側が上(かみ)、東側が下(しも)に分かれ、 下の総鎮守は、八幡八雲神社。 そして、 多賀神社は、上の総鎮守。 例大祭は上(かみ)の祭りとして8月15・16日におこなわれていたそうですが、 昭和41年から八王子まつりに総合され、市民のまつりとして催されています。 境内には、 上の氏子各町会の山車保管庫がありました。 天慶元(938)年、武蔵介源義経基による創建と伝えられ、 元禄年間からは多賀明神とも呼ばれていたそうです。 祭神は 伊弉諸尊(いざなぎのみこと) 伊弉冊尊(いざなみのみこと) 甲州街道と陣馬街道の分岐点・追分をすぎて、 八王子市役所に向かった閑静な住宅地に、 古木に守られて、鎮座しています。 社殿はあまり大きくはありませんが、 意匠を凝らした造りになっています。 拝殿の木鼻は龍、 そして、 挙鼻の部分には、中央に龍が正面を向いています。 本殿は朱塗りで、カラフルな装飾がとてもきれいです。 木鼻は、獅子と獏。 彩色された獏ははじめて見たような気がします。 境内には、 絹織物が盛んだった土地柄らしく、 織物業にたずさわる人々や織子が信仰した機守(はたもり)神社が祀られていました。 また、 慶應4(1868)年3月6日の甲州勝沼での戦いに敗れた甲陽鎮撫隊が、 敗走の末、3日後の3月9日に集結した場所と言われているそうです。 最後は、 大正4年に建立された石灯籠には、 獅子のほかに、 干支にちなんだ動物が彫られていました。 画像は、猪と犬。。。の、ようです。 |
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高幡不動尊の境内にある弘法大師堂の参道の狛犬です。 精悍な顔、 引き締まった身体つきで、かなり迫力というか凄みがありますよね。 阿像は玉を、吽像は仰向けになった子獅子を押さえています。 つり上がった独特な眉、 うつむき加減の顔で、 下から睨みつけるような目は、かなり奥目です。 台座には、 丸の中に「萬」のマーク、とりあえずマルマンと読むことにして、 「八日町 マルマンデパート」と刻まれていました。 八日町は八王子の甲州街道沿いにあります。 その商店名では、現在はどうなっているのか判らないのですが、 八王子には、 名前にデパートがついた商店がたくさんあったそうです。 ユーミンの荒井呉服店も、「呉服のデパート荒井」だったとか。。。 高幡不動尊の境内にある小高い丘を巡る小道に沿って、 山内四国八十八ヶ所と呼ばれる、 八十八の石仏が置かれています。 この弘法大師堂は、第八十八番打ち止めの霊堂。 昭和9年に再興されたそうです。 そして、 中世には、この丘の頂上付近は高幡城だったそうです。 頂上部分は広場のようになっていて、本丸跡の標識がありました。 それ以外は、馬場の跡がありましたが、 土塁や空濠などは、通り道には見当たりませんでした。 高幡城についての説明は、とても少なく、 山内四国八十八ヶ所の小道が、丘中に通っていて、 遺構は保存されているのか、ちょっと気になりました。 高幡不動尊と高幡城の関係はどうだったのかしら。。。 そして、 高幡不動の紫陽花は、 この、小道に沿って植えられています。 以前の記事で紹介しきれなかった、 高幡不動の紫陽花、 まだ梅雨明けしてないし。。。ということで、載せてしまいます。 下の画像は、 高幡城址の本丸付近からの北側の眺望です。 手前が高幡不動駅、 少し離れた左右に伸びる堤は、淺川の土手、 右方向、土手に交差するような白い橋はモノレール、 その少し右に掛かる橋のしたには多摩川が流れています。 この画像から右へはみ出したところで、 淺川は、多摩川に合流します。 その、少し手前の淺川沿いには、 三浦友和と忌野清志郎の母校・日野高校が。。。見えなくてすみません! |







