のびパンチ

あっという間に過ぎていく。。。

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東京都葛飾区柴又3−30−24
 
京成金町線「柴又駅」から東へ向かうと、
映画「男はつらいよ」の舞台として有名な、
柴又帝釈天の参道が続きます。
 
その帝釈天とは線路を挟んで反対側、
駅から ほんの2〜3分のところに鎮座しているのは、
 
柴又八幡神社
 
 
柴又しばまた)」という地名は古く、
養老5(721)年に作成された「正倉院古文書正集」の、
「下総国葛飾郡大嶋郷戸籍」に記されている「嶋俣里(しままたのり)」の比定地。
ところが、
東京低地に位置するこの「大嶋郷」という地名は、
平安海進(平安時代の海面上昇)以降、文献から姿を消してしまい、
海面上昇で人が住めなくなった可能性があるそうです。
 
ちなみに、
江戸川が下総国と武蔵国の境界になるのは江戸時代初期からで、
それまでは、柴又一帯は下総国。
 
 
 
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柴又八幡神社。
 
祭神 誉田別命
    建御名方命
 
旧社格は不明ですが、旧柴又村鎮守。
現在の社殿は昭和43年5月造営。
 
 
 
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現地案内板によると、
以前から本殿裏手に露呈していた石組みが古墳ではないかと云われていて、
昭和40(1965)年と平成2(1990)年の本格的な調査の結果、
現在の社殿を中心として20〜30m規模の円墳であることがわかり、
露呈していた石組みは、遺体を安置する石槨(せっかく)であることが判明。
 
古墳の周囲には溝が掘られ、
円筒埴輪や人物・馬などの形象埴輪がめぐらされ、
埴輪のほかに、直刀・馬具・鉄鏃・須恵器などが出土しました。
 
出土遺物の特徴などから、
古墳時代後期(6世紀後半)の墳墓と考えられ、
東京低地で石槨を伴う古墳は、ほかに発見されていないそうです。
 
 
 
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社殿の左側を進んだところに、
境内社として、
諏訪神社、稲荷神社、八幡宮、水神宮
が祀られています。
 
狛犬は、
江戸時代の文久2(1862)年9月吉日の建立ですが、
阿像の顔が損傷し、ちょっと残念な補修が施されていました。
 
 
 
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石槨は崩れていたため、
組み直して、元の位置に保存されているそうですが、
外からでは、見ることはできませんでした。
 
石槨の周辺から出土した人骨は、
社殿の後ろ正面に、
石を敷き詰め中央に塚を立て埋葬し直し、
その塚は、「嶋俣塚」と名付けられています。
 
 
柴又八幡神社は、
円墳の上に建てられた神社なのですね。
 
現在の神社は、周囲の土地と同じ高さで墳丘には見えません。
江戸川の堆積土によって古墳が埋まってしまったので、
かえって、今に伝えられたとも考えられるそうです。
 
 
 
6世紀後半かあ。。。
 
今もここに神社が鎮座しているということは、
周りが海になって、
この古墳だけが離れ小島になっていた何百年もの間、
ずっと祀り続けた人たちがいた。。。ということですよね。
 
いったい、どんな人たちだったのかしら。
 
 
 
 
寅さんの5年目の命日である8月4日の直前に出土して話題を呼んだ、
通称「寅さん埴輪」
は、
葛飾区「郷土と天文の博物館」に展示されているそうです。
 
下の画像は、
「寅さん記念館」に展示してあったレプリカ。
 
 
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運と願とお饅頭。。。

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おみくじを結んで。。。ツリー!
 
 
 
 
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東京都国立市谷保。
 
谷保天満宮の
 
ご祭神・菅原道真公は、学問の神さま。
 
 
受験シーズンの今、
奉納された絵馬には、
合格祈願の文字がずら〜り。
 
 
 
 
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梅林では、
 
名物の、
 
「つぼ焼きいも」「合格まんじゅう」
 
ここのおまんじゅうは、
薯蕷饅頭のようで、皮がしっとりとして美味しい。
 
 
 
「合格まんじゅう」を、ひとつ!
 
これで、合格まちがいなし。。。って、ね!
 
 
 
 
 
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「神ならば出雲の国へゆくべきに目白で開帳やぼのてんじん」
 
とは、
安永6(1777)年、
目白不動尊内に於いて、
谷保天満宮の御開帳が行われたときに、
狂歌師の大田蜀山人が、
谷保(やぼ)と野暮を掛けて、詠んだことから、
 
「やぼてん」の語源は谷保天神(谷保天満宮)
 
だそうな。。。なるほどね!
 
 
ちょっと紛らわしいのは、
「谷保」と書いて、
近くの駅名は「やほ」と読み、
谷保天満宮は、「やぼ」と読むんですね。
 
 
 
 
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東京都国立市谷保5209
 
谷保天満宮。
 
JR南武線・谷保(やほ)駅の近く、
国道20号線の谷保交差点に、一ノ鳥居が建っています。
参道は、
南西に向かって二ノ鳥居を過ぎると、
崖を下る石段があり、
右手に、
社殿は、南東を向いて鎮座しています。
 
 
 
 
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谷保(やぼ)天満宮。
 
旧社格は、府社。
式内小社 武蔵国多磨郡穴澤神社の論社
 
祭神 菅原道真公
    合祀 菅原道武公
    合祀 石土毘古神 天之日鷲命 倉稲魂命
 
本殿は 三間流造り。寛永年間(1624〜643)の造営。
拝殿は、江戸末期。一説には、嘉永4(1851)年の造営。
 
 
社伝によると、
この地に配流された菅原道真の第三子・道武は、
父・道真の死を悼み、
延喜3(903)年、天神島(現・府中市日新町)に廟殿を建て、
木像を祀ったことが創祀とされ、
養和元(1181)年、津戸三郎為守によって、当地、谷保に遷座されたそうです。
 
以来、
現在に至るまで、津戸家が代々神官をつとめています。
 
 
また、
参道の石造狛犬は、おそらく江戸時代。奉納時期はわかりませんでしたが。。。
 
重要文化財指定の13世紀後半と推定される木造狛犬があり、
社務所隣の宝物殿で見ることができます。
(宝物殿はの開館は日曜日だけのようです。要確認)
 
 
 
 
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境内社は
 
本殿の後ろ正面に、
五社神社(稲荷・妙義・日吉・熊野・天照大神宮)、三郎殿。
 
参集殿の隣りに、第六天神社。
 
二ノ鳥居の脇を入ると、蒼守稲荷・稲荷・淡島神社。
 
梅林には、厳島神社。
 
脇参道の入口には、弁天池に厳島神社。
 
 
境内は、
崖線を含む、木立に囲まれた広い南斜面。
 
神社の参道が下り坂なのは珍しいのですが、
かつての街道は、崖の下を通っていましたが、
甲州街道が崖の上に敷設され、
参道入り口を甲州街道沿いに移したからだそうです。
 
 
 
 
放し飼いにされている鶏たちは、
おっとりとしていて、
みんなに可愛がられている感じがします。
 
普通の参拝者には近づかないけど、 
可愛がってくれる人を、ちゃんと覚えていて、
顔を見せると、寄って来ては、
はやくちょうだい!と、
足をつついて、餌をおねだりするそうです。
 
 
 
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東京都新宿区西新宿


新宿駅西口の中央通り地下道を進んでいくと、
途中から地上に出て、
都庁舎の先で、新宿中央公園につきあたります。


都庁舎の展望台から、新宿中央公園方向を眺めると、
(この眺望は1月頃で、今は緑がもっと濃くなっています)

新宿中央公園の向こう側(西側)は、
十二社(じゅうにそう)通り


画像左端のビル2軒分は、
かつて、
十二社池
と呼ばれる、ため池だったそうです。


慶長11年(1606)に田畑の用水溜めとして、大小2つの池が作られ、

享保年間(1716~35)には、
池の周りには、茶屋が建ちならぶほどの景勝地として賑わい、

明治期以降の最盛期には、料亭・茶屋およそ100軒、芸妓300名を擁する、
花柳界として栄えたそうです。

昭和初期から徐々に埋め立てが進み、
小池は、第2次大戦中に、
大池は、昭和43年(1968)7月に、埋め立てられてしまいましたが。。。

京王プラザホテルができたのが1971年ですから、
新宿西口が副都心として高層ビルが建ち始めた時期ですね。


見渡す限りの家並みですが、
十二社池が作られたころは、
ぜ〜んぶ、田畑だったのかしら。。。想像できない!



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1970年に住居表示が実施されるまで、
現在の西新宿1〜6丁目は、角筈(つのはず)と呼ばれ、
十二社(じゅうにそう)は、この一帯の字名だったそうです。


十二社通りに沿って、
新宿中央公園内、西の一角に鎮座しているのは、

熊野神社


江戸時代には、熊野十二所権現社と称し、

現在も、十二社熊野神社角筈十二社とも呼ばれ、
十二社(じゅうにそう)という地名は、この神社に因んでいます。


ちなみに、
新宿中央公園は、熊野神社の敷地を公園として整備したそうです。




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十二社通りに面した参道入り口から、
ゆるい坂をすこし登ると、石鳥居。

南北に長い境内は、
左側に神輿蔵、神楽殿、手水舎。
右側は、鳥居脇に嘉永4年(1851)建立の史跡「十二社の碑」、社務所。。。

拝殿は、南を向いています。




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十二社熊野神社は、

室町時代の応永年間(1394〜1428)に、
紀州藤代から来て中野一帯を開拓して「中野長者」と呼ばれた鈴木九郎が、
熊野三山の祠官を務める鈴木家の末裔であったことから、
郷土の熊野三山の十二所権現を勧請したのが起源とされています。

江戸時代の別当は、中野長者の菩提寺である中野成願寺。


明治維新後、
社名を、熊野神社に改称。

明治維新後の祭神は、
櫛御気野神(くしみけぬのおおかみ)
伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)

櫛御気野神は、
一般に、熊野大社(島根県松江市)の祭神で、素戔嗚尊の別名とされています。


旧社格は、郷社。
新宿の総鎮守。



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境内社は、

拝殿右側の池に、弁天社

本殿右側に、大鳥三社と、角筈胡桃下稲荷社が、祀られています。

新編武蔵風土記稿には、
末社として、稲荷社のみが記載されています。




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拝殿の前には、
文化元年(1804)に奉納された狛犬が、向い合って鎮座し、

両脇の石燈籠(昭和9年奉納)にも、狛犬が彫られていました。




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境内社の大鳥三社の前には、
享保12年(1727)に「角筈村上町百姓店児講中」より奉納された、
小ぶりな狛犬が、向かい合って鎮座していました。







拝殿の提灯を見上げると、

熊野三山のシンボル八咫烏(やたがらす)の向こうに、
都庁舎がそびえていました。




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北秋川の北側(右岸)、
寶蔵寺のある南斜面一帯は、

東京都西多摩郡檜原村小沢夏地。



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小沢地区の夏地(なつち)集落は
北秋川右岸の日当たりのよい南斜面でした。



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集落の一番上に、
こんもりとした杜が、突き出して見えて。。。神社かな?

行ってみることにしました。




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近づいてみると、

正面の登り口は土のままですが、
上の方は石段になっていて、
奥に祠が見えています。


夏地集落の鎮守は、
北秋川対岸の宮ヶ谷戸集落にある、
伊勢清峰神社ですが、
檜原村史には、他にもいくつかの小社が記載されています。




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傾いだ覆屋の中には、
しっかりとした造りの祠が鎮座していました。

社額はありませんが、
脇の石塔には日天の文字を読み取ることができます。

日天神社

祭神は、
天照大神(あまてらすおおみかみ)
豊受大神(とようけのおおかみ)
と伝えられ、

創建の時期は不明ですが、
傍らの石燈籠には宝暦10年(1760)の銘があります。
また、
新編武蔵の風土記稿には、日天社として記載されています。



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高台にある日天神社からは、
小沢地区はもちろん、遠く山並みを見渡すことができます。

画像の左寄(東方向)には、
寶蔵寺の屋根が見えていました。



そして、
北秋川の対岸の宮ヶ谷戸集落の峰には、
夏地集落の鎮守でもある伊勢清峯神社が鎮座しています。

昔は、
橋を架けることはとても大変だったので、
神さまは川を渡らないと云われるくらい、
川の向こうは別の村、別の鎮守ということが多いようですが。。。


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